パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

序列

2021年11月18日 09時39分10秒 | あれこれ考えること

サッカーワールドカップのアジア最終予選
危なっかしい状況からやっとのことでオマーンには勝利
オーストラリアが引き分けたために勝ち点1の差で2位浮上
これは少しラッキーな話だが、サッカーを見続けている人たちの間で
問題になっている(不満の声が多い)のは、オマーン戦のスタメンだ

大迫、南野、長友はネームバリューはあるが機能していたかを見ると少しばかり怪しい
(途中からでた三苫、古橋のほうが可能性とか勢いを感じた)
これは試合中にそう感じたのではなく、試合前からある程度の予想がついたので
コアなサッカーファンから文句が出たのだ

上記3人はコンディションが良くないのか、それとも大迫と長友はピークを過ぎたのか
勝負事は結果が全ての世界だから、厳しい判定をしなければならない
と言っても、身近で一番良く見ているのは監督だから、監督を信用するしかない
監督も結果が全てだから、言い訳をしたくても出た結果に責任を取るしかない

サッカーは相手よりも一点多く得点すれば勝つゲームだ
だが日本のメンタリティの多くは多分、点を取られなければ負けないが多いような気がする
これは良い悪いの問題ではなく、そういう傾向がありそうということで
イタリアはまさにこの傾向が強い

富安が成長し遠藤航の守備力で守りの安定感は出てきて、
そんなに攻撃にさらされる不安はなくなったが
不安なのはどうやって点を取るのか!というイメージが湧かないことだ

相変わらず気になるのは日本人のシュートはゴールの上を通過するものが多いことで
チャンピオンズリーグの中継を見ていると、ゴールの上を通過するのもは日本ほど多くない
先日のアウェイの試合でも吹かしたシュートの多かったこと
そして更に気になるのは、自分でシュートに持っていけななかったり、シュートの選択をしないことだ
アジアの一次予選では格下相手故に前目の選手も好き勝手できたが、厳しい同格の相手だと
どうも気合を含めて迫力に欠ける

専門誌でも大迫、長友、については疑問がついている
だがそれは専門誌の評価で、「半端ない」のフレーズで有名になった大迫は
今は彼以上に可能性のありそうな前田大然や古橋亨梧、
そして大化けするかもしれないオナイウ阿道よりも個人的には評価が低い
長友にも同じようなことが言える

つまりは日本社会にある序列の世界が、ここでもあるような気がしている
その序列を決めるのは今の実力ではなく、知名度とか過去の実績
そして変に変えると良くないかもしれないという恐怖
(そもそも序列自体が知名度から来ているのではという不安)

これが外国の監督なら、序列とか知名度ではなく現時点の良さのみで選ぶから
勇気のある采配ができる
勝つためには、今の状況だけの判断で選手を選ぶことができる

日本人の慎重なところ、変に変えるとうまく行かなくなってしまうかもしれない
という不安の大きいところは、実は選挙という行動にも現れているかもしれない
投票者は現状の問題、あるいは不満を認識している
だがその対処法として、今と違う方法に変えることには思いきれない

確かに急激な変化をもたらしたフランス革命はその急激さ故に混乱をもたらした
だが、その結末を知っている人々は、同じような失敗を防ぐ方法も考えうるのではないか
つまり現体制を変えても、そんなに大きな変化は起きない可能性が高い
変わるのは執行体制の長年溜まってきな膿みたいなものをなくすことができるだけで
新たに執行部が変われば、その執行部もいつか良くない膿がたまるだけで
その時はまた執行部の変更をすればいい、、と自分は簡単に思ってしまうが
どうも物事はそう簡単に行かず、固定観念からは抜け出せないようだ

とりあえずは現状維持、、それがいつかは衰退を招く
というのは民間企業の危機感だが、どうもそれが政治の場とか
今の日本代表の選択にはなされていないみたいな気がするのは、拡大解釈し過ぎか

これらは勇気の欠如か、それとも成功体験のないせいか?



コメント
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