パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

風鈴

2008年07月06日 21時15分29秒 | Weblog
小市民のせいか、それを買うまでに迷ってしまったのが
「南部鉄の風鈴」

店でその音を聞いてすっかり気に入っていたのだが
それだけのものに払うには少しばかり値段が高すぎる様で
それでも気になって仕方ないので
3度目の正直で手に入れたが
家人の評価が怖い!(値段を知ったら)

しかし、手に入れてしまったら
価格のことは忘れてしまって
ただ満足感だけが残っている

それにしても、いい音だ、涼やかで
確かにこの音を聞くと涼しい感じがする
(まるで鈴虫が鳴いているみたい)

音で涼しく感じるというのは
昔の日本人は精神的に本当に心、
気持ちに余裕があったのだと思わざるをえない

この南部鉄の風鈴
決して大きな音では鳴らないが、それでも遠くまで届く
余韻のある響き、純粋な響き
なんと言っていいかわからないが
夏には不可欠なアイテムかもしれない

同様に今少しばかり気になるのは
江戸切り子のグラス
ちゃんと自然素材で作られ染められた団扇
前者は冷たいお茶を入れて飲んでみたいし
後者はいくつか並べてインテリアとして飾ってみたい様な、、、

それにしても段々好みが日本風なものになっていくのは
何故なんだろう
単に年齢のせいだけではない様な気がしているが、、、
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何か変な日本

2008年07月02日 22時23分21秒 | Weblog
先日、NHKのBSだったと思うけれど日本の
電車事情が取り上げられていた

そこで外国人が感心した事柄に
日本では電車内に忘れ物をしても
多くの場合戻ってくることが
素晴らしい(信じられない)と述べられていた

しかし、話はもう少し続く

なのに日本人は老人や妊婦が辛そうにしていても
席を譲らない
このギャップが理解できないとも述べられていた

フランスもブラジルも電車内の忘れ物は戻ってこないけれど
老人や妊婦には当たり前の様に席を譲る、らしい

いったいどちらの方が、よりよいのだろう?
ただ残念ながら我が日本の方が、
人に対する関心が薄い様な
つまり他人に無関心な様な気がしてならない

話は変わってサンタ・マリア・デル・フィオーレの落書きのニュース
岐阜の女学生、京都産業大に続き
水戸の野球部の人物の落書きが明るみにされ
当然のことながら過激なバッシングを受けた

イタリアのメディアはそのことに関して
日本では非常に重い罰を受けたが
落書きが合法とでも思っているイタリア人には
とても考えられない事柄とか、なんとか報道されていた

だがこの日本の処置、仮にここまでメディアで取り上げられなかったら
ここまでの罰則を与えただろうか?
いや、そもそも、落書きの書かれた場所には
英語、イタリア語など様々な言葉が書き連ねてあった事実を
加味した判断だったのだろうか
(皆が皆やっているから許してやれ、というのではない)

なんだかな、また皆がみんな一気に同じ方を向く傾向が
現れたようだ
メディアは正義ぶって落書きした人物を批難するし
一見まともそうな、しかし、余裕のない論調ばかりが幅を利かす

そう、いろんなことに人々は余裕がなくなっているようだ
電車で席を譲らないのもそう

やっぱり住みにくい世の中になっているのだろうか?




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