一つ疑わしいことがあると、後から後から疑惑が湧いてくる
というのはよくあること
今回の新城市の新市庁舎見直しについての住民投票に関しても
良くわからない出来事が平気で進んでいく
まずは圧倒的な事実として設問が判断しにくい
つまり、何をいっているかわかりにくく、普通の人の判断はできない
にも関わらず、それを頑なに変えようとしない
でもその前に、住民投票に反対していた議員が
あるときから急に方向転換して、住民投票をしようという
流れになった不自然さがある
建前上は、短期間に9000もの署名が集まったからその声を
無視する訳にはいかないから住民投票に対する考え方を改めた
というのだが
実はそうではなかったようだ
新城市議の山崎 祐一氏の発行する「「新城公論」にこんな文章が乗っている
(住民投票の)条例文については、万が一のことを想定し、穂積市長らの指示で、
市の担当部局で 2月中旬ころから素案づくりに入っていました。
3月に加藤、白井議員と共同提案が市民の声に圧倒されて
自然となされたのではなく
初めから条例案(文)も検討した後のお決まりのコースだったということだ
これで一気に議員たちが態度を変えたのかが理解できた
ここで新城市議会の現状は、反市長派2人、共産党員1人、 独特な立ち位置2人
後の13人は市長派ということらしい
つまり民主主義の多数決はこの13人にかかっているわけだが
この人達の判断が市民目線かどうかといえば、、、
とにかく、ひどい話だ
もっとも、市長側からすれば準備の良い段取りということが言える
その面では用心深く、先を読む力もある
そして言葉の上での法律上には問題がなさそうな形に持って行けている
今度の住民投票は18歳以上に投票のハードルが下げられた
若者に関心を持ってもらえるように、、、
聞こえはいいが口にしない本当の目的は
投票率を下げるため
これはある議員が口にした言葉だ
用心深いタイプの人はここでも保険をかけている
まずはわかりにくい文章にして答えを分散させる
次に仮に結果が大幅な見直し〈規模縮小の)となったら
投票率の低さを取り上げて、市民の総意ではないといいそう
以上は偏った考えであることは認める
しかし、そういう考え方もできるということ自体が問題
それにしても、一体どうなっているんだろう
新城市の議会、行政は
何故もっと前にまともな議論がなされなかったのだろう
しないようになっていたのだろうか
それとも(議員が)ぼんやりとしていたのだろうか
腰痛持ちさんも手に入れられたのですか?
議会や市長派の議員たちのあやしい動きは白井啓倫議員のブログでたびたび指摘されていましたが、私には白井議員の勘ぐりすぎなのでは?と半信半疑でした。
市長派の議員の言い分も聞かないとわからんよなぁ、と思っていたとところへおあつらえ向きというか、あちら側から内幕を暴露するような文書「新城公論」が出てきて、杜撰というか粗雑というか・・・。
議員のみなさんは自分たちが市民からどう見られているのか自覚はあるのか?と批判するというより気の毒で心配になってしまうほどです(特に山崎とかいう議員のバカさ加減に)。
私が情報を得るために見ているいろんな方のブログ、facebookでは今議会や議員に批判の目が向いています。
これは議会や議員にしっかりしてもらうために必要な批判活動だと思いますが、ここらでいったん小休止してもらって、住民投票を市民にしっかり理解してもらい市民自ら新城市の舵取りを行えるような気運を高めていってほしいなと思っています。