パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

坂本龍一とフルトヴェングラー

2023年04月05日 09時36分42秒 | あれこれ考えること

単なる音楽家の域を超えて故坂本龍一氏は反原発などの政治的な行動に参加していた
芸能会の人間は、当たらず触らずが無難な賢い選択とされていた中で
一人の人間として自らの思うところを表現し行動するのは外野から見れば当然のことで
芸能界の人間が自らの考えや行動を自粛することのほうが異様に思われる
ただそうした世界で生き残るには、思うほど簡単ではなかったかもしれない

自分は残念ながら坂本さんの音楽をあまり知らない
戦場のクリスマスも見ていないし、音楽も知らない
ラストエンペラーの音楽も知らない
YMOの音楽はライディーンをよく耳にするが、この曲の作曲は高橋幸宏さんで
坂本龍一さんではないらしい
(だから坂本さんを紹介するコーナーでこの曲を使用するのに違和感を覚える人がいる)
坂本さんはCMとタイアップした「君に、胸キュン」の多く関わっているらしいが
この音楽は個人的にはそんなに好きではないし、心も動かされなかった
つまりは、坂本さんの音楽的な印象は殆どないのが実態だ

ところが教授と呼ばれた彼は、自分にとっては音楽以外の方が知っている
彼は音楽家以前に一人の人として、何をなすべきかを考えたのだろう

一人の人として社会との関わりを具体的に示す行動で微妙な位置にいたのが
ドイツの指揮者フルトヴェングラーだ
彼はドイツが無謀な戦争を仕掛けた時、音楽界(演奏という社会)の中心的な立場にいた
そして仲間の多くの音楽家が、ナチスに反対して亡命したのだが、彼はドイツに残った
映像でも残っているがナチスの旗がある会場で指揮をして、いかにも印象が悪い
トーマス・マンやトスカニーニなどは、彼に対して結構厳しい批判をしている

彼はなぜドイツにとどまったのか?
戦時中ドイツにとどまって演奏会に協力していたために
彼は戦争犯罪人として裁判にかけられた

彼は現実認識の甘い理想主義者で、音楽のなす力を過度に信じていた
(ベートーヴェンの第九の力は人を善の方向に導けるはずだとか、、)
そして演奏は音楽は演奏家だけでなく、それを聞いている聴衆が一体となって
作り上げるもので、その聴衆は何よりもドイツ人でなければならなかった

彼が裁判において無罪を勝ち取ったのはベルリン・フィルに在籍していたユダヤ人
演奏家を守ったからで、その人達が当時の状況を語り、弁護したかららしい

常識的な見方をすれば彼は芸術至上主義の世間知らず、、
の一言で片付けられるかもしれない
だが、彼に生み出す音楽は、人のなしうる不思議で圧倒的な深みとか
感情を揺さぶる何かがある

戦時中の演奏は聴いていて悲痛とか心の苦悩を感じることがある
自分を理解してもらえるのはドイツ人だけだと思いながら
心のなかではダメージのように苦悩が折り重なる

確かに、彼の選択とか行動には全面的に賛成できるものではないが
彼の作り出す音楽は唯一無二のものだ
(なぜ他の人の演奏とこんなに違うのか?といつも思う)
そしてその魔力にとりつかれた人間はそこから逃れることはできない

ドイツの有名な観光地ハイデルベルク
ハイデルベルク城や学生牢、山の上から眺めるネッカー川が見どころだか
自分にとってはフルトヴェングラーのお墓がある都市の認識だ

これまで2回そのお墓を訪れた
1回目はそこでとても不思議な体験をした
2回目は1回目の不思議な体験の検証のため出かけたのだった

今はフルトヴェングラーの名前を知らない人が多い
それはドイツ人の中でもそのようだ

坂本さんの社会とか政治への関わり合い方が
ニュースとして紹介されているのを見て
ついフルトヴェングラーの場合を思い出してしまった

コメント
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