パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

物の値段

2009年10月17日 18時08分42秒 | Weblog
990円ジーンズ(最近では690円も出現)
それを見て
「うわー、安い。この時期ありがたい!」(消費者)
「全部儲けてもこれだけか!」(商売人)
「こんなに安くできるはずがない」(普通の人)
立場によってとらえ方は様々

マスコミは時代の寵児扱いで、この低価格戦略を
突っ走る企業を取り上げているが、、、

自分自身の立場は、上記3つのうちの3番目
「こんなに安くできるはずがない」
残念ながら、どうしてそんなに安く生産販売ができるのかが分からない
価格は大雑把には材料費+製造費+儲けからなるが
いくら機械を使って生産するにしても、まさか数秒で出来上がり!
なんて事はあるまいし
機械を動かすには電気(動力)がいる
つまり、それなりの費用がかかるはず


そこで出てくるのがお金の価値の問題
自国通貨の安いところ(人件費の安いところ)で生産するという方法
いろいろ説明を受けてもどうにも分かりづらいのは
同じ作業をしても国によって、地域によって得られる金額の違う事

国同士で為替を通じて比較するからややこしいのであって
国内で何時間働いて得られる金額で
どれだけの食料を購入できるかを比較すれば
どの国も案外同じ程度の労働に対する報酬かもしれない

だが直感的に思えるのは
(必ずしも直感がいつも正しいわけではないが)
この様に安く生産販売をする事ができるのは
「きっと誰かが犠牲になっているに違いない」ということ
つまりどこかで圧倒的な不公平が
まかり通っているのではないかということ

普通の人がじぶんの立場に置き換えて
ジーンズを作って販売するとしたら
どうやってもこんなに安く(時給以下くらいには)
できないことは明らかだ
だから消費者としてはありがたいと思うものの
どこか薄気味悪い感じがするのではないか?

この普通の人の感覚
生産的でなく、論理的でもなく、感情的かもしれないが
実は、多くの説明を要する論理的な話よりも
真実をついていやしないだろうか?

それにしても人間が平等に暮らす様になることが
いかに難しい事か







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人にはどれだけの土地がいるか

2009年10月15日 21時29分51秒 | 
トルストイ民話集
「イワンのばか」他8編の中の一つが
「人にはどれだけの土地がいるか」

これは以前読んだ事があるけれど
タイトルの「イワンのばか」の内容は
すっかり忘れてしまったが
「人にはどれだけの土地がいるか」
の話は結末だけはちゃんと覚えていて
人は大きな欲望に振り回されてはならない!
といった教訓じみたテーマは胸に刻まれている

一日で回って来られる範囲の土地を与えられる事になった男は
広大な土地を得る為に必要以上に遠くまで足を伸ばし
その結果、必死になって戻ろうとするのだが
結局体力の限界まで使い切り死んでしまう
彼に必要な土地は、彼のお墓の面積だけだった
という話だが、久しぶりに読み返してみた

部分的には忘れていたが
今回再読して引きずられる様に思い出したのが
「ゾウの時間、ネズミの時間」

これも面白い本だったけれど
その中で強く覚えているのが
大概の動物は自分の体長の何十倍(何百倍)
四方の土地の中で暮らしていて
その範囲内で食料は調達できるといった内容の事柄

今のエコ生活的な視点から見れば
動物たちは地産地消しているわけだ
ところが人間は大量の化石燃料を使い
世界中を飛び回り、大いなる無駄をしている

人間も動物の一種、
本当はそんなに飛び回らない方がいい?
と考えられない事もない

さて「人にはどれだけの土地がいるか」を
「人間にはどれだけのお金がいるか?」
と置き換えると
民話を軽く笑ってしまう事のできない人々が
あまりにも多く存在しそう?
(自分もその中の一人かも)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「霞ヶ関埋蔵金」 

2009年10月13日 19時59分26秒 | 
菅 正治著  新潮新書

正直なところ、途中から何がなんだか分からなくなってきた
難しい内容というより、覚えきる前に似たような
いろんな項目が次々に現れて、どれがどうだったのか
残念ながら1回流し読みしただけではわからない


霞ヶ関埋蔵金とは
地方自治体で行われているような裏金のような
隠している金額ではなく
積み立て金とか剰余金の類いなのだが
始末に悪いのは、これが自由に使えるか
と言えばそうではないタイプの資金の事
(勿論自由に使われては困るものもあるが)

ただ緊急の時のためとしても
そのためておくべき金額の数字の出し方には何の根拠もなさそうで
ここ数年やら、過去の事例を参考にしても
それほど貯めておかなくてもいいものも
前例にしたがって改める事なく延々と続いているようだ

法律とは全くもって不自由なもので
いくら余ったところで別の項目に使えない様になっているものもあったり
官僚が協力をしないために
使えるものも使えなくなっている事も多いようだ

確かに容易に民間と同じ様に考える事はできないかもしれない
しかし、それでもやはり民間の調査機関が入って
剰余金、積立金が適切な額かどうかは調べる様にした方が良さそうだ

そして大事なのは、その事をもっと大きな声で公にする事

マスコミは埋蔵金という言葉の響きから
徳川埋蔵金やら武田埋蔵金みたいな際物みたいに扱うのではなく
キチンと、どうあるべきかを冷静な議論をする場所を設けて
広く現在の状態を知らせる事が必要なのでは!

官僚の人々は今は皆がみんな悪人みたいな印象を持たれているが
そうでない人も大半だろうし
そもそも入ったばかりの人は国を支えるような
気概を持っていたに違いない
それがいつの間にか、、、

それにしても不測の事態に向けて
しっかり貯め込んでおくというのは
もしかしたら農耕民族のDNAのなせる技かもしれない
だとしたら必要以上に積み立てておいたり繰り越したりするのは
仕方ない事なのかな

心配症な時間をキチンと守る日本人は危機に対して
よい意味でも悪い意味でも過敏すぎるのかもしれない
もう少し、何とかなるさ!
くらいに考えた方がいいのかも

と言いつつも、そういう自分も用心深くなっているのが
本当のところだが、、、


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お国柄

2009年10月12日 18時27分36秒 | サッカー
ドイツ、イタリアがワールドカップ本戦出場決定

時間たっぷりの3連休
BSで放送されていたドイツ対ロシアの一戦を
結果を知りながら寝転びながらの観戦

最初の印象
ドイツの守りはしぶとそう!
大きな男がムックと立ち並んでスペースを与えない
決して激しくボール奪取に行くわけでもない
だが確かに攻めにくそう

身長が高い分だけでスペースも無い様に
感じてしまうのは何故だろう
脚が長くてリーチが広いのでパスコースが
思ったより無いように思えるから?

それにしても8人でブロックを作って
面白くもないが現実的なサッカーを黙々とこなしていくのはお国柄

同じ大男でもオランダはもっとサイドアタックが強烈で
スピード感にあふれ
スウェーデンはもう少し融通性のあるサッカーを展開する
イングランドは基本的にはクロスボールに飛び込む試合運び
(最近は少し違ってきたが)

しかしどのチームも最後の段階
シュートは枠にいっている
どうしても日本と比較しながら見てしまうのだが
確かにの日本の決定力不足の現実は
彼らの壺にはまったシュートを見ると
一寸ばかり絶望感に襲われる

岡崎も自分のスペースに入らせてもらえないのでは?
とか
玉田もシュートチャンスを与えてもらえないのでは?
とか
大久保の出会い頭のラッキーに頼るのも確率が低いし
とか、、、

それにしても、確かに国によってサッカーのスタイルは違う
国境を接する国でもかなり違う
基本的には国民のメンタリティーにあったサッカーを
代表チームは表現していくのだろうけれど
日本はいったいどうなんだろう

ずっと見てきた割には、これぞ日本
といいたイメージができないのが寂しいところ

お隣の韓国の方が何となくイメージしやすいし
個人的には韓国のサッカーの方が好きかな

ところでドイツ対ロシアの一戦
後半に2回ばかりロシア側にPKをとってもいいと思われる
微妙なシーンがあったが
そこでビックリしたのは判定に誰も抗議をしなかった事
したところでしょうがない!と割り切っているのか
よくある事さ!くらいに考えているのか
とにかくこの何事も無かった様に試合を進めていく
態度にはホトホト感心した

確かにラテンヨーロッパではない方は
判定に、たとえ間違っていたとしても
そんなに熱くなって抗議したりしない
これは見苦しくチンチンになる日本は見習うべき事柄だ

それにしても枠にいかないシュート
何とかならないかな
シュートが入らないのが日本のお国柄では
寂しすぎる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相変わらず

2009年10月10日 22時48分28秒 | サッカー
国際親善試合、日本2―0スコットランド
8日のアジアカップ予選のすぐ後だけに
先発メンバーはすっかり替わっていて
それだけに楽しみもあったのだが、、、

マスコミでは森本を新しいスターにしようと
必死になっているようだけれど
以前オリンピック代表候補だったかの試合を見た範囲では
ポストプレーができずちょっとキツいかな
と予想したが、、、

さて試合といえば、まさにイライラの募る内容
メンバーも替わって普段練習をしていない仲間との組み合わせというものの
それはスコットランドも同じ事
単純に比べて、自分たちのボールのつなぎが雑すぎる
パスミスや精度の問題、そしてプレスをかけられると一気に
バタバタしてしまう
そして何故だかやたらと慌ててしまう

それにしても日本は前にいく力、推進力が弱い
一人で前にいくにしても、グループで前にいくにしても
そこに一人障害となる人物がいるだけで
パスは横ばっかり
たまに縦に行くのはサイドの時だけ
これではサイド攻撃ではなく
サイドに行かされているだけみたい

なんだかな、、、、
確かに一緒にやっていないから呼吸が合わない
ところはあるに違いない
しかし、こう行けばこう動くといった
サッカー選手の基本的な、ブラジルの選手にはみられる
誰とやっても合わせられるようなプレーが見られないのは
少し問題だ

戦術以前に個々の前提となる能力、
考え方に問題はありはしないか?
そして練習方法にも

内田、完全に伸び悩み
クロスの精度も、縦のパスもイマイチ
稲本、松井は体調が万全ではないのでは?
中村憲は今日は出来が悪かった
普段のきれいな縦のパスが見られなかった

本田、運動量が少ないのは分かっていたが
来たボールに対しては非常に無駄の無い効果的な
パス、プレーをしていた様に思える
縦に出すパスで一番成功していたのは本田ではなかったか

これで先日の香港戦の結果と比較して
香港戦のメンバーの方が上
みたいな事になりそうだけれど
中村俊があれだけ下がってゲームを作る形なのは
自分的にはどうかな?と思ってしまう
そもそもゲームを作るとか司令塔等という事は
ちょっとばかり抵抗感がある

日本代表にはどうも自発的というプレーが見えない
たまに目立とうとしたりすると
直ぐに自分勝手なプレーと批判されるからだろう

他の国では攻撃の仕方が分からない、
なんて事は口にするのは恥ずかしい事とされそうなのに
日本では攻撃の仕方までマニュアル化して真面目に
融通性もなく繰り返すだけ(しかもプレー精度は低く)

話はかわるけれど、日本はサッカーにも
野球的な思考が染み付いているのでは
と思う事がある
司令塔は監督采配に通じ
犠牲バントはひたむきなプレス
チームプレー至上主義が全てを支配

一見正しいようでも
なぜかどこか違っている様に思えるのは何故だろう
自分がへそ曲がりなだけなのか?






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

針圧

2009年10月10日 09時02分34秒 | Weblog
アナログの世界は微妙、繊細。
針圧を少しだけ変えただけで、これだけ変わるとは!

プレーヤーをトーレンスTD126 MK-3からノッティンガムに
替えてから相対的には満足はしていたものの
多少キンキンした音になっている印象があった
ところが、何の事はない、針圧をチェックすると
(カートッリッジはDL103)
どうやら少し軽すぎる状況になっていた

そこで面倒なシーソーの様なバランスシートを使って
多分今回もアバウトだろうけれど
一応適正針圧の2.5グラムにしてみた
するとどうだろう、音がすっかり自分好みの音に変わった
以前のトーレンスで味わえたような柔らかい太い音に

もちろんノッティンガムのよさは残っているどころか
更にその実力を発揮
カートッリッジも本来の姿を取り戻したようだ

それにしてもこれほど変わるとは予想以上だ
針圧が軽いと繊細な音は拾うけれど、どこか
ヒステリックな感じがあったが
今回は正直おおいに満足

これでカートッリッジを替えたらどんな音になるのか?
と興味をそそられるけれど
カーロッリジの交換も針圧の調整も面倒だし
高いお金を払ってからガッカリするのもいやなので
今のところはこのままかな

ところで最近全然CDは聞かない
困るのは新しい演奏のものは録音も全てCDの規格以下(?)
になっていてレコードのフォーマットでの発売は無いので
しっかりと音楽を聴きたい自分らにとっては
スカスカの感じのするCDでどうやって我慢しようか
と悩んでしまう
(慣れるしかない?)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横並びの記事ばっかり

2009年10月09日 22時04分50秒 | Weblog
昨日のサッカー 
アジアカップ予選 対香港戦(日本6-0香港)
その事を紹介した新聞朝刊
一つは全国紙、もう一つはブロック紙
その両紙とも同じ事を書いている
岡崎のハットトリックの快挙
そしてクロスの精度が悪い事に問題ありと

これが誰が見ても同じ様に感じるのなら
それはそんなゲームだったのだろうけれど
こんなに同じようなトーンで書かれると
少しばかり疑問を持ってしまう

特にクロスの精度に問題ありの記事の部分
これは本当に現場で見た記者が
そんな風に感じて書いたものだろうか
というのはテレビ放送されていたNHKBSで
解説の山本氏がさかんに口にしていた事で
もしかしたら記者はテレビを見ていたのでは?
と思うくらいだ

確かにクロスの精度は悪い
でもそれは今に始まった事じゃない
だから問題にされるのであるなら、もっと前から言われるべきであって
今回の様にその問題が急に出てくるのは
どこか不自然な感じだ

前からずっと思っている事なのだけれど
日本の新聞は何故ヨーロッパの新聞の様に
個人採点をしないのだろう
イングランドでもドイツでもイタリアでも
各紙が異なる評価で個人の試合のパフォーマンスを採点している
当然主観的な部分もあるので評価は全く分かれる事もある
そしてそんな風に分かれる事を少しも恐れていない様に思える

しかし、日本ではどうだ?
野球の様に数字で判断されるスポーツではないサッカーは
(今ではかなり分析的なデータで判断されるソフトがあるらしいが)
かなりの部分、見る人の好み、感性によって良し悪しの
判断が分かれるから、結果として試合の個人評価は
それぞれ違っていて当たり前のはずなのだが
ここでも何故だか横並びの評価が至る所で見られる
(試合の総括ですら)

強烈な個性を持ったプレーヤーがいないのと同じ様に
マスコミ、新聞などにもそうした存在はいない
中立の立場をとらなければ!というのは
ことスポーツの記事に関しては逃げにしか聞こえない
自分と違う意見を持つ人が、何か言ってきてもいいじゃないか
自分は確かにこう思うのだから
と言いきる覚悟が記者にはないのだろうか
それとも編集者がそれを許さないのか?

本当に、横並びで皆で多数意見だと勝手に安心して
自分自身もホッとしている
そんな人が(果たしてそれでプロと言えるか?)
大きな力を持つ媒体に、さも自分自身の考えの様に述べる
そんなことでいいのだろうか?
少なくともサッカーに関しては
個々の記者の個人的な意見でいいから
採点を毎回何らかの方法で知らせてほしい
そして実はそうする事が日本のサッカーを
一歩前に進める事になるような事になるような気がするのだが、、


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風の後

2009年10月08日 21時44分52秒 | Weblog
いやあ、今朝の台風は凄かった!
風が怖いと感じたのは初めてだ
幸い我が家は家も庭も被害も無かったけれど
とにかく3時半以降は眠れなかった

2時頃目が覚めた頃には、全然風も雨もなくて
拍子抜けしたのだが
3時を少し過ぎた辺りから風が、未だかつてない勢い、音で、
ただの空気の移動というより
確かにエネルギーを持って何か大きなものが
移動しているような
半端じゃない自然現象だった

本当に幸運にも我が家は
普段と変わりない生活ができたけれど
いざ出勤となると、その道中の台風の爪痕の凄まじいこと

まずは困った事に、停電で信号が動いていない
それも何カ所も!
(警官はまだ見かけなかった)

次に看板類が倒れている
鉄骨で支えられたものが、途中から
折れ曲がったものがあれば
看板の部分が吹き飛んだり剝がれたりしてるものがある
(業者の人は大変だ、補修の費用は誰が持つのだろう)

そして街路樹も葉っぱを道一杯に落としている
そかも汚いくらいに
早くから人が出て道の掃除をしていたけれど
よく見ると木自体が根っこから
掘り起こされた様に倒れているものがある
もちろん途中から折れてしまっているものもある

どうやら太い木は大丈夫!
という事ではないらしい
(我が家は葉っぱが多い萩が、ひん曲がっていた)

ところで、そんなうちに少しばかり、たいしたもんだ!
思えてきたのが停電中の交差点でのドライバーの行動

一方向にだけ多いのは問題が無いが
四方向とも多くてしかも右折車両も数多い交差点でも
その交通は意外なくらいスムースだった

朝で先を急ぐ人たちが多いにも関わらず
程々の数が渡ったところで運転手が自主的に判断して
ストップして別方向の車を通してあげていて
右折車両にも、普段以上に親切にいかせてあげたりしていた

以前トルシエ監督が、日本人のいいところは
道を譲ることができること(フランス人なら自らは道を譲らず争いになるとか)
みたいなことを言っていたが、こうした光景を目の当たりにして
おおいに納得した次第だ

これは日本人が交通法規をキチンと理解しているから?
(優先道路がどちらとか)
それとも本質的に、「お互い様!」と程々に
相手を思いやる事ができて
自分だけが都合のいいような、一方向の交通ばかりを
しないでいられるから?

この答えは分からないけれど
警察官がいなくても、程々に行き来できてしまえる事実は
実は、日本人が気づいていない
ものすごくいい事の様に思えてならない
それは、本質的に相手を思いやる気持ちの
持ち主が多いという事

まだまだ捨てたもんじゃない



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間という奴は、

2009年10月06日 20時16分40秒 | Weblog
台風18号、半端じゃなく大きいらしいけれど
鬱陶しいな、とか恐ろしいな、
と思う反面、少しばかりウキウキした
気分になっているのも正直なところ

体調が悪くて医者に行っても
「何でもありませんよ」
と診断されると、喜ぶべき事なのにも関わらず
なんだかがっかりした気分になるのもこれまた事実

このような気分の持ちようは、自分だけでなく
結構大勢いるようだ
人間はどうも理屈通りにはいかない
ややこしい動物のようだ

しかし、やっぱりどちらの例も結果的には
何事も無いのが一番で
台風にはやっぱり遠慮してもらおうか

それにしてもここ数年の気象
雨が降れば、しばらく雨ばっかり
晴れるとなると、晴れっぱなし
の状態が続く事が多いけれど
地球の気象が変わってしまっていると
実感せざるをえない

もしかして、生命体としてのガイアが
怒っている?

科学的でないとしても
そんな風に考えた方がいいかもしれない
(考え過ぎ?)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

計算式

2009年10月04日 19時24分08秒 | Weblog
皆既日食の時、当たり前の様に予想して
キチンとその現象が現れるのが不思議とういか
その計算式を自分が知らないのが何となく悔しくて
「皆既日食 計算式」等と検索してみると
何でもあるんですね ちゃんとそのようなページが

そこでPDFファイルをダウンロードしてみたけれど
じっくり腰を落ち着けて取り組まないとみないと
ずいぶん手強そう
多分、途中で面倒になって投げ出しそうなのが
落ち着くところと思えるのが情けないところだ

ところでこんな自然現象は観察、実証できるからいいけれど
国交省の試算の類、いったいどんな計算をしてるんでしょうね
(高速道路の無料化した際の経済波及効果も既に計算済みだったとか)
その計算の元になる仮定は、現実にそったものなんでしょうかな
難しい計算や多くのファクターが入って
見る人が見ないとそれが何を意味しているか
それが正しいかどうかなんて分からないのでは?

だいたいにおいて、数字なんてモノはある意図を持った場合
それに都合の良い数字を並べる事なんて難しい事ではない
特に数10ページもある資料を見せられても
素人さんは分からない事が多く
結局出された資料を信じるくらいしか手は無い

ホントはこの試算なるもの、
もう一つシンクタンクかなにかに任せて
官僚の出したものと比べてみるのがいいのだけれど
これはお金がかかり過ぎだったり
正しく判定をする人がいなかったり
現実的でないかもしれない

それにしてもいろんな数字をみる場合
結果だけを見るのではなく
その数字を導きだした過程、仮説を
ちゃんと検証しなければならない

細かいようだけれど、
「政治家の皆さん
 数字のマジックにだまされない様に!」

そして国民も、
数字を簡単に信じて、見るだけではない様にしなければ!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする