月曜日の朝は、普段なら近所の子供達と校門までウォーキング
だが今朝は代休のため登校無し
子どもたちとのわずか10分ほどのおしゃべりタイムは
精神衛生に非常に良いから、それがないのはちょいと残念
それに曜日感覚がしっかり刻まれるので、ないと不安
子どもの社会でもいろんなことがある
あまり表にしたくない辛いことを隠している子がいる
自身の気持ちのコントロールが上手くいかなくて
一緒に登校できなくなった子もいる
コロナ感染の濃厚接触者の家族となったために
しばらく登校できなかった子がいる
今のところ小さな二年生の女の子は当たり前のように
手をつないで歩いてくれる
去年のGW開けは、学校に行くのが嫌になってべそをかいて
お母さんから「おじさんに手をつないでもらって行きなさい」
と言われて、それ以来続いている
でも多分これもそろそろ卒業だろう
月曜の朝は社会人にとって調子が出ずに
日曜の夕方から気分が冴えない「サザエさん症候群」になる人が多いらしい
大人の社会はこんなだが、記憶が直ぐになくなってしまう子どもたちは
せめて楽しい時間が学校にはある、、と思っていられると良いのだが
ビートルズの「come together」をビートルズの演奏ではなく
ジョン・レノンのライブのCDで聴くとなんだか違和感がある
どこかつまらない
普段聴き慣れているのと違うからだけではない
音楽の質が1ランク落ちてる感じだ
なんでかな?と考えてみると
それはベースの音色のせいだと気づいた
オリジナルのベースは籠もったような柔らかい音色で
雄弁すぎず、だが明らかにこの曲の印象を支えている
だがライブのベースは音程は一緒でも、音程があってるだけで表情が一本調子だ
音色というのは大事だな、、と感じた次第だが
ビートルズはコーラスグループでもある
ビコーズなどのコーラス曲は、3人の音色が似ていて誰の声か?と迷うくらいだ
そしてその同一性はとても心地よい
話は変わって以前、日本のケミストリーという男二人のグループの音楽を聴いた時は
これと全く反対で、彼ら二人の声は同質性はなく、一人ひとりが際立っていた
どちらが良いか?は好みによるのだろうが、自分は音色が似てるほうが好きのようだ
(ビリー・バンバンは兄弟なので音色が似てて気持ち良い)
男女の組み合わせもチェリッシュの音色は好きだが
ダ・カーポの音色は一人ひとりが際立ちすぎてどうも抵抗感がある
この音色はクラシック音楽でも、ドイツの音楽の金管の使い方と
ロシア(チャイコフスキー)音楽の使い方は随分違うように思う
ロシアのそれは生々しく吠える
だがドイツのそれはブレンドされている(ヴァントの演奏はそこが好きだ)
ということで、これが専門的に説得力のあるものかどうかはわからない
ただ自分がそう思っているだけなのかもしれない
でも、こんなことに気づいたり、あれこれ想像することは、、、案外面白い