パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

言語の影響力

2018年02月10日 18時27分43秒 | あれこれ考えること

根拠のない、ただそう思うというだけの話

ベートーヴェンやバッハの構成的な音楽は彼らの使う言語「ドイツ語」と似てる(気がする)
ドイツ語の格変化や分離動詞とか、枠構造とか単語が連結して新たな単語になるさまは
ソナタ形式を自在に扱ったりフーガの千変万化と似てるような気がずっとしていた
ドイツ語で考える普段の生活が自然と構成的な音楽を作り出すようになっているのではないのか
メロディーラインもドイツ語のリズムをどこか感じさせる

言語の影響はドイツ人だけでなく、フランス人の音楽はドビュッシーやフォーレやベルリオーズの音楽は
メロディーラインがドイツのようにゴツゴツしていなくて、ふわっと繋がる感じ
(幻想交響曲の2楽章やフォーレの歌曲「夢のあとに」はドイツ人には書けないメロディと思えてならない)
それはリエゾン(だったかな?)みたいな感じでとにかく繋がってる感じ(プルーストの文章みたい)

ドイツは思考というものに、フランスは感覚・気分に(と言っても感傷的ではないが)
左右されているような印象を持つ

イタリア語は語感がハキハキした感じで、生々しい響きになっているし、感情の発露に長けた音楽が多い
英語はクラシック音楽よりはロックとがブルースに合いそうな語感がある

では肝心な日本語は、、
日本語は確かに、575的なリズムが基本になっているみたいに思えるが、そのリズムでも
和歌の場合は正式には(?)のんびり詠われるのでお祭りのような賑やかさよりは、静かに盛り上がって
ホンの一瞬だけ琴線に触れるようなところがあって、それは解決せずに余韻をもって終結するのが自分の中では心地よい
このような気持ちにさせてくれる音楽が「平城山」と「影を慕いて」
どちらも詠嘆の気持ちが強い
静かに内的な感情の高まりで頂点を目指す
しかし、イゾルデの「愛の死」のような圧倒的なピークは訪れない
一瞬たかまったかのように思えても、また最初のどこか沈んだ過去を振り返るような気持ちに戻っていく、、

何にせよ毎日話している言葉だけに、言語はいろんなところに影響を与えているだろうな、、
ただ、ふとそう思ったというだけのこと、、

※サッカーの戦術、好みの国民性も言語の影響が多いみたいな気がしている

おまけ!この好きな曲のYoutube動画

平城山 鮫島有美子

影を慕いて 森昌子 
 

コメント
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