「一度、レコードを聴きに来てください」
先日、写真撮影と水彩画などに才能を発揮する近所の知り合いに
こんなお勧めをした
さっそく昨日の午後、彼がやってきた
彼が来たらどの音楽をかけたら良いのか?
とずっと考えていたので、オーディオセットのある2階の部屋にいって
考えておいた曲のレコードをかけた
まず最初はバッハの「音楽の贈り物」の中のトリオ・ソナタ
フルートとヴァイオリンとチェロ、それにチェンバロの編成の音楽で
とても心落ち着く音楽だ
演奏はバッハの音楽のスペシャリスト、カール・リヒターを中心とした仲間だ
(この録音はCDでも持っているので比較をした)
レコードの音はフルートはふくよかで、チェロの音は奏者の熱気が感じられる
J.S.バッハ ≪音楽の捧げもの≫ BWV1079 カール・リヒター J.S.Bach “Das Musikalische Opfer”
彼は集中して聴いていた
レコードを聴いた後CDで同じ部分を聴いた
「違いは感じる?」
「うーーん、よくわからないな、、でもレコードって溝があるだけで
こんなに左右から違う音が出てきて凄いな!と別のことを感じてしまった」
忖度なしのとても素直な感想は、第三者の意見として参考になる
次に用意したのは、モーツァルトのピアノ協奏曲代23番の第二楽章
感情に訴えるがウエットではない それ故に寂寥感が際立つ
これらは一度聴けば、こんなにいい曲があったのか!
と感じるに違いないと思い、モーツァルトファンを増やすつもりで選曲した
この曲も彼は集中して聴いていた
Mozart - Piano Concerto No 23 A major K 488 - II Movement - Maurizio Pollini
次はモーツァルトのK364のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の第2楽章
これも知る人ぞ知る有名な曲で、実演で聴いた時は泣きそうになった
ZAGREB KOM 5 • W. A. Mozart: Sinfonia concertante, K 364 - 2. Andante
「どう?」
「なんか、すごく完成度の高い音楽っていう感じ」
「これはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲という曲の第2楽章」
「あれはヴィオラだったのか、、チェロじゃないし何だったのかと思ってた」
彼とはフルトヴェングラーの指揮する「モルダウ」について話した事があって
youtubeで聴いたら、その感想を教えてほしいと言ったことがあった
そこで、今度はCDでフルトヴェングラーとウィーンフィルの演奏を聴いた
Smetana: Vltava (The Moldau) Furtwängler & VPO (1951) スメタナ ヴルタヴァ(モルダウ) フルトヴェングラー
最初のフルートの音からして深さが違う
テンポがゆっくりなだけではない、なにかもっと他のものが詰まっているような
そしてあの有名なメロディが流れた時の憧れのような響き
モルダウはフルトヴェングラーの守備範囲ではないが、
この演奏がクーベリックなどより数段好きだ
「これを聴いた後だと、モルダウはフルトヴェングラーが良いってことになりうそう」
確かに、その曲を初めて(真面目に)聴きいた音楽は全ての演奏の基準になるだろう
最後に面白い演奏をといって、ブラームスのハンガリー舞曲1番を
フルトヴェングラーの指揮のCDを引っ張りだした
Brahms: Hungarian Dance No. 1, Furtwängler & BPO (1930) ブラームス ハンガリー舞曲第1番 フルトヴェングラー
途中から指揮に煽られて、どんどんスピードが速くなっていく
とてもハラハラするくらいだ
「でも不自然な感じはしないね」
「音楽をこんなに集中して聴いたことはなかった」
彼はここまでの時間を十分満足したかのようだ
「また、聞きに来てください、
第九の季節にはフルトヴェングラーの有名なバイロイト祝祭オーケストラのやつ
聴きましょう、でもこれって気合が入らないと駄目だから精神の調子もいい時に!」
こんなふうに気持が通じ合う人との時間は過ぎていった
それにしても、何かを感じるということ、それを表現すること
それはとても大切なことだと思う
そしてそれをするためには集中して対峙することも
次は彼に聞かせる曲は何にしようか?
ピンク・フロイドの「エコーズ」とか
ビートルズのアビーロードも良いかもしれない
こんなふうに考えることは案外楽しい