パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「イギリス人の患者」一気読み

2018年02月13日 19時06分12秒 | 

読書はそんなに速い方ではないし、速く読むものでもないと思っているが
昨日から読み始めた「イギリス人の患者」(イングリッシュ・ペイシェント)は一気読みした

速読のせいで細部は勘違いしている面がないとはいえないが、この様に一気読みするのは
まるで映画を見ているかのようで、それなりの楽しみ方かもしれない

この本、実は再読となる
先日「失われた時を求めて」を読んでいた時、今「イギリス人の患者」を読んだら
どんな印象を持つのだろうか?と不意に頭に浮かんで、あの場所にあるはずと本棚から引っ張り出した
しかし、映画にもなって、映画になる前に読んだものだから自分に先見の明があったと自慢したくなるのだが
情けないくらいに記憶に残っていない
記憶に残っているのはヘロドトスの「歴史」からの引用があったぞ、、とか、人の首の下のへこんだところを
何というのだった、、とか、負傷した人物の不倫現場の一シーンくらいなもの
せいぜい僅かに文章が詩的な感じがした、、というくらい

ところが、映画も見たこともあるかもしれないが、今回はテンポよくページが進む
映画だけのせいでもなく「失われた時を求めて」の困難な読書で鍛えられたからかもしれない

読み返して少し驚いたのは、看護婦さんのハナがほとんど中心となって小説が進められていたことだ
記憶の中では負傷したイギリス人の恋愛がメインとなっていた印象があったが、本ではあっさりとした扱いだった
これは映画と原作の違いで、映画ではわかりやすい不倫の恋愛の方を重視したのだろう
映画で中心人物だったハナを演じたのはジュリエット・ビノシュで有名な女優さん
(「存在の耐えられない軽さ」とか「ショコラ」とか「ダメージ」とか出ててなんとなく好きなんだ)

この本はヨーロッパ人の作品だと感じる(作者のM・オンダーチェはセイロン生まれだがイギリスで育ち、カナダに移住した人)
通奏低音のように響く過去の時間への後悔などは、「失われた時を求めて」とかカズオ・イシグロの作品に通じるところがある
そして細かな心理描写によるビルドゥングス・ロマンの伝統とイギリスのスパイ小説を絡めたようなあらすじ
でも今回びっくりしたのが、このヨーロッパ人になりきれないシーク教徒の突然の行動の原因が「広島・長崎」の原爆投下にあったことだ
そして日本についても2箇所くらい嬉しくない取り上げ方をしていることは前回は全然気が付かなかった

人は物事に関する感じ方が変化する
年齢を重ねないと、実際に体験しないとわからないことがある
同時に年齢を重ねることによって失っていく感性もある
残念ながら今の年齢ではいろんなことに新鮮な感覚をもって感じることはできず
何か感じたとしても直ぐに経験した何らかのパターンのなかに納めてしまおうとする
そしてわかった気になって安心する
それは確かに残念なことだが、年齢を重ねてわかるようになったことは、悪いことばかりではない
例えば「人の気持ち」とか「人の弱さ」というものも理想とすべきものとは違うが、「仕方ない」と思えるようになり
それはおそらく、生きるための知恵となっているような気さえする

ということで、「イギリス人の患者」を読んでも結局は自分の感じ方の話になってしまった
もっともそれは好ましいものではないというのではなくて
印象とか内面とはそういうものだ、、とプルーストの「失われた時を求めて」では言ってたから
こんなものかな、、

この本、発行されたのは1996年とある
もう20年以上も前だが、取っといて良かった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする