パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「既に権力をもっているから」信じるのは、どうなんだろう

2023年04月23日 16時01分36秒 | あれこれ考えること

今日の中日新聞の「視座」には気になる内容が掲載されていた
今回の担当は内田樹氏で、統一地方選の低投票率を問題視しながら
自らの造語「パワークラシー」(権力支配)なる概念を紹介している

統一教会のことも、防衛費増額のことも、増税のことも
インボイス制度のことも、みんな政府が好きにしていいよ!
オレは興味がないから!
と低投票率を生み出す有権者の姿を想像している

日本は権威主義的と「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマには
理解されているが、そもそも権威が信用されるには
王政であれ、貴族政であれ、民主制であれそれなりの理由が必要で
「神から授権された」とか「民意を付託された」とか「賢明だから」
と無理矢理にでも理由付けがなされる
だが内田氏のいう「パワークラシー」は権力者の正当性の根拠は
「既に権力をもっている」という事実に由来するとしている

これは「権力者は正しい政策を掲げたのでその座を得たのであり
その座にある限り何をやってもその政策は正しい」との考え方につながる
それによれば、「選挙に負ける野党は与党のような政策を掲げていないからだ」
との一見現実的な考え方の様に思われる
だがこれは言い換えれば「現状を改変したければ、まずはこのシステム内で成功しろ」とか
「現状を否定したければ、まず現状を肯定せよ」とのディベートに使われそうな理屈が大手を振る

生活実感として現状を否定するからこそ対立候補が生まれ、対立する政策も生まれる
それらは現状のシステム外の考え方となる(あるときは予算の使い方の違いとか)
それを(予算の例で言えば)今討論にあがっている予算の使い方の是非を考えてからにしろ
というのでは、既にその時点で権力者の土俵で戦うことになってしまう

つまりよく言われる「対案を出せ」という理屈は、少なくとも民衆に対しては
求められるべきものではないと思う
民衆としての対案は「現状の否定」ということが一番の肝だ

しかし、権力を持っているが故に権力者を信じてしまう現実は
日本の民主主義が庶民が勝ち取って手にしたものではなく
上から与えられたもので、それ故にいつからか選挙が権利ではなく
義務のようになってしまった流れにつながっている気がする

最近、日本に民主主義は根付いていないな、、
とつくづく実感する








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後のことを知っていると、仕掛けとか意図を想像することができる

2023年04月23日 09時14分08秒 | あれこれ考えること

桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の家系は
「直」という文字がとても大事にされていて
歴史に名を残す「直政」「直虎」その例だ

高校の同級生に井伊直○という人物がいたせいで
数年前の大河ドラマ「おんな城主 直虎」は
通して見ることとなったが、そうだったのか!
と納得したのが徳川家の重要な家臣となった井伊直政の名前のことだ

「おんな城主 直虎」はある意味、高橋一生演ずる小野政次の物語とも言える
家老の職にあった政次は、複雑な状況のなか井伊家を守るために
時には井伊家の意向と違うような行動をする
それは孤独な行いだが、最後の最後になって彼の行いの意図は
理解され、井伊家は一旦家系が途切れたものの
家康に活躍が認められた井伊家直系の若者は
井伊家の「直」の字と、苦労人だった政次の「政」の字をとって
「井伊直政」と名付けられ、井伊家の再興がなされたという結末で
ドラマとしてはは見事な締めだ

このドラマの作者は、最初からこれを念頭に置いてドラマを書いたのだろうか?
と驚きを覚えたのだったが、今年のドラマ「どうする家康」でも
先を見越したと思えるエピソードがあった
少し前の金平糖が出てくる回に、家康の息子(子供時代の)信康と
幼くして結婚した信長の娘(徳姫)との喧嘩(仲が悪い)のシーンが出てくる

時が経過して後に、信康の死という徳川家の悲劇が起きるわけだが
その原因に徳姫が信長に宛てた手紙の中で
信康がよからねことを企てている!との内容があったからで
実は信康と徳姫は仲が悪かった!という説がそこから生まれたようだ

仲が悪かったのは子供時代からだった
と小さなエピソードを早いうちにドラマに入れておき
あの時の話はここにつながっているのか、、と連想できるというわけだ

後のことを知っていると、このように現在系で演じられることの意味が分かってくる
ミステリーなどは再読すると、作者が仕掛けたヒントや仕掛けに気づくかもしれない

実は「カラマーゾフの兄弟」を再読した時にもこれを感じた
長男のミーチャはしきりに胸のポケットを気にしていたと思わせる描写があるが
そこにはみんなに秘密にしていたお金が入っていた、、
という本人にしかわからない事情を説明しているものだ

長編は些細なエピソードが後々効いてくる
源氏物語では、物語の初めに登場する光源氏の藤壺との不倫は
「若菜」の巻でのしっぺ返しにつながっていて
トータルとしての物語の完成度を高めているように感じられる

ということで、後のことを知ってると作者の仕掛けが
いろいろ想像できる!ということ
その想像は違っているかもしれないが、自由に想像することは楽しい

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