今までは見向きもしなかった中日新聞の短歌の投稿欄
先日、時代の空気はどんなだったのか?
との興味で「昭和万葉集」を図書館から借りてきたものだから
今朝はごく自然に目に入った
その中で記憶に残ったのが
●外国の戦時下に見るわが昔重き口開く老人多し
(春日井市 加藤はつよさん)
ロシアのウクライナ侵攻からインスパイアされた作品だ
終戦の少し前、豊川海軍工廠の爆撃を受けた経験をもつ母は
ウクライナの戦禍のニュースを見る度に
この歌で歌われたように、辛い記憶を語る
テレビでよく見かけるのは、戦争の現場を知らない人が
机上で損得を想像しているだけのような、どこか他人事のように話す姿
普通、命令したり評論する人たちは決して生死の現場にはいない
だから死に直面している人の気持ちを想像力をもって
いろいろ口にすべきと思われるが、でてくるのは勇ましい話か、都合の良い話ばかり
現在の日本でも仮想敵国を想定したり、日本は凄い!と過度に自画自賛したり
臭いものには蓋をしているような報道の傾向が強いような印象を覚える
ところで、昭和万葉集をパラパラと流し読みしていると
戦前の現場の兵隊さんの歌にこんなのがあった
●ピシャリと列の外れで音がしたいつもの輪卒が殴られていた
●全力もてうたれるびんたによろめくをただちにとりもどす不動の姿勢
●兵隊の吾が身すべなし祖母(おほはは)の一周忌にも帰らざりけり
あの時代の現場では理不尽なことは起きていた
好んで就いた訳ではないのに現実は組織上の無理が通り
兵隊の集団としては世間から持ち上げられた評価を得ていた
(本当にそうかは疑問だが)
そして後の争いで不幸にも死に至った個人は、国から美化して扱われた
(そんな扱いよりも家族と平穏に暮らすことのほうがありがたいのに)
戦争を知っている人たちが過去を振り返ると
現在の世の中は、とても気持ち悪い気がするだろうと思う
ウクライナとロシアだけでなく、世界中がどこかおかしくなっている
まるでブレーキのないクルマに乗っている感じさえする
どこかあやふやな現代
「あの時、何をした?」
未来の人にこの問が発せられたとしたら、自分はちゃんと答えることができるだろうか
ぼーっと生きてちゃいけない筈なのだが、、、