パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

知の支配が生んだ格差(あるいは知の格差が生んだ分断)

2020年10月12日 09時46分15秒 | あれこれ考えること

時代はイデオロギーの東西問題から経済の南北問題に主要課題が変化している
現在はそれに加えて「知」の問題が密かに台頭しているのではないか
と紹介していたのが昨日の中日新聞の視座

以下が10月11日付けの中日新聞「視座」の内容

個人的にはこれで今まで疑問に思っていたことが少しクリアされたような気がしている

モノゴトの極端な単純化、自分がわからないことに対する不当な怒り(専門家の話はわからない)
そして自分の(勝手な)理解を無条件に信じようとし、その仲間の存在を知ることによる安心感
これらは反知性主義ともいわれる(かもしれない)

反知性主義は、上記の考え方によれば「反知性主義」なのかもしれない
教養人は、理屈の上では否定しようもない正論を語る(自由・平等・民主主義のあるべき姿・人種問題など)
しかし、「正しい人は怖い」の例があるように、原則論で原理主義のように語られると
それを窮屈と感じる人がどうしても出てくる

この人たちはある時は(アメリカでは)隠れトランプ支持者となったり
ある時は反動的に知識人を目の敵にする
例えば学術会議のメンバーの人となりや研究成果を知らずとも意味のない組織と断定する
そして問題はここで、同様な判断を下す人が一定数存在する
それは人の考えることは自由といった余裕のある態度とは全く違い
彼らは自分たち以外の考え方を認めようともしない傾向がある
(もっとも一部の教養人も相手の言い分を真っ向から聞こうとしない傾向もあるが)

偶然かどうかはわからないが現政権に否定的な姿勢を示すのは、いわゆる知識人が多い
彼らを「反日」とか「パヨク」と決めつけて攻撃する人たちは
ツイート等の発言から判断するに、広範な教養を持っているとは感じられない
彼らの行動は知識人に対する「ルサンチマン」のようにさえ思えてくる

新聞記事にあるように「知の分断」は明らかに存在する
しかし、その分断を生み出している原因は経済格差と関係がありそうで
自助・共助・公助などとのんびり言ってられる状態ではない、、、と思う

イデオロギーの違い、意見の相違
それは個性に起因することもあるが、知識の絶対量の違いも存在しそう
知の格差は、もしかしたら経済格差以上にヤバイかも
(経済格差が知の格差なんだろうけど)


コメント
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