レストランに1杯1000円のワインと2000円のワインがある場合
店側とすればより金額がはる2000円の方を飲んでもらいたいと思う
実は世の中には心理学的に2000円のワインを飲んでもらう作戦があって
それは新たに3000円のワインのメニューを作ることだそうだ
これによって少し敷居が高かった2000円のワインに対する抵抗感は消え
中間の価格の商品は売上が上がるらしい
これはなんとなく分かることで、日本でも昔から定食メニューに松竹梅と名前をつけたり
うな丼に並・上・特上と3つの価格帯をつけているところを見かける
これは海外でもあるようで、good、better、excellent とやはり3つの商品を準備している
事が多いらしい
人の選択は真ん中を選びやすい、、というのは価格だけでなく
いろんなことにもあるのではないかと思う事柄があった
それはそのニュースを見聞きする度に不思議に思うことで世論調査による内閣支持率のことだ
支持率とは別の問に対しての答え方(各種説明は充分か、、など)からすれば、
支持率は高くないほうが一貫性があるのだが、結果は何故かそのようになっていない
まるで、あれはあれ、これはこれ、、と分断して考えているかのよう
そこで気になるのは、世論調査の質問の仕方
JNNでは世論調査の結果はこのようだったとのこと
菅内閣、支持率70%の内訳。
非常に支持できる、11.2%。ある程度支持できる、59.5%。
あまり支持できない、19.1%。まったく支持できない、5.1%。
答えない・わからない、5.1%。
一番多いのは、ある程度支持できるとする答え
これはモノゴトを知った上で人々が冷静に判断した結果というよりは
冒頭に挙げた単に心理学的な傾向に過ぎないのではないか(と思ってしまう)
さて、一番多くの人の意見が「ある程度支持できる」と知った人たちは
いざ自分で判断をする場合には、どのような影響を受けるか
これについて、若者に保守的とか現状維持派が多い現実を調査した方が
若者は自らの経験の少なさ情報量の少なさから
自分で下す判断より世の中の多くの人が下す判断のほうが間違いがないだろう
と考え勝ちなことを明らかにした
自分の判断よりみんなと同じということで安心する(みんなの判断を信用する)
それは「世界の一つだけの花」の世界は、思いのほか難しいことを表していないか
「自分ならどう考えるか」を突き詰めるより、多くの人の意見の方に従う
あるいは精神的に楽ちんな方を選ぶ
そうしたことが、世の中には溢れていないか
「自分ならどう考えるか」
これが癖になっていれば、多少世間の意見と違いがあったとしても
「世界に一つだけの花」になれるのに!(とおっさんは思う)
興行成績がとても良かった映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、その中に
「I decide who I am」
という印象的な(自分にとっては)言葉があったが、
自分の判断というのは、なかなか難しいということなんだろうな