この場では、何が言いたいんだか!と纏まらないことが多いが
同じように、聞き手には意図が解りにくい音楽家に
大好きなブルックナーがある
同じフレーズの繰り返し、急な曲のイメージの転換、金管の咆哮
女性好みの美味しいメロディというよりは、どこか哲学的なものを感じさせる旋律
(8番の第三楽章の第2主題、9番の第三楽章の寒々とした主題)
初めて聞く人は、彼の音楽はどこに向かっているか解りにくい
だが、それは自分のパターンとそっくりではないか!と不意に気づいた
何故ブルックナーが好きなのか?を思うと、この纏めきることのできない
情けないところが自分そっくりと感じているからかもしれない
ちょいと思いついたり、思い出したことに気分が支配されて
本来は主題的なものではないことに、つい音符や文字を費やしてしまう
これらはある面では考え中のところを、まとまらないまま無責任に
形にしているからかもしれない
ブルックナーも初稿版の演奏を聞くと、まだまだ煮詰まっていない印象を受ける
少し前、「難しい本を読む方法」を解説した本を読んだ
(ここでの難しい本とは哲学的・社会学的・経済学的・心理学的なもの)
そこでは、そもそも何故その本が難しいか?が、うまく説明されていた
解説者は曰く、それは本の著者自身が書きながら考えているからで
そのために言葉の意味、概念は一定しておらず
他者にはスッキリと理解できないとしていた
なるほど、それはあるかもしれないと納得する
だが、この難しい原典とそれをスッキリと解説する本を読みくらべると
読んでいる時の迫力が違う(受け取る印象が違う)
原典の方は、著者が書きながら、のたうち回ってる、格闘している、、
といった思考の過程を感じることができ、それは自分が初めての山に登っているような気分だ
それと比べると、解説書は案内付きで山に登っている感じだ
どちらのほうが読んでて面白いかといえば、苦労しても原典の方が面白いと思う
だが難しい本を読むには体力・気力が必要だし、視力もそれなりに必要だ
また自分が何かをアウトプットするには、ボケないことが必須だ
でも探しものの時間がますます増えてくる昨今、いつまでもボケないでいられる自信は
ちょいと怪しいかも、、
やっぱり何が言いたんだか!となってしまった、、
仕方ない