愛知県県会議員選挙は3月31日公示、4月9日選挙の日程だ
選挙といえば市議会議員の場合は宣伝カーがうるさいくらい回ってくるが
今回の県会議員の場合は、今のところU候補が公示日に一回、別の日に一回
M候補が2回くらい回ってきたくらいなものでA候補は耳にした記憶がない
自分の住んでいるところは商店、病院、学校、電車の駅に近く
市の中心とまではいかなくても人口密度の高い場所で
宣伝カーも効率的と思われるところだ
ところが、その場所でもこの程度
投票率も毎度寂しい限りの数字だが
実感としてそうなってしまうのもわかるような気もする
建て前としてのマニフェストとか、候補者が当選したらこうする!
といったものは存在して、それはインターネット上で比較できるようになっている
しかし、正直な話、県会議員の立場で威勢のいい何かをする
(予算を必要とするもの)ということは制度上難しいことだ
県会議員には市議会議員と同じく予算提出権がない
県会議員が予算を扱うならば知事に働きかけて予算に組込んでもらうしかない
現在の制度は知事の権限が非常に強く、県会議員は知事の追認機関に過ぎない
との問題点が挙げられているのが現実で、この制度の中では
人々の県会議員に対する関心は生活に密着する市議会議員よりも希薄になっている
県会議員は人々の代表なのか、代弁者なのか?
何をしてるかよくわからないにしても、とりあえずその役割が期待されるので
少なくとも最悪の事態を避ける事のできる民主主義を守るために
多くの人の知恵の結集としての選挙が高い投票率であれば良いのだが
この地区も例外にもれず、それは長い間実現されていない
この県会議員選挙は、現実的にはほんの少数者の意向で決まってしまっているようだ
今回は自民党の分裂選挙だとも言われている
選挙がないよりあったほうが良いとしても
自民党の分裂の理由とかは部外者にはわからないし
それぞれの候補者を応援する人というのは
市長選で見られるいつもの同じ顔の人が仕切っている様に見える
(先日の公開討論会でもその人々は見られた)
つまりは、現実的にはいつもの後援会を組織できる人々が
県会議員の命運を決めてしまうことができる様に思えてしまう
議員は建て前のように、多くの人の判断から選ばれるのではなくて
ある特定の価値観に基づく固定化された仲間内で決められてしまうようだ
そしてその仲間の人々(地域の自民党?)というのが
実は事ある度に自分にとっては、少しばかり違和感を覚える考え方をする人たちだ
それが現実的であったとしても、このような少数者で物事が決まって
まるで彼らの自己満足をするために決められていくように思えてしまうのは
どうにも不満がくすぶってしまう
話は変わるが、ChatGPTで民主主義の弱点は何か?
と聞いた答えが、なかなかのものだったので、上の部分と関連づけて以下に紹介
民主主義にはいくつかの弱点があります。
- 多数決の権威主義:民主主義は多数決による意思決定を原則としていますが
このことが少数派の意見を無視してしまうことにつながる場合があります。
これは多数決の権威主義と呼ばれ、少数派の権利を侵害する可能性があります。 - 人気主義:民主主義では、選挙や投票などで人気のある候補者や政策が選ばれやすくなります。
しかし、人気があるということは必ずしも最善の選択であるとは限りません。
また、選挙運動においては、マスメディアや資金力のある候補者が優位に立つこともあります。 - 決定の遅さ:民主主義は意思決定のプロセスが複雑であり、意見の対立や合意形成に時間がかかることがあります。
このため、政策の実現に時間がかかることがあり、急ぎの問題には対応しづらいという弱点があります。 - 制度の悪用:民主主義は制度に基づいて構築されていますが、その制度が悪用されることもあります。
たとえば、選挙の不正や政治的な圧力によって選挙結果が歪められることがあります。 - 過剰な政治的対立:民主主義では政治的な対立が必ず生じますが、過度な対立や敵対心があると、
政治プロセスが停滞したり、暴力や紛争が生じる可能性があります。