パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ブルックナーの初稿版の演奏

2016年11月13日 18時55分22秒 | 音楽

昨日「不機嫌な姫とブルックナー団」という小説を読んでいて
ブルックナー自身の指揮で3番の交響曲の初演の事が書かれていたが
それが面白かったものだから昔購入した初版のレコードを引っ張り出して聴いてみた
 

ヴァーグナーが興味をひいたトランペットの主題が活躍する第一楽章は
自分はそんなに面白くなかった
2楽章も似たようなもので大して感想するまでは至らず
ところが後半の3.4楽章が俄然面白くなった
ブルックナーの馬力が開放されて、何かよく分からなくても中身が詰まっている

そこで勢いにのって4番「ロマンティック」も聴いてみた
日曜の昼間、少しくらい音量が大きくても許されるときだ
これは何回か聴いたことがあるはず
ところが普段演奏されるものとどのように違っているかは記憶に残っていない
そのせいで却って新鮮な気持ちで聴いていられた

曲は全然違う
手直しどころではない
別の曲と言ってもいいくらい
確かに普段聴く版のほうが起承転結がはっきりしていて見通しもスッキリしている
初稿版は行きつ戻りつ、突然の大音量と休止
一体何を考えているのかわからない
いや考えている過程がモロにそこに現れているような気がする
思いついたアイデアをそのまま音にしている感じ
前後関係が全然ないかと言えばそんなことはなくて
それなりに統一感を持つように考えられているような気がしないでもない

それにしても馬力のある若々しい音楽だ
本来のブルックナーはこうした音楽が書きたかったのだろう
でもそれではみんなに受け入れられない と考えた弟子たちの気持ちも分からないではない
金管の咆哮はチャイコフスキーのような鳴らしっぱなしとは違う
(何か大きな音を出して気分良くなる気持ちがブルックナーの場合はある) 

この音楽を聴いていてフイに9番の終楽章を
補筆して録音に取り上げたラトルの演奏を思い出した
あの音楽も捉えどろろのない、何処に向かっているのかさっぱりわからない
ような音楽だ
ところが今日初稿版のロマンティックを聴いて、
これとそんなに離れている世界ではないと気づいた(感じた)

知識人ではない、音楽の才能だけ突出した垢抜けない田舎のおっさん
このおっさんの音楽をわかるには、もしかしたら自分たちのほうが遅れているのかも知れない
時間をおいて彼の一番最初にイメージした音をたどるのは
意味ないことではないかもしれない

初稿版でも演奏会 近くで行われないかな
4番、8番はあったら絶対に行く
9番の終楽章のある演奏会も、かならず行く
昨日の小説によれば、自分も立派なブルックナー団の一員だ

ところで、名古屋で25日には学生オーケストラでブルックナーの5番の演奏会がある
上手い下手は関係なく行くつもり

 


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