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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

議会改革検討会議11日目と議会報告会

2017年04月18日 09時46分55秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

少しばかり意地になっている(?)あまり面白くない話題

3人と30人程度
この数字は、昨日行われた「議会改革検討会議」の傍聴者の数と
消防防災センターで行われた「議会報告会」の参加者の数
特に「議会報告会」の方は、市の職員の方も何人か来られていて、
また東郷地区ではない他の地区からの人も多く見えて、実質的な
東郷地区の方の人数はどのくらいだったのか気になるところだ

そしてこの少ないと印象をもつ「議会報告会」の数字こそが現在の議会の実態を
示しているのではないか
(だが議会改革検討会議の中でも、他の地区の議会報告会は平均してこの程度の数字と
報告されたところもあり、新城市だけが特に少ないというわけではないともありそうだが、、、)

まずは何故少ないかについて
面白そうではない、関係なさそう、との思いを持つ前に
この「議会報告会」の開催自体を知らない人が多いようだ
いつもなら知っているはずの人たちも、「知らなかった」との発言があちこちで聞かれた
告知は回覧板による方法だが、多くの人に来てもらいたいならこの手段で良かったのか
考えるべき(防災無線でも放送されていたが)

もっとも、開催を知っていたとしても聞きに行ってみようかと
行動におこすかどうかは昨日の話を聞いていた範囲では難しい
「報告会」の名のとおり、報告がされた
各委員会の所轄の説明、予算案の内容、視察の予定、、などなど
しかし、考えてみると予算等の説明は行政の仕事で現に「ほのか」で説明がされている
それをパワーポイントでわかりやすく解説したところで、それを理解するのは
前提となるたくさんの知識が必要で、それを持ち合わせていない市民はただただ一方的に聞くだけとなる
それは面白いか、、、

先だっての「議会改革検討会議」では議決の結果も大事だが、
そのプロセスを明らかにすることが必要!と勉強をしているはずだった
賛成意見・反対意見がどのようにでて、どのように最終判断をしたのか
その過程こそが議決を任される議員さんの明らかにすることで
その意味では今回の報告会はそちらの方に力点をおいて説明が欲しかった

配布された印刷物の最終ページには3月定例会の採決の結果が一覧表になっている
全員が賛成なら特に取り上げる必要はないが、この中に幾つか採決で競った案件がある
どんな反対意見があって、その内容はどうだったのか、、そのプロセスを明らかにしてもらえるなら
議員さんたちがどうのよう考えているかがわかりやすい
特にこの中に賛否(◯と☓)だけでない、採択、趣旨採択、不採択と記された請願第一号というものがある
これなどは、大半の人は何のことかわからない
(請願第一号とは、柴田賢次郎議員の12月議会での発言に関して議会の具体的措置を求める請願書)
昨日の報告会でも賛成反対討論の内容を明らかにするのが必要で、それこそが「議会改革検討会議」を開いている意義のはず
結局のところ、現時点では「議会改革検討会議」はその学んでいることを反映されていないと判断せざるを得ない

そしてこの判断から、この請願の採決時に
「議会の具体的措置は現在行われつつある議会改革検討会議が補っているから趣旨採択」という意見は
現実には機能していないことになる
これは独断と偏見かもしれないが、そういう見方もできるということ

ところで、この議会報告会は「報告会」なのか「公聴会」なのか「陳情を聞く場所」なのか
はっきりしない面がある
これは「議会改革検討会議」でも話題となったが、その後特に何か話し合われた形跡なし
(これから話あう?)
「住民の意見を聞く場の充実と工夫」として議会報告会が存在するのなら、参加者の少ないこと
は問題で、また聞いた意見の反映の仕方などはフローチャートはあるというものの、市民の実生活に
係るような答えと報告をしてもらいたいものだ

話は「議会改革検討会議」の話題に移って
昨日は、災害時における議会の行動指針策定・視察について(報告担当 小野田議員)
この日の小野田議員のパワーポイントを用いた解説は上手かった
報告担当という役割では今までの中では一番の印象
しかし、問題は、「災害時における議会の行動指針策定・視察について」という点が
どうして「議会改革」につながるのか、、という点が議員全体にしっくりしていないことが感じられた

災害時には先決処分が発せられ、どんどん進められていくことがあったが
これは二元代表制の趣旨が守られるか、、、
それをよく検討しようとするものだ

しかし、だからといって事細かな決まりをつくってしまうことは
柔軟性を欠いたものにならないか、少し心配(それは現実的かも含めて)

鈴木達議員の災害時に、議員がいなくて困ること、困ったことは何か、、、
という想定される現実からスタートして、話を進めないと、との感想があったが
確かにそこから進めないと専門職としての議員さんの自己満足に終わってしまわないか
議会改革はあくまでも社会に如何に落とし込んでいくかが肝心なはず
議員さん間の法的な整合性だけが問題ではないはず
正直なところ、今回はこの問題が議会改革につながるとは感じられなかった

ところで、請願第一号に関する情報はこちら⇒例の発言に関する請願書

 

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イースターとパルジファル

2017年04月16日 09時46分38秒 | 音楽

最近では日本でもイースターを流行化させようとしているらしい
もちろん宗教的な意味ではなく、商業的な意味で
イースターエッグ、うさぎとか、その他もろもろのアイテムが
なんとなく可愛らしいのできっと商売になると考えてのことだろう

イースターは
「春分のあとの最初の満月から数えて最初の日曜日」
と定義されていて、今年は4月16日(日)

このイースターについては、わかりやすい解説は⇒こちら

一昨年、この時期に足を伸ばしたウィーンのホテルで出迎えてくれたのが


イースターエッグ
日本の旅館のちょっとしたお出迎えのお菓子みたいなものだろうか

キリスト教徒でもない自分が、敢えてこの時期に足を伸ばしたのかと言えば
イースターの時期に上演されるヴァーグナーの「パルジファル」を見たかったから

「パルジファル」はあの長大な「ニーベルングの指環」を作曲したリヒャルト・ワーグナーの最後の楽劇で
無垢な同情するという感覚をもった青年が、人を救うという、少しメルヘンチックな物語
この音楽の響きが刺激的でなくて、聴いててとても気持ちよくて、指環やトリスタンよりも好きだった

このパルジファルを初めて体験できたのは、無謀なドイツ一人旅を企てた若い頃
それも本家本元のバイロイトで、偶然のきっかけで見られた
その時土産に購入した写真が、これ

 

ここまでは、自慢話も混じえた前書きで、本当の話題はここから

イースターにはヨーロッパでは、バッハのマタイ受難曲や
このヴァーグナーのパルジファルが上演されることが多いそうだ
バッハの「マタイ受難曲」は確かに名曲で、人類の宝物としてとても大切なものだけれど
だからといって、自分にとってはそう何回も聴く気になれない曲
内容が真面目すぎて、深すぎて、こちらの気力が充実していないと
まず聴く気になれない(その気になって聴いた時は半端じゃない感動を得ることが出来る)

一方、ヴァーグナーのパルジファルは楽劇で動きがあるだけ(自分にとって)退屈にならないし
その響きも、また上演から得た感想や解釈も自由で、いろんな想像をするのが楽しい
ところが問題はここからで、最近のオペラというのは演出至上主義のようで
「台本の読み替え」による演出が主流となっている
1976年のバイロイト音楽祭100周年でシェローが指環で、モーニングを着たヴォータンを
登場させて、現代の物語として示唆に富んだ(考えさせる)演出が示されて以来
その方向での演出が当たり前のようになっている(らしい)

これはよくオペラを見て比較対象できる人々にはよいが
たまにというが、ほとんどオペラを見る機会のない者にとってはかなりしんどい
正直なところ、そんなに考えさせられなくていいから、もっとありのままの
原作に近い演出をやってほしい、、というのが本音だ

指環が現代に通じる物語だったとしても、それは見終わったこちらが
頭のなかで、「現代にも流用出来るな」と勝手に想像するから
上演はオーソドックスな形にしてほしい 
それがめったに体験できないファンの希望

パルジファルは結局、バイロイト、東京上野の文化会館(20年位前?)、そして新国立劇場、
そして一昨年のウィーン国立歌劇場で体験したが、
その記憶に残っていることと言えば
バイロイトはオーソドックスな演出(宗教的な雰囲気に富んでいて終了後拍手は出来ない雰囲気)
上野の文化会館は病人の夢の中の物語
新国立は、(読み替えでもなかなか面白かったが)仏教徒が出てきて
何かよくわからんが、面白かったという印象
そしてウィーンは、よくわからん!
特に上野の文化会館やウィーンのような読み替えの演出は、気持ちと外れると
なかなか上演中も気分を持ち直すことが難しく楽しめないことになってしまう
そんなことなら、当たりハズレのないように原作に近い演出を、、、
とめったに見る機会のない人間は希望してしまう 

ところで、6月は自分にとってヴァーグナー月間
6月7日に新国立で飯守泰次郎さんの仕切る「ジークフリート」
6月11日は愛知祝祭オーケストラによる演奏会形式の「ワルキューレ」
楽しみ、、

出来ることなら、あまり突飛な演出は、、、避けてほしいのだが、、、 


 

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プロの耳(ポールの耳)

2017年04月14日 21時05分38秒 | ポール・マッカートニー

プロの耳はすごい
昔、ポール・マッカトニーのプロモーションビデオを見た
確か「フラワーズ・イン・ザ・ダート」のそれだったと思うが
その中の一曲、ポールが手拍子をするシーンが有った
ところが、ただ始めるだけではなかった
スボンをこすったか、手をこすり合わせたかは忘れたが、とにかく手を温めて
「ほら、こっちのほうが(温めたほうが)いい音がするでしょう、、」
みたいなことを言った 

正直なところ自分はその違いがわからなかった
そんなはずは、、ないのでは、、

でも彼の耳には確かに違って聞こえているのだろう
それがプロというのもなのかもしれない

このプロモーションビデオで覚えていることと言えばこのことだけ
どんな世界も、一流の人はすごい 

ところで、最近自信を持って言えるのは、毎朝のお経をあげる時
最初にお鈴を鳴らすのだが、その音は叩き方、叩く場所によって明らかに音色が違う
このことだけは分かる(多分これは誰でも分かる)
それが少しうれしい

ところで、今回のポールマッカートニーのライブにトライしなかったのは失敗だったかな
と今になって少し反省してる
次があれば、間違いなく見に行くようにトライしよう

 

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実感と異なる内閣支持率(まっとうな保守は支持しているか)

2017年04月14日 08時30分49秒 | あれこれ考えること

前にも取り上げたが、内閣支持率の数字が不思議で仕方ない
周りの人は(会う人は安倍さん嫌いが多いのは事実だが)
悪く言うことはあっても支持しているとは言わない
実感として半分以上の人が支持しているとはどうしても思えない
(替わるものが無いとしても)

自分が嫌いオーラを発しているのかどうかはわからないが
周りに安倍さんを支持していると発言する人はとても見つけにくい

いや、全然いないことはなかった
かれは自民党員だった (FBで支持するような態度を示しているだけだが)
だが別の自民党員でもボロクソに言ってる人もいた 
それは派閥云々というより、今の進め方(森友問題など)は単純に酷いと感じているからに違いない

数回前のサンデーモーニングで「まっとうな保守頑張れ!」
と発言した人がいた 
まっとうな保守という人達がどういう人たちかはどういう人達か
難しいところだが、感覚的には「そこは考え方が違う」と感じながらも
基本的には話せば分かる、、と感じさせる人たちで、お互いの言い分を聞く耳は持っている人たち
そういう人頑張れということと解釈してみる

西部邁とか三浦瑠麗とか鈴木邦男なんかは、無条件に共感は出来なくても
なんとなく言い分はわかる
確かに左よりやリベラルの思考方法だけを耳にするのはよくないかもしれない
保守と言われる人たちが何を大事にしたいのか
それに耳を傾ける必要はある

しかし、教育勅語や私人公人に対する閣議決定、また決めようとしている共謀罪などは
「まっとうな保守の人々」は本当に良きものとして感じているのだろうか 

人は所属する団体の意見に自動的に従ってしまうものなのか
自民党員だから、官僚だから、市職員だから、、

先日、市の職員のなかでも(多分人として)苦しい胸の内を
垣間見せる人がいた(例の裁判絡みで)
少し無責任かもしれないが、この国は個人が自分の責任で判断を下す
ということに慣れた方が良いのではないかと思ったりする

ところで、内閣支持率調査は大手メディアではなくて
もっと中立的な団体が、あのどうでもいいような質問内容ではない
もっと今の空気を反映できるような問にして調査をしないかな

ネットでは母集団が限定されすぎる
標本を多くして、携帯所有者も調査の中に入れて
地域も職業も広めて、、、

とにかく、メディア発表の内閣支持率が素直に信じられない
そう思うのは思い込みや、科学的(数学的)ではないとされるかもしれないが
明らかに実感と違うから、どうしても不信感は拭えない
何故、こんなに実感と違う数字が表に出るのか、、
(自分の考え方や感じ方がおかしいのですよ、、、と言われてもなあ、、)

独断と偏見に満ちたひとりごと、、、

 

 

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アビーロードのメドレー(カバーしたがる気持ちはわかる)

2017年04月13日 20時51分14秒 | ポール・マッカートニー

今月4月の後半には、タレ目の左利きの音楽バカがやってくる
2013年の東京ドームで、国内では初めてそのライブを見た
音楽を聴いていて喉が痛くなったのは初めてだった
知らず知らず歌っていたからだ
そして知らず知らず頬を熱いものが伝わった

このひょうきんな音楽家、ポールマッカートニーが大好きだ
何が好きかって、モーツァルトみたいだ
キャッチーで音楽的なアイデアに富んでいて屈託がなくて、、

でも実は軽いだけじゃない
多分、今回もその最後に演奏すると思われるメドレー
ゴールデンスランバー、キャリー・ザット・ウエイト、ジエンド、
この最後のジ・エンドは、すばらしいメッセージが込められている
「the love you take is equal to the love you make」

2013年の東京ドームのライブもライブが始まる一番最初にこのメッセージが
ディスプレイに映し出されていたのをどのくらいの人が覚えているだろう
あのライブはこのメッセージから始まってこのメッセージで終わった
それはとても素晴らしかった

ところでこのメドレーはアビーロードのB面の大半をしめているもので
ライブではゴールデンスランバーから演奏するが、この少し前から演奏するほうが
音楽的に効果的な面がある(音楽が回帰するから)
流石に有名なものだけあって多くの人たちがカバーしたがっている
そんな動画を見つけた、これはYou never give your moneyから始まっている
(このフレースが回帰して効果的) 

ポールの今度のセットリストはどんなんんだろう
Ram On,Dear Boy,今度はやるかな、、

と言いつつも、今回はライブのチケットにはトライしなかった
6月の新国立劇場の「ジークフリート」で田舎の自分は交通費・宿泊費で出費するので
泣く泣く我慢することにしている 

東京の人の生活が良いとは思わないが、音楽を体験する機会の多さには
正直に羨ましいと思う 

 

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尿酸値は大丈夫なはずだが、、、

2017年04月12日 18時37分55秒 | 徒然なるままに

昨日あたりから右足首に違和感がある
痛いとまではいかないが、骨にグリッとくるような
そのうちひょっとすると痛い目になりそうな雰囲気

昔もこんなことがあった
パンパンに腫れて、医者にいくと
「痛風でしょう」との診断
確かに尿酸値を測ると認めざるをえない数値だった

それ以後、尿酸値を下げる薬は飲み続けているし
今はそんなに高い数字じゃないはず
だからこんなことになるとは想像しなかった
昨日、あるところで久しぶりに出くわした同級生
ついつい出るのは健康の話、、かれは膝が痛いとか、、、

明日になれば治っているかもしれない
痛風じゃないと思いたいが、とにかく少しづつガタが出てくる
仕方ない、だましだまし付き合っていくしか無い 

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長嶋茂雄・三浦知良そして浅田真央

2017年04月12日 08時21分52秒 | 徒然なるままに

新聞の一面に扱われたり、テレビで特別番組を企画されたりして
浅田真央の引退は大騒ぎになっている
大統領の逮捕とか空爆の話とか、大臣の不用意な(実は本音)発言などの
ニュースよりは心理的に抵抗感はない

しかし、メディアがみんな同じ反応をするのは少しばかり心配だ
もっと大事なことがあるだろう、、と批判するのではなく
みんなが同じということの気味悪さが気になる

メディアは世の空気を読んで、その流れを拡散し、一般人はそれでもって自分は
他の人と同じ感覚を持っていると安心する
大衆とはそういうもので、このような大衆とか市民がいろんな社会的・政治的な問題に
あとから見て正しい判断ができるかどうか、、といった面倒な話は
考える価値がありそうだが今日のところはパス
もう少しお気楽な話を、、、

浅田真央はフィギアスケートのブームの火付け役だった
それ以前にもフィギアスケートが注目されていないわけではなかったが
欧米の手足の長いプロポーションから繰り出される演技と比べて
日本人のそれは少しばかり最初から見た目(め)的にハンディがあった
それが欧米人並みにスタイルのよいプロポーションで難しい技をこなし
しかもその屈託のなさを感じさせるとなれば人気が出たのは無理からぬこと

だがこういうことは不思議と何度か繰り返される
ミスターと言われ、職業に「長嶋茂雄」と書いた人も屈託のない人だった
彼は自分が望んだのか、神様の匙加減かどうかわからないが、とにかく劇的な
振幅の大きい運命を背負っている
鳴り物いりのデビュー戦で4連続三振、初の展覧試合で決勝のホームラン、
前の打者(王さん)がデッドボールで乱闘になった時、気合が乗り移ったようなホームラン
初めて監督就任した時には最下位、次の年には優勝
本当に振幅の大きい出来事が続く
でもこの人が日本のプロ野球を親しみやすいものにしたのは間違いない

三浦知良
50歳の今でも現役でプレイしている信じられない選手
彼がJリーグ(サッカー)ブームの火付け役だったのは間違いない
彼は屈託が無いとは言えないが、彼も振幅の激しい選手生活を送っている
あのドーハの悲劇 
Jリーグ草創期の大活躍
そして夢にまで見たワールドカップ、それは彼が日本人に夢ではないと
思えるような段階に持ってきたのに、残酷な出場選手登録の落選
でも彼の人生は続いていく

浅田真央
集大成となるべきソチ・オリンピックでのショートプログラムで
信じられないミスの連発と、その翌日の驚異的な復活
この人も振幅が大きい

ブームの火付け役とか中心人物に対する運命の匙加減は
その時の当人には不可解・理不尽・不条理にしか思えない

時は流れて行く、そして時はその人物が何故その時に現れたのか
をなんとなく理解できるような歴史をつくっていく(多分)
ブームの火付け役とその人達のたどる人生
そういう運命だった!
と一言で済ましてしまうには、ちょっとばかり大変な役割の人達がいるということ
(ご苦労様!)

ところで、自分たちそんな振幅の激しい生き方をしなくて済んでいる
これはラッキーか、それともアンラッキーか 
(きっと絶妙の匙加減を誰かさんがしている、、、?) 


 

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議会改革検討会議10日目と行政裁判の話

2017年04月11日 09時41分09秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日はバタバタとした一日だった
午後は例の裁判の二日目(裁判の記事 クリックで別ページに)
午前中は、あまり面白くない議会改革検討会議の傍聴
正直なところこの会議、いい加減足を運ぶのが嫌になってきたが
少しばかり意地になってきた面もあるので、もう少し頑張るかな、、

昨日の議会改革検討会議のテーマは
ICT活用(会議録)について・ICT(タブレット端末等)活用調査結果について(報告担当 村田議員)
メンバーは鈴木達議員が少し遅れて出席、傍聴議員は無し

前々回に配られたパワーポイントの資料は今回も無し
前々回だけは何か特別だったのだろうか、、、せっかくここ(ブログ)で良い試みと書いたのに

面白くないと言いながら、今回は少し興味をもって眺めた面もある
と言うのは、この日テーマは、この検討会議の当初、市民がビデオ撮影と投稿を許可して欲しい
と要求したこととつながることだからだ
(これは小野田議員からもそれとなく指摘された)
現にその話はお勉強タイムの先進事例の中にもでてきた
本会議以外の会議の動画を公開するという試みがある地区であった
そして、それが議会改革が進んでいるという評価なら新城市も、、、という雰囲気はあったのだが
そこで語られたのは動画の表現方法についての感想だけ
動画の画面の隣に枠を設けて、質問している内容をテキストを起こしたほうがわかりやすいとか
質問者の写真を入れるとか、、、
話の関心はそちらの方にばかり向かった

実はこうした動画とか議事録が何故公開されるか、されなければならないか
と言えば、勉強会の冒頭に「議決に至る過程を(市民が)知ることが必要」
との基本姿勢があるからだと説明された
確かに採決の結果だけを見ただけでは議員さんが何故賛成したのか、反対したのか分からない
肝心なのは議員さんがどのように考えてどのように発言したかは、市民が次の選択にも役に立つ

やはりこの問題を議員さんが当事者として感じ、実現しようとする気がなかった
というのが批判的な目から見た感想
(この回の説明担当議員が、市民のビデオ撮影等の要求にに反対した議員さんなので
 とても皮肉な成り行きだが、本人は気づいていない様子)

この日の後半のテーマ、タブレット等の活用については
時代の趨勢からすればいずれそのようになることは想像できる
だがこの手のツールは、ペーパーレス化、経費カットがお題目に上がるが
現実にはタブレットも文字は記憶に残らない傾向があるので
結局プリントして持参する例が垣間見られる  との報告もあった
これは確かにそのように実感する
肝心なことは紙で見ないと頭に入らない、、
ペーパーレス化が期待できないかもしれないとすると、タブレットを使うメリットは他に
どんなことがあるか、、、
これは、次回以降行政も交えて勉強会を行うとのこと

どうやらこれまでの検討会議は、共通認識のための勉強会で
条例の改正とか先例集の見直し等は、有識者も交えて今後の話

しかし、つくづく議員さん同士の専門的な世界の話を、市民に説明して
パブリックコメントを求めて決めていくのが正規な段取りというものの
市民は説明されて容易に分かるのか、イメージ出来るのか大いに疑問
市民に理解してもらうためには議会として、その構成員の議員さんに頑張ってもらわないと、
過程に瑕疵はない!という何処かで聞いた話と同じになってしまいそう

ところで、冒頭にあげた裁判の話はまたどこかで取り上げるつもり
この裁判に関しては市は3月議会で、「裁判の弁護士費用」として
69万円を予算計上している
何が裁判になっているか、、、知らなかった方も多いと思われるが
自分たちの納めたお金がこのようなものに使われることになっている現実は
頭の片隅に残しておいてもらいたいものだ

 

 

 

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座談会と講演会

2017年04月10日 11時22分31秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日の日曜日(4月9日)はそれなりに忙しい日だった
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は近くが舞台となっているので
見なきゃいけないし、なでしこジャパンのサッカーも
新しい選手をチェックしなきゃいけないし 、、、

これらは夜の話、昼は午前中が新城市富岡ふるさと会館にて
産廃問題「輪を広げよう座談会」
午後からは「若者政策セミナー」の第二部姜尚中氏の講演への参加
数年前の自分からはとても信じられない変わりようだ

「環境を守るママの会」による産廃問題の座談会は、
3月11日に行われた勉強会に続くシリーズで、前回明らかにされた
問題点や新たな情報の共有を目的としたもの
今回も大森木材・動研というタナカ興業に隣接する企業の社長さんが
出席し現状を具体的に熱っぽく語られた

社長さんは市に、悪臭で困っているのでなんとかして欲しい
と苦情の電話を入れたが、市は「臭気指数以内ですから、、」との対応で
とうとう喧嘩腰の会話になってしまうことが続いたそうだ
市の担当者も辛い立場かもしれないが、これは普通に考えてもダメな対応
もう少し住民に寄り添う気持ちを見せて欲しい

なかなか進展が難しい産廃運動は
行政不服審査(既に実施)・世論の高まり・監視運動強化・専門レベル調査
この4つの柱に進めていくことが改めて確認された
川の向こうの出来事として捉えるのではなく、当事者としての感覚を
市民の多くが持ってもらえると良いのだが

午後からの「若者政策セミナー」のお目当ては

テレビでよく見かける人のお話を聴く、、ということで
ミーハー的な要素がなかったか、、、といえば、それは否定できない
しかし、これは聞いて正解だった
ボソボソと話す話は面白かった

姜尚中氏の話は、新城市の「若者議会」の関連して話してもらうことになっていたようだが
その内容は「若者」というある時期の人間に関することを中心に話されており
現実的な「若者議会」のシステムを理解しているかどうかは、多少疑問だ

若者というシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の時期を迎えた人間は
どのように通過儀礼をこなしていくか
昔ならば当たり前のように存在したコミュニティが喪失した現在
自分自身の立ち位置とか存在への不安、
それでいて大きな夢に対するどうしようもない憧れと衝動
それを解決する場としての場所の設定を地元に求めた時
地域活動の一環としてこの手の(若者議会)は有効かもしれないとの指摘
当事者感覚と、外からの目を持って地域のコミュニティを考えると
若者には特別の経験が出来る という大雑把な話

若者議会が個人としての若者に、スイッチが入るきっかけを
与えることなりそうなことは容易に想像がつく
だがこのスイッチが入る瞬間は他の体験でも得られるかもしれない
(例えばお祭りの運営上の大事なポジションになったりすることで)
だから、若者が通過儀礼をする機会としてだけで若者議会の評価するのは少し間違い
ほとんどの良い大人たちは、若者に良い経験をしてほしい
それを次に活かして欲しいと思っているのではないか
若者のスイッチが入る瞬間、そして成長を促す機会はもっと頻繁にあっても良いのではないか

若者議会の経験者も、実は任務時間内での自分自身の変化が大きかった旨を述べている
この効果は確かに否定できない
ただ少し心配なのは「自分たちは特別な人間たちだ」と勘違いしてしまわないかということ
普通の若者だったら経験できない議員さんや市長と話ができて、マスコミにも出る機会を得て
そういう経験をすることになって自分が変化したとしても、それはたまたま偶然そうなっただけで
「自分が特別な人間ではない」ことを頭の何処かに入れとかないと少し危険な気がする
(ただ、偶然とは言うもののその経験をしたことは特別かもしれないが)

これは心配症なオヤジの思いつきかもしれないが、そうなってほしくないと切に思う

ところで、現在読書中の本が「サピエンス全史」上下 だが
ここに書かれていることが、姜尚中氏の講演とつながる部分がいくつかあったのは
しばしば訪れる「共時性」(偶然の一致)の現れか

さて今日は昼から例の裁判の二日目で名古屋に出かけなければならない
果たしてどのような進展があるか、、


 

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アンケートと世論調査は、市民感情を反映しているか?

2017年04月08日 09時32分00秒 | あれこれ考えること

昨日の続き

アンケートとか世論調査が大衆の気持ちを反映していないのではないか
との思いは、先日我が家に郵送された市の「満足度調査」の 用紙を見て
その思いを強くした

アンケートは各項目、4つの選択肢があり、満足、やや満足、やや不満足、不満足
の中から選んでもらうことになっていた
だがこの質問の項目に対して、きちんと答えられるほど自分はそのザービスやら
実態は知らないでいるので、実際のところ答えられない(聞き方が抽象的過ぎる)
それでも4つの中から選べということになるから、よくありがちな真ん中あたりの
やや満足とかやや不満足をついつい選ぶことになる
4つの選択肢以外に「わからない」という項目があれば、間違いなくそれを選んだし
それが一番今の自分の気持ちに正直な感じだ
そんな気持ちだから、このアンケートが集計されて発表されても市民の本当の気持ちなのか
と 少しばかり疑いの念を持ってしまう

4つの選択肢の他にも、3つまで選ぶ質問があった
何々をするのはどうしたら良いと思いますか、、
その対策として3つまで選ぶというものだが、この3つまでの中に
これぞ!と第一感で選ぶもものがなく、強いてあげれば、、、くらいのものが並ぶ
質問の選択肢は設備投資とかインフラ等の充実が多く挙げられていて
結局は市の予算化のアリバイ作りに利用されそうな気がしてしまう

もちろん、最終的に予算の根拠とするのはやぶさかではないが
このアンケートの数字の解釈とか利用の仕方は、素直に賛成できるものではないのも事実
と言うのは、この手のアンケートの結果が、新東名バスの名古屋直行便を走らせる理由として
市からは説明されているからだ
新城市に住み続けたいが、仕事・学業で 通勤通学が出来ないから、、、
の答えが多かったので、市は高速バスを走らせること企画したということだ
正直なところ走らせる根拠としてはかなりこじつけというか根拠のないものと思ったりしたが
要はアンケートとか統計の数字はこの様に都合よく使われる可能性がある ということだ

話は昨日の内閣支持率に戻って、聞き方を「支持しますか、しませんか」ではなくて
「支持率は何%くらいだと思いますか?」と聞いてみたら案外興味深い数字が出るのではないか
とフト思ったりした

それで試しに同居人に、「内閣の支持率はどのくらいだと思う?」
と、聞いてみると地元の細かな楽しい話題や投書欄には興味があるが政治欄はサッと
やり過ごす彼女は「35%くらい、、、 」の答え
ついでに「政府の森友問題の答弁の満足度はどのくらいだと思う?」と聞くと
「半々かな、、」
これは極端な例かもしれないが、随分表に出ている数字と異なる

結局のところ判断の根拠となる手持ちの情報というのは多くの場合
新聞とかテレビのメディア頼みとなる
そのメディアが常々どのような報道をしようとしているか、、
(彼女は自発的に情報を収集するのではなく、毎日届けられるメディアの情報に接するだけ)

日本の記者クラブという組織は発表報道は出来ても
調査報道がなされない状況を作り出してしまう
そこには前々から不満があったが、一般人が目にすることの多いテレビの世界では
テレビに登場する「評論家」とか「識者」が素人に解説をするのだが
これが完全にニュートラルな立場の人たちの集合かと言えば必ずしもそうではなくて
その人が選ばれた時点でかなりの方向性がある
ところが素人はそれがわからないことが多い(なんとなくは感じるが)

最近見かける「山口敬之」というジャーナリストは
彼のFacebookのメインとなる写真が安倍さんが大写しになっていて(現時点では)
ひと目でこの人が安倍さん応援団ということがわかる
このFacebookの写真のままにして、テレビに出演するのは少しばかり
(自分がどのような人物かを特定されるので》配慮がないと感じざるを得ないが、
それでも露出が断然多くなっている(特にフジサンケイ関係に)

いつものように話は脱線
でも世論というのは、いや統計というのは都合よく利用されるから
気をつけないといけないということだけは、確かだ 


 

 

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