パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

足りないのは想像力、思いやる心

2008年07月18日 22時00分01秒 | Weblog
先日、日経系列の新聞にコンビニ深夜営業禁止の
条例に関するアンケートが載っていた
消費者の60パーセントは不便になることを危惧する
と言った様な内容もあったが
ここで一番気になったのはアンケートの母集団のこと
それは首都圏(東京、名古屋、大阪)に住む人々に行ったものだという

果たしてこのアンケートの結果が
今の日本の人々の気持ちを代弁しているかと言えば
大いに疑問を感じざるを得ない
人口の大半は大都市に住む傾向があるものの
明らかに普段自然に接し、朝起きて夜は寝るものとしている人々との
(つまりは地方都市、田舎に住む人々との)
感覚の相違は大きいだろう

普通の、過度に頑張らない、そして頑張らなくてもいいと
思っている人々は、この24時間営業を
二酸化炭素を減らす為に反対しているのではなく
むしろ深夜まで起きていたり、そうまでして働く社会そのものに
疑問を呈しているのだろう

深夜労働をする人々にとって深夜営業のコンビニは便利な存在なのはわかる
だが、そもそも深夜労働自体がおかしくないだろうか?
生活を楽しむ為に夜遅くまで起きているのはいいとしても
機械の効率の為に、またロジスティックスの利便性の為に深夜働くと言うことは
はたして持続可能な生活なのだろうか?

本当は改めるべきは24時間営業のコンビニではなく
そうしたことを当たり前の様に感じている生活様式であるべきだろう

便利な社会は、結局は誰かの犠牲の上に成り立っている
そんなものは当たり前で仕方ない!
と簡単に割り切ってしまう前に、
例えば深夜労働で頑張らざるを得ない人々のことや
低賃金で派遣で働いている人々のことや
また劣悪な環境で機械に支配されて働いている人々のことを
少しは想像してみることが必要なのではないだろうか?

最近マスコミに出てくる人の話は(評論家と称する人たち)
彼ら自体が既に発言力を持つ立場にいるので
弱い立場の人間に対するコメントも
どこか上から物申すみたいになっている

たとえば派遣社員から正社員になれないのは
当事者の努力が足りないからだとか
会社が業績を上げる為には(会社がつぶれてしまっては意味がないから)
調整弁として派遣社員を効果的に使う様にしなければならない
等と平気で口にする

最近足りないもの、
それは上の立場にいる者の弱者に対する想像力、
「強きをくじき、弱きを助ける」といった心情
幸運にもハイクラスな立場になった人は
もう少し自分のできる範囲内での義務を
自発的にできる様になればいいのだが
無理な話かな?



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レコードとCD(音量を絞って聞くと)

2008年07月17日 21時42分56秒 | Weblog
流石に夜は大きな音で音楽を聞くわけにはいかない
そこで音量を絞ってレコード、CDを聞くわけだが
気のせいか音量を絞った時の音楽の聞こえ方が
レコードとCDでは違う様に感じる

音の小さなのは同じなのだがCDの方は
食事ダイエットして身体の筋肉が落ちたみたいな音の聞こえ方がする
一方レコードの方は全体のバランスは崩さずに形だけが
一回り小さくダイエットした様な感じ

最近は多少の面倒も気にならずレコードばかり聞いている
レコードの音は頑張ればもっといい音になるのは想像がつくが
CDも機械によってもっといい音になるのだろうか?
どうも今イチ、その気になれない自分がいる
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設備投資ができない?

2008年07月16日 21時03分48秒 | Weblog
ここ10年のIT関連の技術の進歩は凄まじい
今では当たり前の様に使っているこのパソコンというもの
自分が手にしたのは1999年11月8日 スケルトンのiMacだった

当初はパソコンに向かいながら独り言や
汗をかいたり、カッカしたり
また少しずつでも覚えていく充実感など
様々な経験をした

ハードディスクは6G  CPUは330Hz  メモリは256MB
CDはやけなかった
そしてインターネットは当たり前の様に電話回線

それが今ではどの家庭にもパソコンはあって
インターネットもADSL 光ケーブル CATV回線など
でつなげる様になっている

こんな進歩の中、大きく変わったのは人の気持ちだ
第一に、誰でも不特定多数の人にメッセージを発信できるということ
そして、情報を多くの中から偶然に近い形で得るのではなく
欲しい情報をストレートに一直線に求めることができる
つまり無駄な情報を邪魔に感じてしまうメンタリティーが
知らず知らず多くの人の心に育っていったようだ

この変化はまだまだ途中だから
最終的にどんな形に落ち着くか誰にも予想がつかないだろう

この様々な進歩
いい事ばかりではない
知り合いの印刷関連のデザイン事務所、数軒が
同じ問題を抱えて困っている

印刷関連と言えばコンピュータはMacが主流で
使うアプリケーションと言えば
値段が高いイラストレータやフォトショップ
出力関係も安定した環境で行いたい為に
長らくOS9  イラストレータも8.0での作業が一般的だった

ところが数年前からMacのCPUがインテル製になって
また、アプリケーションもCSまでヴァージョンアップしている
そしていろんなところが印刷物の内製化をはかりだした為に
プロ仕様のこのアプリケーションを一般の人たちが持つ様になった

その結果、困るのはデザイン事務所で
コンピュータを最新のMacproの替えなくてはならないし
アプリケーションも最新のCSにしなければならない
そしてフォントも入れなくてはならない、、、、

しなければならないのは現実としてあるのだが
これから先の展望が開けないでいる
地方都市の印刷の需要は既に頭打ちになって
今後もクライアント数の増加も見込めず
はたしてこれらの高額な投資が果たして現実的かどうかが
彼らの頭を痛めている

客観的に眺めていくと、どの業界も
大が小を飲み込む(潰していく)様相で
何一つ例外はなさそうに見える

そんな時に行く先に可能性がさほど見えない中に
投資をためらってしまう気持ちはよくわかる

もっとも知り合いのデザイン事務所は
年齢のいった人がやっているだけにその傾向が強く
仮に若い人たちだったら、うんともすんとも言わず
設備投資してしまうかもしれないが、、、

それにしても、機械の進歩はいいとしても
もう少し長く使える様にしてもらわないと
いつまでたってもメーカーの言いなりになって
常に最新のものを買わなければならなくなってしまう
お金は無限大にある訳ないので
そんなに買い続けることはできない
困ったものだ!



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忠臣蔵は共感できない

2008年07月15日 21時27分38秒 | Weblog
日本人の多くが大好き!と言われる「忠臣蔵」
しかし、自分は好きではなかったし
今でも好きではない

なぜなら47人の切腹という状況が
主君の無念を晴らし、武士としての本分を全うしたといっても
どう考えても肯定的に考えることができないからだ

こんな風に急に思ったのは
「瑤泉院」忠臣蔵の首謀者 浅野阿久利
         湯川裕光 著
を現在読みかけだからだ

何となく嫌っていた忠臣蔵
それでも一度しっかり読んでみようかと手に取った本だ
この本はどこまでが資料でどこまでが本当なのか
不勉強な自分にはわからないが
なんとなく大枠は「なるほど、そういうことだったのか」
と初心者にはありがたい本だ

だが、やっぱり男の書いたロマンティックな内容の一言につきるかな
なにしろ「瑤泉院」が完璧すぎる 人格的にも行動も
それは男が、女にあってほしい姿をそのまま書いているからだ

こんな人間はいやしない!
リアリズムを求めるなら
これは確かにロマン的な小説の過ぎないだろう

急にドストエフスキーの各自が勝手にしゃべりだす
不完全な人間たち、そのなんというリアリティー
なんと言う凄さ!てな事を思いついてしまった

それにしても地元の吉良様
正直なところ悪人にされて、罪もないのに目の敵にされて
かわいそう
そして吉良さんの警備に当たった者も
訳もわからず(?)襲われて、殺されて
どうも今の感覚からすれば、えらいトバッチリを受けたものだ

ただ、その時代の雰囲気はどうやら赤穂浪士側への共感が多く
討ち入りも「すべき」との空気に満ち満ちていたみたいだ

それにその当時の武士のメンタリティーを
現代人の感覚で判断するのは間違っているかもしれない

森鴎外の「阿部一族」に
あまりにも簡単に切腹するシーンがでてきて
そして民衆もそれを支持する様な雰囲気があったようで
どうも今の感覚からはだいぶズレている

話は飛ぶが、もしかしたら、あの評判の悪い新選組の
やたらと多い切腹も
じつはそれ程珍しくもないことだったのかもしれない?

小市民の自分は、大義を全うした人を(討ち入りに参加した人を)
たいしたものだと思う反面、
途中で抜け出した人の気持ちもよくわかる

だが、かわいそうなのは、後で
討ち入りに参加しなかったことを批難され
切腹をした人がいたということ

どうも体面ばかりで人の命が軽い
(こんなのが武士だったら我々は
 三島由紀夫が必死に叫んだ
 武士なんかでなくって結構だ)

またまた話が飛ぶが、忠臣蔵の映画に連れて行ってくれたのは
祖母だったが不思議と覚えているのは討ち入りのシーンではなく
浅野内匠頭の切腹の時の
「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせむ」
と和歌を詠んだこと
なにかこの方が美しい行いのように思えてならない

ま、何があっても忠臣蔵は好きになれそうにない
かな?











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幼稚園児から小学生になった子供たち

2008年07月13日 09時53分27秒 | Weblog
雨、雨、自分の体調不良で約1ヶ月できなかった少年サッカーの練習
暑くなってきたので昨日は、
この時期定番の夕方6時半からのスタート

さて1年生、終わりが9時くらいになるので
出席はどうかな?
と心配したが二人欠席の12人

本当は自分は1,2年担当なのだが、あまりにも学年の力の差がありすぎて
どちらかを主体にすれば片方が辛い練習になってしまうので
昨日は(昨日から)1年だけにしぼった

久しぶりで、子供たちにとっても夜の練習が珍しいせいか
全体的に上手くいったと言える
もっともサッカーの練習というより、
今はひたすら走り、前に蹴るだけに終始しているが

今朝、起きてみて喉が痛いのは相変わらずなのだが
ふと思ったことがあった
それは昨日は皆に言葉が通じたという手応えを感じたこと

相変わらずマイペースな子たちばっかりだが
それでも4月当時の彼らとは明らかに違う

今思えば4月は全くの宇宙人、幼稚園児で
こちらの言うことを、ほとんど理解できていなかったのではないか

4.5.6.7月、この間の小学校の生活が
彼らを幼稚園児から小学生に変えてきている
そう思うと教師たちは大変だな!
とあらためて実感する
第一、言ってもわからない
怒られても、その雰囲気はわかっても
自分が何故怒られているかわかっていない子が
大半ではないだろうか?
いやいや子供たちはそんなに幼稚ではない
との考え方もあるだろうが
自分は余程悪いことをしていない限り怒るのを
我慢する様にしているつもりだ
(ところが先週お願いした別のコーチには
 あのコーチ恐い!と言ったとか
 うーーん、彼らとの付き合いは難しい)

幸い1年に限っているので、自分の目的は
彼らを「やんちゃな男の子」にすることに設定している

ボールに夢中になって走り回り、急に止まったり
時には転んだり、擦りむいたり
人とぶつかったり、負けるのが嫌いで
負けた原因を誰かの所為にして批難したり
つまり、その時期に持っている野生児的な感情、感覚を
思い切り発揮させてあげる様にしている

練習後の子供たちのスッキリした顔の様子を見れば
その日の練習が楽しかったかどうかの判断材料になる

まったくこの時期はサッカーがうまい、へたよりも
みんなと一緒で楽しいとか
練習をしていると以前できなかったことができる様になって
努力することは報われてよいことだ
という感覚を与えたいと思っている

それにしても昨日は本当に楽しかった
そんなだから、次はどんな練習をしようかと
いろいろ頭に思い浮かべている

またまたいつもの言葉だが
ボランティアでやっているというものの
子供たちに遊んでもらっているのかもしれない


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「暑い時は、無理しない」それができればいいのだが

2008年07月12日 15時41分19秒 | Weblog
暑い!
土曜休みだからいいものの、これが仕事だったら
短パン、Tシャツという訳にもいかず
それを考えるとゾッとする

そして一番辛いのは月曜の朝
それまで短パン、Tシャツでいたのが
スーツにネクタイ!
本当はクールビズどころか短パン、Tシャツで
仕事ができたら思う
なんだか気持ちまでのんびりしてしまいそうだが

それにしてもこんなに暑くしたのは
人間様の所為なのだが(?)
この暑い中エアコンを効かせて必死に働く!
ってのは豊かなことなのか?と思わざるをえない

暑くてどうにもならない時には
ダラーッと避暑地にいくとか
昼寝をするとか
それでやっていけるのなら、そんな風にできることこそが
豊かな生活の様に思える

ヨーロッパではバカンスとかウアラウプとか
日本では考えられないくらいの長期休暇をとることができる
彼らにとってはこの休みの為に働く!
みたいなところがあって
充分休むことによって仕事への熱意も
湧いてくるというものだろう

もちろん全部が全部そんな生活ができている訳ではないだろうが
それでも休みはお盆の1週間に集中して
時間のかかる海外旅行は学生時代だけとか
ササーッと名所旧跡を足早に訪れて
証拠の写真を撮りまくる日本の旅行の仕方を
間接的に決めてしまっているのは
長い休みを取れないこの国の
社会状況、精神風土だろう

なんだかな
みんな無理をして頑張っている
勤勉で(最近はそうではないらしいが)おとなしいこの国の
大半の人は、自分たちが昼光性の動物としての人間であることを
忘れてしまっていたり、忘れさせられたりしている

効率のため深夜も働く
それは果たして人間的なことなのか?

そうしなければコストも上がるし
売り上げも確保できないからという理由で
このシステムはおそらく続いていくだろうが
これは昨今でもてはやされるロハスなのだろうか?
(少なくとも持続可能とはなかなか思えない)

こんな風な考え方をすると
「負け犬」みたいなとられ方をするが
どう考えても今の経済至上主義が
人間にとってよい世界ではない様な気がしてならない
(だが自分にとっても目先の経済的な
 勝負に負けたくないのも事実だが)

結局、酔っぱらいの戯言みたいな愚痴に過ぎないのだろうが
こんなことを言う人が増えてきたら
少しは世の中も変るかも、、、

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iPhoneを買う人、買わない人

2008年07月11日 21時45分25秒 | Weblog
予想されたことだがiPhoneの発売日の行列と
その様子を伝える横並びのテレビ放送

確かにこの行列はイベント化している
工業製品だからいつか手に入るにもかかわらず
焦って並んで、いの一番に手に入れようとするのは
並ぶことに意味のある(自分自身の思い出づくり)
行為となっているからだろう

ところで、試しに若い子にiPhone欲しい?(買いたい?)
と聞いてみた。
当たり前と言えば当たり前だが人によって答えは随分違う
ただテレビで言われる程の熱気はない

欲しい人はiPhone自体の機能をよく知っている
というか既にiPodを持っているくらいの人で
どちらかと言えば音楽好きか、コンピュータ好き

一方、欲しくない人は絵文字ができないから
ワンセグが見られないから今の携帯で充分との答えだ

このワンセグと絵文字の問題
欲しい人には全然欠点とならないだろう
この手の人はiPhoneのそんなことを始めっから期待していない
彼らにとってiPhoneは情報端末に電話機能がついたもの
もしくはiPodに電話機能がついたものと考えている
つまりappleが期待する様なコンピュータとのシンクロを
前提として考えそうだ

この性能を不十分と考えるタイプの人は
携帯電話としてのiPhoneを他の多機能な携帯電話と比較して
完成度が今イチと考えるのだろう
そして必ずしもコンピュータとシンクロさせることは考えていない

テレビとコンピュータ
同じ様なディスプレイを見ているのだが
それに向かう姿勢が実は随分違う
コンピュータは自ら仕掛けていくタイプで
テレビは受け身で楽しむタイプ

こうした性格の違いが
iPhoneを情報端末に電話機能がついたものと考えるか
単におしゃれな携帯電話と考えるかに分かれるだろう

ただそれにしても、ことデザインに関しては
iPhoneは確かに美しいし、非常に洗練されている
こうした美しいものを日常に持つことは
想像以上に心を豊かにする
(目が美しいものに慣れると、美しくないものが気になる様になる)

さてこのiPhone 自分はどうかと言えば
欲しい!ほうのグループだが
docomoからsoftbankに変ってまでの気力はない
docomoから出れば今の携帯の交換の時には考えてみたい
ただ料金プランもこなれてくれないとダメだが、、、
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早寝、早起き

2008年07月10日 23時17分21秒 | Weblog
そして、一日24時間のうち
8時間は睡眠に
8時間は仕事に
残りの8時間は自分の時間に当てることができ
日に一度は家族の顔を見ながら食事ができる
幸せとは 具体的にはこんなもんではないだろうか?
(つまり、かなり動物的な生活?)

持続可能な生き方
そんなものは小難しく言うより
実際のところはこんな基本的なところにあると思うのだが
問題は、この簡単なことを遂行することが
いかに難しいか、と言う点

今は便利な世の中ではあるのだが
残念ながら幸せな世の中とは言えないようだ
何とかならないかな!
何とかしなければ?
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梅酒

2008年07月09日 21時41分31秒 | Weblog
梅酒なんて焼酎に梅と氷砂糖を
漬け込んでおくものだ
たまには同じ蒸留酒のブランデーに
漬け込んでおくのも見かけるが
その程度のものと思っていた

しかし、久しぶりに酒屋さんに行ってみると
日本酒に漬けた梅酒があった
珍しいと思ったが最近ブームだとか

日本酒の醸造元が作っていて
焼酎ベースのものもあるが、やはり売りは
日本酒ベースのものらしい

で、早速買ってみた
といってもたくさんあって悩んでしまったが
とりあえず加賀梅酒 萬才楽

さーらりとした梅酒 とは両極の
トローリとした梅酒で
基本的には飲兵衛ではない自分にとっては
濃厚で美味しいお酒だった
それでついつい飲み過ぎて
いい気分で眠いことしきり

それにしてもあれだけ各メーカー物のが揃っているから
一つ一つ味見していくのが楽しみだ

こんな風に庶民は、その日その日の楽しみを見つけていく
何も進歩はないが、最近はこうしたことが
とても大切なことのように思えてならない
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カッコイイ行い

2008年07月07日 21時22分36秒 | Weblog
昨晩は熱帯夜、寝苦しい一夜だったせいで
今日は晩御飯を済ませたら眠い眠い!
これからこんなことが続くと思うと
そしてこれからが本番となると
本当に困ったものだ

それにしても子供の頃は
夏はこんなに暑くなかった
そんな風に話す人が多くいるし
自分もそんな風に思うから
確かに地球温暖化は進んでいるのだろう

さて話は変わって
例えば、若者が電車で妊婦や老人を見て
席を譲ったとしたら
それはカッコイイと積極的に評価して
カッコイイとは実はこういうことなのだ
と教育していったらどうだろう

そんなのは当たり前!という前に
少しばかり周囲の視線を気にして
または疲れた体に鞭打って席を譲った行為は
評価に値するのではないかな

カッコイイとはこうしたことが
ごく自然に出来るようになることだと思うのだが、、
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