パンセ(みたいなものを目指して)

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予算に反対は可能か

2018年02月27日 09時39分04秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

世の中には知っていない事が多い
いい歳をしてそんなことも知らないのか!といわれそうなことでも
知らないのだから仕方ない(少し恥ずかしいが)

そんな中に市議会の進め方がある
何回か市議会の傍聴に出かけているのでだいたいの流れはわかってきた
わかってくると、なんだこんなことか!
とがっかりするというか呆れるのが議決だ
議員さんの最大の仕事の議決だが、この大半は審議するまでもない内容
例えば国の法律が変わったのでそれに合わせて市の条例も変えたりとか
住所の表示が変わったりするのを認めるとか
こんなのは誰が議員さんになっても同じ選択をするしかない
ただそういう過程を踏まないとダメだから踏んでいる儀式のようなものだ

誰でも同じ結論を出さざるをえない議案を議決する
そんなことだけが議員さんの仕事ならば、市議会選挙で地元の声を聞きますとか
市民のために、、とか威勢よくアナウンスされたことが虚しく響く
しかし、議員さんが議員さんの働きをしっかり発揮すべき機会がある
それは予算に関する議決だ
市民の税金の使い方に対して適切かどうかをチェックし、審議し、議決するというのだが
現実を見ていくと、これがなかなか文字通りの機能を果たしていないように見える
予算は、議員さんの所属する委員会からも要望という形である部署で予算計上されるが
大半は行政(市長の予算提案権)となっている
そして3月に行われる予算の決議は「一括で」賛否が問われる
予算の内容を詳しく見ていくと、どうも腑に落ちない部分があるが、その他は問題ないという状況は容易に考えつく
そしてこの腑に落ちない部分が予算のかなりの金額を要する場合は、提案された予算を認めたくないという状況が起きてくる
抽象的な話ではなく、新城市の具体的な例をあげると、新城市は新東名高速道路経由で名古屋直行バス(長久手)事業がある
この事業は新城市の定住人口確保と交流人口を増やすために行われているが
始まる前からこの計画の優位性や効果、他の交通機関との競争力が不安視されていた
それでも最初の年は良かった
というのはこの事業に関しては市はお金を使っていなかったからで
最初の年の7月から次の年の3月までのバス会社に対する業務委託料金や、バス購入費は
国からの補助金(交付金?)6000万円から賄われていたからだ
それでも、想定した乗客数に達せず結局市はバス会社から不足分の800万円を請求されることになった
そして2年目の去年、この年は国の補助は業務委託費の半分の1700万円となり
残り半分は市が支払うことになった
この新東名高速道路経由のバス事業については利用者数が少なく
本当にこのまま事業を続けて良いものか、、との声が昨年の議会報告会の各会場でも聞かれた
そして来年度、今度は国の補填はほとんどなしで3700万円のほとんどが市の負担となる
問題はここで、既に予算案としてこの数字は出されている
議会報告会でも問題視され、一部の市民からはよく考えたほうがいいとの声が出ているこの事業を
この予算案が出るまでとくに議員間で審議されることなく今に至っている

ここで、この事業予算に反対するということが現実にできるかどうかを想像してみる
まずは現実にやめることに支障はないか、業務委託のバス会社との契約をみると
途中解約(31年度まで行うことになっている)でも、それに伴う費用は発生しないとある
つまり、やめてしまってもバス会社とのトラブルは起きないということだ
ところが、既に出てしまっている予算案に対して「この部分だけ」反対をしたいとしても
予算案は「一括」で議決することになっており、この部分を強行に反対すると
今度は来年度の予算が決まらなくなってしまう
すると、行政は成り立たなくなってしまう
この状態は避けなければならないということで、常識的には結局のところ「一括」のために
このバス事業は認めざるを得なくなる

しかし、何か変だなという思いを捨てることが出来ない
何かが欠けているのではと思い、議員経験者の方に議会のシステム等について聞いてみると
確かに一括審議で予算は議決されるが、個々については付託された委員会で質疑の後、討論というかたちで審議される
もっとも、それも結果的には議員間の力関係の問題で「反対討論を行ったとか議事録に残った」
ということしか抵抗の姿勢は表せないのだそうだ
もしかしたら市民が望んでいるかもしれないことが、結果ではなく「議事録にのった」という形で終わって良いものか
これは少し不満を覚えるが、行政のチェックをすべき議員を選んだのは当事者である市民なのだから
それも仕方ない、反省すべきは市民の方にもある、、の結論は、、少し考えてしまう

行政はバス事業のようにいろんな事業を数年間かけて行う
こういう場合、初年度に計画したものが採算性・効果が見られないとしたら、どこかで見切りをつけることをしないと
いつまでもダラダラと損を重ね続けることにならないか
一般企業なら容易に思いつく事柄が、何故か行政は奇妙な概念や都合のよい数字を使ってその事業の継続を求めたがる
そして、現実にいま出ている赤字の部分の責任の所在や原因は不明となる
そして、いったん決めてしまった事業は、何が何でも継続されるしか手はないように思えてしまう
だが、これにも手段があって議決で予算にゴーサインを出すときでも「付帯決議」をつけることによって
あるいは、その事業の評価を判断し決断を下すという項目を何処かに書き込むことによって
無差別な継続事業は抑えられるかもしれないとの声もあった
だが、これも前提として議員さんの熱意とか知識とかレベルの問題が関係する

でもその議員さんのレベルの向上を促すのは、何なんだろう
市民力の向上?それとも議員さんの自覚?
なんだか鶏が先か卵が先かの問題になりそう
理想はあっても現実は、、、、
(今まで新城市議会ばかり傍聴してたが、他市の議会も傍聴したら何を感じるか気になるので
 明日は豊川市議会の一般質問の傍聴に出かけるつもり)





 

コメント
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