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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都東福寺 今年もみごとに彩られた通天橋の紅葉

2008-12-13 21:11:43 | 写真

■東福寺紅葉散策

 今回は、東福寺の様子を掲載したい。これら美しい情景は、十二月四日の写真なので、この椛も今は既に土へ還っている頃だろうか。

Img_0467  京都東福寺、京阪やJR奈良線の東福寺駅からほど近いこの寺は、紅葉の名所として有名で、週末ともなれば駅のホームには人が降りれない程の観光客で溢れる。当方は、紅葉は観たいのだけれども、あえて人の混雑を観に行くのではないのだから、平日に時間を見つけて足を運んでみた次第。

Img_0623  東福寺が建立されたのは1255年。京都にも大きな寺院を、と摂政九条家が、寺の造営を決意し、奈良の東大寺、そして興福寺から一文字づつを借り受け、造営した寺院、それが東福寺の始まりである。本殿の釈迦仏像は高さ15㍍と大きく、新大仏寺として崇敬を集めた寺。

Img_0462  木造の美しい寺院は火災には弱く、14世紀初頭には1319年、そして1334年、続いて1336年と相次ぐ火災により一時荒廃したものの、再建への熱意は大きく、前関白一条経道により、すぐに仏殿の再建が始まり、その後二十年間を経て、14世紀半ばには、再びかつての姿を取り戻すに至ったという。

Img_0471  東福寺は、14世紀半ばの火災からの再建の前には、臨済宗の寺格として、いわゆる京都五山に列せられている寺院であるが、再建後は、純粋な禅寺として、歩むこととなった。その後、京都の大半を焼くこととなった応仁の乱や、第二次大戦の空襲からも地理的な関係上(鳥羽伏見は近いが・・・)、戦災を免れ、今日に至る。

Img_0478  ちなみに、ここ東福寺を開山した聖一国師円爾弁円は、日本にて学問を修めたのちに宋に渡り仏道を修めた高僧で、その学識は、広く日本の文化や社会に寄与したとのことで、東福寺を開山してのち、幕府の執権北条時頼に招かれ、鎌倉の寿福寺などにも招かれたのち、東福寺に戻り、ここ東福寺にて入定(亡くなること)している。

Img_0489  聖一国師円爾弁円の偉業、といってもピンと来ない方が多いと思うが、聖一国師が日本に導入した技術の中で、今日我々の生活に根付いているのは水力を用いた製麺技術と製茶技術であろう。それまで手作業によって行っていた製麺と製茶技術を大量生産が可能なものとしたのは、大きな偉業であると考える。

Img_0538 水力を用いた製麺技術により、特に石臼を手で動かす労力から開放されるとともに大量生産が可能で美味しい麺類が安価に広がった。うどん、そば、きしめん、ラーメン、麺類が好きな当方には、聖一国師の偉業というと、仏道に励む方々には申し訳無いが、京都駅でよく好んで食べる湯気立つ月見蕎麦。名鉄知立駅の名物きしめん、そして大学の近くの旨くて安い讃岐うどんを思い浮かべたりする。

Img_0597 また、製茶技術とともに、今日、静岡茶として贈答品からペットボトル入り飲料としてまで幅広く親しまれる御茶の原種を日本に伝えたのも聖一国師の功績である。御茶と麺類、いまや我が国では、繁華街はもちろんのこと鉄道駅から路傍にいたるまで普及した、ひとつの文化でだ。

Img_0507  美しい椛の紅葉。実は、通天橋とともに椛をいれた美しいアングルの部分にある木々の紅葉は終わってしまった状態だったので、まだ葉の落ちていない椛と通天橋をいれるアングルとするのにやや苦労した。この頃は、もう陽が傾くのが早く、時計は、まだ1500時頃なのだが、ほんのりと夕闇が近づいている情景に。

Img_0592  カメラにて撮影する際に、オートにしてカメラに任せないで、やや露光オーバーで撮影すると、紅葉の朱色が鮮やかに際立つ。紅葉の時期が終わりかけていることもあり、落ちた椛が、鮮やかな色合いを保ちつつ、陽光に照らされ、寺院そのものが移り変わる季節をみせてくれた、そんな印象を与える写真を撮影することができた次第。

HARUNA

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