小林秀雄ではないが、急に頭のなかに思い浮かんだ言葉があった
「遊びをせんとや生れけむ」
確か続きがあるはずだがその先はわからない
だが今は便利なツールがある
早速検索に「遊びをせんとや生れけむ」を入れると
すぐさま関連のページが見つかった
歌全体はこうだ
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
これは平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)の中の一つ
意味はなんとなくわかる
念のために現代語訳のページを探すと、分かりやすく解説があり
歌から連想する解釈に多少の違いがある
しかし、ここで少し何か違うぞ!
という思いが残る(現代文の訳はここでは取り上げない)
現代文で分かりやすく解説されすぎると
原文のほんわかしたおおらかな雰囲気が無くなるようで何かつまらない
やっぱり原文のほうが趣というか味わいというか、喚起する力がある
やはり言葉のリズム、音のイメージは大事なものだと感じる
しかし、何故こんな歌が急に頭に浮かんだのか ?
「遊びをせんとや生まれけむ」の開き直りがどこか気持ちいい
と感じたのだろうか
そのうちに確かイタリアにも同じような歌があったぞ!
と記憶が言い始める
たしかメディチ家が活躍した時の歌だ
何だったかな、、、やはりネットの力を借りよう ということで調べると
どうも頭に浮かんだのはゴンドラの唄みたい
命短し 恋せよ乙女
赤きくちびる あせぬまに
熱き血潮の 冷めぬまに
明日の月日は ないものを
だが、こうして並べてみるとあまり関係ないか!
日曜の朝の毒にも薬にもならない話