パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

嫌われそうな考え方

2021年11月26日 17時30分45秒 | あれこれ考えること

経営者になったつもりで考えなさい!
と言われることがある
経営者ならどうすれば効率的か、儲かるかを必死に考える
被雇用者も同じ発想をすれば企業は儲かるはずで
その様に考えることは当たり前のように思われているフシがある
ところがこの当たり前のような考えも、本当なのだろうか?と時々考える

依然としてイメージが沸かない政府が掲げる「新しい資本主義」
だが資本主義は飽くなき欲望、利益の追求が必然的だったり
そのもの自体は美しいものではないのに紙幣に美を感じるような
歪な感覚を人にもたらす
企業は利益を追求するなら固定費は低いほうが良い
人件費は固定費に該当するので、経営者になったつもりなら
人件費を低くするように考える
冷血な経営者なら低い料金で効率よく働いてもらうのが一番効率的になる
経営者になったつもりで所属する企業の利益を考えるなら
なんと自己の人件費も低いほうが良いと言った奇妙な結論になる

ただ経営者になったつもりを、被雇用者も個人事業の経営者と考えて
自己の利益を第一に考えるなら、その考え方は問題ないとも思われる
つまりは所属する企業の経営者なのか、それとも自分は個人事業主としての経営者なのか
を区別することは必要だと思われる

これは正確ではないかもしれないが、ヨーロッパとかの国の被雇用者は
基本的に言われたことをやることによりその給与を得て
それ以外の企業にとって必要と思われるアイデアなどは企業から要求されないらしい
そういうアイデアはその立場の人間が考えるべきことしているのかもしれない
一方、日本ではQC活動なる言葉で被雇用側がいろんなアイデアを要求される
(あるいは自発的に考える)
最終的にそのアイデアは被雇用側に返ってくれば良いのだが
現実はそれは被雇用側に反映されているのだろうか

基本的に人は利己的な生き物と考えるなら
そして資本主義は人本来のおおらかさを奪う可能性を持っていると考えるなら
そもそも仕事とはと、一度じっくり考えたほうが良いような気がする

日本と違ってキリスト教徒の国は(ユダヤ教徒の国も)仕事は必ずしも良きもの
とされてはいないのではないか
安息日は休憩の日ではなく、休めと命じられうような日として存在しているのではないか
(現在はそうでなくても、最初はそうだったような)
つまりは仕事は全面的に肯定されるものではなさそうな、、、

本質的に怠惰な自分はいつまで仕事をしているのは、好ましくないと思えるようになっている
(それは知らずしらず雇用主との精神的な上下関係をもたらされるような気がするため)
有り余る時間を自分で考えて、その長さを苦痛と感じるのも、個人に与えられた良き人生経験で
反対に誰かに言われて作業をすることは、充実したような気になれたりして
ある意味ストレスはないかもしれないが、どこか他人任せのような気がしてならない

ということで、偏屈なおっさんの思い込みはこんなものという話
ハンナ・アーレントの人間の条件では「労働、仕事、活動」と分けて
面倒くさいことを考えられている
その内容は読んでないのでわからないが、なんとなく想像するに
労働とか仕事よりは、活動こそが人には必要とされていると勝手に想像した
流行りの言葉を使うと、、、、しらんけど、、、

コメント
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