佐川宣寿国税庁長官(前財務省理財局長)の交渉記録は破棄したとの国会答弁に対する批判が強まっている
中小企業の経営者の、一言嫌味を言ってみたい気持ちもよく分かる
国税庁官の抜擢が適切だったかは、実績だけでなく諸般の実情に合わせて判断すべきだが、おえらいさんは
そんな庶民の感覚はとんとお持ちでないようだ
再度の国会招致を野党が求めても委員長は「後日委員会にて協議します」というが
現実にはその委員会を仕切るのは与党の方々で
形式的にそう答えただけになっている
こうなると佐川さんの罷免を求める署名がとんでもない数字になるとか外部の力がないと
やりたい放題になってしまうかもしれない
ところで、佐川さんの味方をするわけではないが、あれらの国会答弁
もし佐川さんではない官僚のひとがあの立場にいたならどのような答弁をしたのだろう
国家公務員法によれば職務上の上司の命令には従うことになっている
そして官僚さんというのはウェーバーによれば、没個性的に仕事を行うと説明している
ならば、誰であってもあのように答弁したと想像するのはあながち間違いではないだろう
(その答弁における態度とか表情とかは個人的な差は出てくるだろうが)
自分がやらなくても、他の誰かがやっただろう、、
これはユダヤ人を強制収容所に送り続けたアイヒマンの言葉
彼は職務上の命令された仕事をしたにすぎないという
ハンナ・アーレントの「イスラエルのアイヒマン」によればアイヒマンは上昇志向の強い人物で
同僚の出世には嫉妬を覚える人物だとのこと
そんな人物はいつでもどこでも見ることができる
多少問題があるとしても、問題自体に自分が判断するような関わり合い方をするのは避けて
ただ命令されたことをする、そしてそのことが確実に自分のステップアップにつながるとしたら
人は世間が望むような正しそうな判断をすることができるのだろうか
これはとても難しい問題で、どんな意見が出ても「ああ言えばこう言う」
といった議論の応酬になりそうだ
しかし「イスラエルのアイヒマン」最後の以下の文章は(100分de名著のなかから抜粋)は
平凡な自分でも納得できる内容になっている
「君は戦争中ユダヤ民族に対して行われた犯罪が史上最大の罪であることを認め、そのなかで君が演じた役割を認めた。しかし君は、自分は決して賤しい動機から行動したのではない、誰かを殺したくなったこともなかったし、ユダヤ人を憎んだこともなかった、けれどもそうするよりほかはなかったし、自分に罪があるとは感じていないと言った。われわれはそれを信じる事はまったく不可能ではないまでも困難だと思う。(中略)
君が大量虐殺組織の従順な道具となったのはひとえに君の不運だったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それ故に積極的に支持したしたという事実は変わらない。というのは、政治は子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持は同じだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の多くの国の人民たちとともにこの地球上に生きることを拒むーーあたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住むべきでないかを決定する権利を持っているかのようにーーー政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何人からも、君と共にこの地球上に生きたいと願うことは期待できないと思う。これが君が絞首されなければならぬ理由、しかもその唯一の理由である。」
ユダヤ人の虐殺と佐川さんの答弁とはその重みとか意味合いは違うかもしれない
しかし、「こんなひとと一緒に生きる世界は、、嫌だな、、 」という感情をもってしまいそうなのも
残念ながら事実
でも本当は佐川さんも、ちょっと上昇志向が強いだけの頭の良い優秀すぎる人物なのかもしれない
彼の上司が、素晴らしい人物だったら、、彼も、彼の家族も、、自慢できる生き方をできるのに、、
何事も、上に立つ人次第ってところ、、
何かと問題の多い新城の市政も