パンセ(みたいなものを目指して)

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外国の政治家・ジャーナリストは、あの討論をどう感じているのだろう

2021年06月08日 09時46分31秒 | あれこれ考えること

あの人から「安心安全」という言葉を何回聞かされたことだろう
安心は心の問題、安全は制度の問題で、安全が確保されたからと言って
心が安心になるわけではないと、元フジテレビのアナウンサーで
今は弁護士資格を持つ菊間さんはいう

具体的な数値とか条件が示されないのは、政治的な思惑があるせいだと解説者は
説明するが、国会での抽象的なやり取りはもやもや感だけが残る

不意に現在の日本の国会のやり取りを外国の人たち(政治家・ジャーナリスト)が
見聞きしたらどんな風に感じるのだろうと考えた
例えばアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ  いわゆる民主主義国家とされる国は
現在の日本のような国会討論をどのように評価するだろう

日本にいると日本のことしかわからないが
外国の討論の場でもこんな風に、言質を取られないような曖昧な答弁が通用しているのだろうか
だから、そんなのはよくあることと思うのだろうか
それともこの国の進め方はどこか異常で、成熟していない進め方と感じるのだろうか
外国では白熱した熟議が可能になっているのだろうか
どこかの国の討論の場面で議長が「質問に答えていません、きちんと答えてください」
と答弁者を正したシーンがあったが、そのような討論でのルールは
あたり前のように実現されているのだろうか

日本は日本、それは良いとしてもそれが世界標準かという点が気になる
戦争中の真っ只中に行われた知識人同士の討論「近代の超克」は
近代とは現実的には西欧の思考法や文化のことで、
果たして日本人はそれを超えられているのかが問題視されたが
(福沢諭吉もそのような不安を持ったようだが)
この問題は今でも深刻な問題として依然と存在しているような気さえする

思想・文化が内面化されてそれが自分たちのものになる
民主主義とかのシステムも本当に自分たちのものになっているか心配になる
でも、心配ばかりしてても意味はない
ただ上から目線の指摘ではなく、我がことように自ら気づく様になるのが一番で
それには時間も手間もかかるるが、手遅れにならぬようできることをしていくしかない







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