パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

日本語と英語の答えの違い(ChatGPT)」

2023年04月03日 09時09分37秒 | あれこれ考えること

昨日のChatGPTの続き

お試しが英語しかできないと思っていたが、日本語でもできるようだった
そこで今朝は「同じ問題を日本語と英語で聞いて」その比較をしてみた

ChatGPTに問いかけたのは
「カラマーゾフの兄弟の中のエピソードで語られる大審問官の中心テーマは何か?」

日本語で返ってきたのは

フョードル・ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』で描かれる
大審問官の中心テーマは、神の存在と人間の自由意志の問題です

大審問官は、主人公の一人であるイワン・カラマーゾフに
神が存在するならばなぜ悪が存在するのか
また、人間は自由に選択できるのかどうか、という問いについて問いかけます
彼は、これらの問題に対するイワンの答えが
彼自身の信仰に影響を与える可能性があることを心配しています。

このエピソードは、小説のテーマである宗教的信念と人間の道徳的責任
そして家族や社会といった人間関係の複雑な問題を探求しています
大審問官の問いかけは、読者にとっても哲学的な問題を投げかけるものであり
小説の深い思考実験となっています。

次に、英語で返ってきたのは

フョードル・ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』における大審問官の
エピソードの中心テーマは、信仰と理性の対立、個人の自由と制度や権威がもたらす
安心や快適さの欲求の間の緊張である。

小説の主人公の一人であるイワン・カラマーゾフが語る物語の登場人物である大審問官は
権威主義的で制度化された教会を象徴し
自らの弱さや脆さから人々を守るという名のもとに
人々の心を支配し自由を制限しようとします。
物語の中で、大審問官は、地上に戻ってきたイエス・キリストと対峙し
苦しみと不安に満ちた世界で生きていくために必要な導きと慰めを
人類に与えることができなかったと非難する。

大審問官は、人々は真の信仰に伴う自由と責任を扱う能力がなく
個人の自由と尊厳を犠牲にしてでも、教会が提供する安心と快適さを必要としていると主張する
この物語は、制度化された宗教と、伝統と権威の名の下に
個人の自由と創造性を抑圧する傾向に対する強力な批判である。

全体として、このエピソードは人間の自由の本質、社会における制度の役割、
信仰と理性の間の緊張に関する深い問いを探求しています。
このエピソードは、小説の中で最も強力で示唆に富む部分の一つであり
読者や研究者の間で議論や論争を引き起こし続けている。

このように同じ問いかけでも、返ってきたものはだいぶ違う
高校時代に夢中になって、数年前再読したり
この部分だけ時々読み返した自分にとっては
解説文の出来は英語の方に軍配が上がる
感じたものはこちらの方が圧倒的に近い

その違いは、両者には読み込んでいる量の違いがあると想像した
英語の方は十分に読み込まれている(元になるデータが多いし思索されている)
だが日本語のほうは当たり触りのないものになっていて
それは元々の日本語になっているAI
用のデータが少なかったり
データ内の思索が貧弱だったせいかもしれない

ここで心配なのは、日本の物事に対する思索が
世界標準的に深いところまで行われているか?という点

欧米と同じ思考性とかメンタリティを持っているとされるこの国は
実は案外そうではなくて、役に立たない(?)思索を放棄して
楽なほうに流れているのではないのか?と思ったりした

偏屈な田舎もんの独り言!






コメント
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