大谷の使ったバット、マイケル・ジョーダンが履いた靴などは単なるものではなくて
その人の何かが染み込んでいると想像して手に入れたい思う人が少なくない
それは単なる思い込み過ぎないかもしれないが、感覚としてはその気持はわかる
作曲家とか作家の自筆譜とか生原稿は、彼らの創作過程が見えてくるので
思い込みと違う研究的な価値が存在する
昔、あるオーディオショップでモーツァルトの40番の冒頭の自筆譜のコピーを見た
それは額装してあり約30万円位で販売されていた
コピーは限定何枚と制限されていたようで、何分の何と分数が書かれていた
その時のことは今でも覚えている
楽譜を見ると目に入ったのはあの有名なメロディではなくて
第2ヴァイオリンだったかヴィオラだったかが伴奏的に奏でる部分で
それはとても柔らかくて、あの主題を迎えているかのようだった
曲の始まりがいきなりあのメロディではなくて、ほんの僅かな時間だがリズムを刻むような
伴奏音形だったのは、とても効果的に思えて、自筆だからこそ感じ得たものと思えて仕方なかった
だからもう少し低価格なら手に入れたい、、と思ったりした
モーツァルトの自筆譜は他にも、彼の生まれた家とか住んだ家に展示されているのを見たことがあるが
残念ながらあの時の様にモーツァルトの息吹を感じるとまではいかなかった
でも、すごいスピードで書かれていたのはよく分かった
小さな五線譜に、とてもきれいにペンの勢いが感じられるほどで
これは作っているというよりは、書き写していると感じさせるものだった
少し前にモーツァルトに関する本で彼の作曲の様子が書かれた本を読んだ
やはり彼は頭にある音楽を書き写していると多くの人が感じたらしい
段取りとしては、まずは主となるメロディと低音部を書き上げて
その後で既に頭の中にある他のパートを追加したとあった
(この過程はなんだかビートルズの楽曲制作とにている気がした)
モーツァルトのように書き直さないというのが多作の秘訣かもしれない
音楽家とは違う小説家の自筆原稿はあまり見たことはないが
それでも僅かに垣間見たものはあまり訂正がないものが多かった
プロの作家は訂正せずに一気に書けるらしいと言うのが
やはり特殊な才能と思えてしまう
一つ一つ推敲していると時間がどれだけあっても足りない
だから最初から完成しているように文字に起こしているだけと思える
外国の作家(ドストエフスキーとかトーマス・マンとか)の
1ページに文字がいっぱいの文章を読まされる時
彼らはきっと書き直していないに違いない!
と妙な確信をもってしまう
それらと比べてベートーヴェンの自筆譜の汚いこと
これは明らかに彼の試行錯誤の過程が見られる
しかし、それは確かに磨き上げて作り出されたものという感じがする
こうしたどこか作り手の息吹が感じられるものは、感じやすい人には有益で
指揮者は大切に保存されている自筆のスコアを見て
演奏のイメージを作り上げることもあるそうだ
それにしても、やはり自筆譜とか生原稿は
きれいに印刷されたものとは受け取る印象が違うな