行く宛もなく思いついたことをつらつらと、、、
江戸時代は大きな戦争が200年以上なかった
確かに身分は固定化して不公平なところはあったようだが
人々(庶民)はどのくらい不満を覚えていたのだろうか?
あったとして、それは革命を起こすほどのものだったのだろうか?
現在の日本ではサムライという言葉がいろいろ使われる
例えば野球の日本代表にも使われるし、それはいい意味で使われる
新渡戸稲造は日本には西欧ほど確固とした地位を占める宗教がないが
それを補い倫理観を育んだのは武士道というサムライの心構えとしている
(でも武士でも貴族でもない底辺の自分は、武士に憧れることもないし
本当に武士道の精神が一般社会に行き渡っていたのか少し疑問を覚える)
落語でもお侍さんを立派な人として扱っているものもある
「井戸の茶碗」では真っ正直な武士が活躍して、庶民からも一目おかれている
そういえば、江戸時代に流行しだした端午の節句の五月人形も
武士に憧れて飾っているから、庶民の感覚としては
武士は身分制度の不満はあるものの、良いお侍さんもいるし、仕方ない!
くらいの感覚だったのだろうか
江戸時代は寺子屋が盛んになった
そこで学ぶのは実用的な読み書き算盤だけでなく
今でいうリベラルアーツ的な教養的なものもあったようだ
昨年か一昨年読んだ「花祭りの里、、江戸の裁判」では
江戸時代にも裁判制度があって、それもなかなかしっかりした運営が
なされていたと実感したが、庶民は現実的にそれらで猛烈な不満を
覚えるほどではなかったようだ
つまりは、庶民にとって江戸時代はそんなに悪い時代ではなかったような気もする
(昔読んだ江戸時代の歴史の本を読んでみようか)
外国の人間が日本に来るようになって、社会の変化が求められるようになり
結果として明治維新がなされたが、外国人が日本人をみて驚いたことには
文字が読める人の多かったことらしい(寺子屋のおかげ?)
植民地政策を進める外国でも、文字の読めない人たちの存在はそれなりにあったようだ
そういえば、一部の女性の知識の高さは今年の大河ドラマでも扱われている
確かに子供を生むということが女性に求められた大きな役割だったようには思えるが
それでも日記とか物語を残すだけの環境はあったことがすごいと思う
ここまで来て、連想は全く関係のない話に移る
伊勢神宮を参拝した天皇の娘愛子さまは、大学時代の研究は
式子内親王だったとされている
すぐにはどんな人か思いつかないので、検索すると彼女も天皇の娘であり
斎王の立場でもあったようで、おそらく自分の立場にシンパシーを感じたと思われる
式子内親王は百人一首にも選ばれた歌があった
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの よわりもぞする」
すぐには意味がわからないが、すごく感情的なものは感じる
22歳になれば、こうした気持ちもすんなり理解できるようになったのだろうか
そしてそれは、とても良いことだと思われる(余計なお世話だが)
思いつくことは、いつも結論がでるとは限らない
むしろ単に浮かんだだけで終わる
それはまるで夢のようなものだが、何故かそれも生きている証のような気もする
とりとめのない話、、
だが連想とはそういうものだ!
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