何かで心に引っかる和歌を耳にした
「あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな」
意味はすぐにはわからなかったが、どこか迫力がある
作者は和泉式部で百人一首の中にあったらしいが
全部は覚えていないので、すぐには思い浮かばなかった
ただこんな歌を詠まれたら、男は困るな、、と想像した
こんな感情の深い女性は魅力的に違いないと錯覚し
振り回されてしまうかもしれない、、と思えたのだった
(実際に和泉式部に振り回された男は多かったらしい)
これと同じ様によくわからないが、とにかく迫力を感じる歌に
こんなのがある
これも百人一首の中の一つで
「ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ」
意味はよくわからなくても「黒髪の乱れて、、」というところが
色っぽい感じで迫力があることは感じられる
この歌は待賢門院堀河の作でやはり女性の詠んだものだ
イスラムの一部の国と違って、日本は昔から女性に教育を受けさせない
ということはなくて、むしろそれなりの教育を与えていたようだ
平安時代の結婚には、男が女のもとに通うためには歌を読むことが必要で
それに応える女性もそれなりの歌の技術が必要とされた
優雅なのんびりしたものと思いきや、案外現実的な判断材料としての
歌であったような気もする
つまり、和歌の技術やその背景への教養は、歌う本人のポテンシャルを
測るのに役立っていると思えたのだ(男も女も)
何かを感じたり技法的に工夫する力は、現実の世界でも役立つ知恵と
なるに違いないと連想することもできる
これを想像させる本に「世界のリーダーはなぜ美意識を鍛えるのか」
というのがあり、判断に困ることの多い現代では、美意識による判断は
馬鹿にできないとするものだった
確かに、百人一首のおえらいさんの歌は、それなりの人間的な総量を
感じ取ることができる
ただ、男と女の違いについては、感覚的にやはり違うと思われる
話は飛ぶが、音楽の世界でも個人的な感覚だが女っぽいと感じる人がいる
クラシックの演奏家では、自分はピアニストのアルゲリッチにそれを感じてしまう
すごい迫力でバリバリ弾くけれど、その演奏する本人の人間性が
男とは違うなにかに支配されている、、と思えてしまうのだ
もう少し分かりやすいポップス音楽では、中島みゆきとか竹内まりあの音楽は
アルバムを通して聴くと、自分にとってはしんどくなってくる
それは自分にとっては、女性の部分が感じられすぎて、、違和感を感じるためで
この感覚はアルゲリッチの場合とよく似てる
ということで、これらは何の客観性もない個人的な感覚に過ぎないが
迫力のある女性的なものは、それが多く続くと
しんどくなってしまうということ
※女性がブルックナーの音楽を受け付けないような気持ちは
これらと反対の力が働いているような気がしてしまう
(単なる思い込みだが)