パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

チャットGPTで遊んでみた

2023年05月27日 09時50分07秒 | 徒然なるままに

自分より10歳以上年上で、ITには弱い人とお茶していた時
その方からチャットGPTの話が出た

まずは経験するほうが速い!
と言うことで、自分がその人の質問をチャットGPTで聞くことにした

彼の質問は
「AIをアイと読ませて愛あるか  この川柳についての感想は何ですか」

答えは
この川柳は非常に創造的で遊び心にあふれていますね! "AI"を"アイ"と読ませることで、人工知能に対する愛情や思いやりを表現しています。 言葉遊びを通じて、技術と感情の結びつきを示していると感じます。 また、「アイ」という言葉は目や心の意味も持つため、愛情の対象としての人間や人間性も想起させます。 この川柳は、技術と感情の関係性について深く考えさせられる一句だと言えます。

これをメールで送ると彼はまんざら気分が悪くないようだった
凄いな!を連発する
彼はチャットGPTを肌感覚で理解したと思われる

そこで、今度は自分がつくった俳句はどんな評価なのだろう?
と聞いてみた

問「何万年紅葉見続け穂高岳」 この俳句をどう感じましたか

チャットGPTの答え

この俳句は美しい自然の風景と時間の経過を表現していると感じます。 "何万年"という表現は非常に長い時間の経過を意味し、"紅葉見続け"という言葉は季節の変化と共に繰り返される紅葉の美しさを想像させます。 そして、「穂高岳」という山の名前が登場することで、厳かで荘厳な自然の景色を連想します。

この俳句は、自然の営みや時間の流れに対する敬意や、人間の短い存在と比べて永遠に続く自然の美しさを感じさせます。 紅葉が季節ごとにやってくる中で、何万年も変わらずに美しい風景が続いているというイメージがあります。

また、俳句の短い形式が、自然の中での一瞬の美しさを捉える能力を持っていることも感じます。 この俳句は、作者が長い年月をかけて紅葉を観察し続け、その美しさを言葉で表現したものと思われます。

全体的に、この俳句は静けさや永遠性を感じさせる美しい自然の描写であり、その風景や時間の経過に触れることで、心に静かな感動や安らぎを与えるでしょう。

全体的に褒められているので悪い気はしない
そこで調子に乗ってもう一つ聞いたみた

問「涸沢の灯火ゆらゆら蝶に雪」 この俳句をどのように感じましたか

一旦答えが返ってきたが、蝶が昆虫の蝶と勘違いしていたので、
穂高連峰の対面の蝶ヶ岳との説明をいれて再度聞いたところ

チャットGPTの答え

申し訳ありません、誤解が生じました。おっしゃる通り、「涸沢の灯火ゆらゆら蝶に雪」という俳句において、「蝶」は昆虫のことではなく、「蝶ヶ岳(ちょうがたけ)」という山のことを指しています。蝶ヶ岳は日本の山岳地帯に存在する名所であり、この俳句ではその景観を表現しているのですね。

したがって、俳句の意味を修正しますと、「涸沢の灯火がゆらゆらと蝶ヶ岳に雪が舞っている」という風景を描いていることになります。涸沢の灯火が揺らめき、雪が舞う中で蝶ヶ岳の姿が浮かび上がる光景をイメージしているのでしょう。

このように解釈すると、俳句は山岳の美しさや季節の移り変わりを表現しており、私たちに静けさや自然の力強さを感じさせます。蝶ヶ岳の存在が風景に深みを与え、雪と灯火が美しい対比を生み出しています。

おっしゃっていただいた正しい解釈に基づき、改めて俳句を感じると、山岳地帯での静かな夜の光景が美しく浮かび上がってくるようです。

それにしても、凄いな、、
先日は不動産鑑定の際の地目は登記された地目なのですか?
と聞いたときには、ずっと疑問になっていたことがスッキリするような答えが返ってきた
(答えは総合すると色んな人が口にしていたのと同じだった)

ただし、これは危険性もあるので、今のところは遊べる範囲で使うことにしよう

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思い出せない脳、睡眠の役割のことなど

2023年05月27日 09時00分46秒 | あれこれ考えること

週刊誌の新聞広告は、文字ばかりなのにとにかく目立つ
同居人はタイトルだけ読んで結構間違いの情報を口にする
目立つのは、人をホッとさせるようなタイトルではなくて
その反対のどこか意地悪い感じのするものだ
人の気を引くには悪口に限る!
と開き直っているような商業主義の典型のような有様だ

書籍の新聞広告費はいつも利用されているので
単発とか時々掲載される他の物よりも安いそうだ

週刊誌はさておき、自分も書籍の広告はよく見る
今朝は身につまされる内容の書籍の広告があった
「思い出せない脳」講談社新書 沢田誠著

なぜ固有名詞は出てきづらい?
思い出そうとすればするほど思い出せない理由
日中に学んだことを睡眠中に脳が「復習」している等など
常々実感する経験が羅列されている

本当に最近は嫌になるほどいろんなことが覚えられなくなって
覚えたことも思い出せなくなっている
だが思い出せないことは、実は生きるための適切な対処方法なのかもしれない
とも思う

少し前「程よく忘れて生きていく」のタイトルの本の広告があったが
まさにその通りだと思ったものだ

この本の広告の隣には阿川佐和子氏の「老人初心者の覚悟」の広告があった
これは脳の方ではなくて見た目の老化
目尻のシワ、毛髪のボリューム、手の甲の縮緬化現象など
どちらかといえば女性の気にする内容を扱っている

歩く速さも少しづつ遅くなっている
月木の朝近所の子どもたちと校門まで歩いて行って、
その途中で「しりとり」をする時などの言葉の瞬発力は
がっかりするほどだ

でも全て仕方ない
受け入れるしかない
(少しは抵抗を試みているが、、)

ところで、「思い出さない脳」の広告に
日中学んだことを睡眠中に脳が「復習」している
との言葉があるが、これは実生活でも実感する

パソコンを触り初めた頃は、誰かに教えてもらうとか
本から学ぶということはなく、とにかく試行錯誤だったのだが
これでできるはずなのに、、何故できないのだろう、、
と堂々巡りすることが多かったが、一晩寝ると
「そうか!」
と頭の中が整理されて理解できたことが多かった

その他にも、市政の問題でもいろんな要素が絡み合って混乱していたのが
朝になるとスッキリ整理されていた、、という経験は少なくない
だから難しい問題は、「一旦寝てから考えよう」
としているのは経験から学んだ知恵だ

そういえば、昔、徹夜で勉強をした人と一度睡眠を取った人では
どちらの方がテストで良い点を取れるか?
といった実験の話がどこかで見かけたが、
結果は睡眠をとったほうが記憶は定着されるようだ、、
との結論が示されていた

昔のことはよく覚えているが、最近のこと覚えていない
は実感することの多い現象だが、この経験からすると
政治家の昔のことは覚えていない、、
というのは嘘だな!と思ったりする

 

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