パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

それは嘘だ!

2022年06月11日 09時50分13秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

自分ではそんなに怒りっぽい方ではないと思っているが
昨晩、目にしたSNSの投稿には少しばかり怒りを覚えた

それを夜中に目覚めたときにタブレットを覗いて見つけたものだから
感情がたかぶって眠るのに苦労した(普段は眠れるのだが)

そのSNSの投稿はリコール運動のことが書かれていた
例の愛知県知事のリコールの際の不正署名を例に挙げて
彼は新城市で行われた市長リコールのときも
閲覧したら不正署名が見つかったとあった

だがこれは明らかな嘘だ
なぜなら、新城市のリコール署名は必要署名数に達しなかったので
選管が署名チェックをしたり、市民に縦覧することは行われなかったからだ
(署名書類は、選管に必要数に足りなかったが、これだけ集まったと報告し関係者が引き上げた)

「縦覧されていないものを見た」ということ自体が明らかな嘘となる
ここで怖いのは、こうした事実を知らない人は彼のSNSの投稿を見て
そのまま信じてしまうかもしれないことだ
あの愛知県知事のリコールと同じようなことが新城でも行われたと、、

当事者だからあの当時のことは記憶している
リコール署名の作業はえらく面倒で、受任者しか署名を依頼することができない
そしてその署名簿は綴じられて、一番上は受任者の資格を示すものがないといけない
署名が終わって選管に提出する時は、これもまた面倒で署名簿はキチンと整理
されていなくてはならない(通し番号をつけて)

たかだか9000ほどの署名簿を我々は時間をかけてチェックした
同じ人が勢いで書いていないか!
とか、想定される「善意の悪」をチェックした
だから自発的に無効と思われる署名は横棒を引いて消してカウントしないようにした
そして判別できないものだけを選管に判断してもらうようにした
(選管がチェックすることはなかったが)

つまりは法に則ってキチンと行ったという自負はある
だから、愛知県知事のリコールの時は、庶民が事実と違うことを勝手に連想して
キチンと行った我々の行為が汚されたような気がして、それが何よりも悔しかった

この彼のSNSにはもう一つ、自分勝手なことが書かれていた
確かにリコール運動があった頃は、リコール推進派と反対派が
チラシとか街宣運動をして街が二分されていた

リコールの場合は選挙と違って、結果的には「何でもあり!」の世界で
それぞれがやりたい放題しても罰則に至ることないそうだ
だから、反対派のチラシにはいい加減なことも書かれていた
それは、そもそもリコール運動を始めた人物は新庁舎の近くの土地所有者で
その土地を高く買い上げてもらうために、庁舎建設にも反対してごねた、、
というようなことが書かれ、そしてその庁舎近くの家の写真まで載っていた

ここでも嘘がある
チラシに載った家は推進派のメンバーの家ではなく全く別の人物の家だ
流石にいくらなんでもこれは酷い!
ということで当事者はチラシ作成人物を「名誉毀損」で警察に訴えた

だがこの名誉毀損というものは、どっちつかずの結論で終わることが多いそうだ
名誉毀損の解釈やら、それがなされた正確な日時とか、、
つまりは感情を害された、、という勢いだけでは何ともならないということだ
警察も実態はやる気のない捜査となるそうだ

訴えられた人物は警察の聴取も受けたらしい
だが受けただけでお咎めなしで、それ故に彼のしたことは悪くななかった
と今になってSNSで身内だけに都合の良い報告をしている

事実はいろんな視点から存在するものだとしても
現実は「言ったもん勝ち!」になってしまうことが多いのではないか

自分は「言ったもん勝ち!」にならないように
一次資料としての記録を残しているつもりだ

住民投票もリコール運動も何年かすれば単なる歴史上の出来事になる
そしてその歴史は、おそらく公文書的に市の整理した内容のものになる(と思われる)
その簡潔に都合よくまとめられたものが事実とされてしまうのは
あれらの運動に関わったものとしては若干の不安を覚える

こうして当事者の愚痴などを残すのは、無駄ではないと思いたい








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