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今日の中日新聞から「メディアは十分な検証を!」

2016年08月30日 08時50分54秒 | あれこれ考えること

先日、大衆が政治的なことを判断する場合、住民投票や
国民投票で正しい判断がなされるかどうか
疑問とか不安を覚える旨をサラッと書いたが
(正しい判断とは何か との細かな定義付けは少し横に置いておいて)
心配の大きな要素となるのは、多くの人の目にする情報のこと
その情報が十分なものかどうかとても不安だったからだ

情報を自ら進んで集めて考えていくタイプの人はいい
しかし、既存のメディアから垂れ流しの情報でなんとなく自分の
考えをつくっていくタイプの人は(多分こういう人のほうが多い)
後悔をしないだけの判断力を持ちうるか、、、
そんなことを思っていたら今朝の中日新聞にこんな記事が載っていた

イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票の時のメディアの伝え方の調査だ
やはりと言うか、イギリスでもそうなのか、とも思われるような事が書かれている

以下気になる部分の抜粋引用 


●テレビは規制機関や独自のガイドラインが定める「公平性」にしばられる
しかし、表面的な公平性を重んじるあまり、残留、離脱説それぞれの主張が事実かどうか
検証する姿勢が弱かったと指摘されている

●放送局は両陣営の放送時間を「公平」にしたかもしれないが、独自の立場でもっと主張の検証や
反証が出来たはず

●主張が真実かどうかを遠慮なく追求するのがジャーナリストの役割だ

やはりメディアは発表報道ではなくて検証を基にした報道の立場でなければならないはず
と説いている

中日新聞はわざわざイギリスのことを書いているのではなく
当然のことながら、日本のことを想定している
果たして日本はどうか?
よく考えて欲しい、、と自ら媒体の使命として取り上げたのかもしれない

最近の日本の報道は、、、
時間の公平さが金科玉条のごとく公平さの評価としたいようだが
肝心な検証という点ではどうなのか

またアンケートを実施して客観的なニュアンスを演出していても
そのアンケートの文言を読み込んでいくと、明らかにどちらかの答えを
導くような質問になっていたりする

実際のところ(こんなふうにいってしまうと元も子もないが)人は
正確に公平な客観的な態度をとり得るかが大いに疑問だ
同じように話を聞いたとしても、大半は聞く前からどちらかの意見(話)に
共感を得ている
一応同様に話を聞いたことになっていたとしても、
それは自らを納得させるだけに過ぎないのではないか

「意識は傍観者である」という以前読んだ本の中に
こんなふうなことが書かれていたし、多分ややこしい認識論をめぐって考えていっても
完全に客観とか公平などはないということになりそう

最初からどちらかの考えを持つことは仕方ないとして
それを裏付けるキチンとした検証した情報、そしてそれに反する検証なされた
情報は公にされないと自らも納得出来ないのではないか

   

ところで、この中日新聞の記事の最後に、少しキツ目の話が載っている
●情報が不十分だったとの批判は誤りで
 残留または離脱で英国がどうなるかなどの事実を示したとしても
 人々は関心を払わなかっただろう
 有権者を引き寄せたのは離脱派が唱えた「(EUから)実権を取り戻す」
 といった政治的なスローガン

確かに情報は正確で検証されていたとしても、それを読みこなす、消化し切るのには
時間や知識、熱意が必要だとしたら、そんなのは面倒で人はわかりやすい話に流されていきそう
するとより適切なスローガンを掲げた(良いコピーを書いた)陣営が勝利を収めそう
というのはありそうな話だ

まともな判断をするための前提としての検証された情報の提示だけでなく
面倒でもそれを基に判断する人々をすこすづつでも増やしていく
こういう行動がないと、普通の人は正しい政治的な判断はできないのではないか
と思ったりする

それにしても、最低限メディアに願いたいことは
大本営発表をそのままの報道ではなく、検証の充分なされた調査報道を
してほしいものだ(国のことも市のことも) 

※話がうまくまとまらなかったな、仕方ないか

 





 

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