■最強へ!戦闘機マフィアの夢
F-15イーグル、航空自衛隊の主力戦闘機による航空祭機動飛行の迫力と情景をお伝えしましょう。
F-15戦闘機の機動飛行、EOS-7Dの独壇場という印象でしょうか。F-15戦闘機は戦闘機マフィアと呼ばれたジョンボイド空軍大佐らアメリカ空軍と戦闘機メーカーの一派が構築した独自理論にもとづいて設計された機動性の権化というべき戦闘機の体系を構成する。
E-M理論、エネルギー機動性理論という概念をジョンボイド大佐はバージニア工科大学での学位取得とともに構築してゆくこととなります。要するに機動性を最大限発揮するためのエンジン出力と機体形状というものを突き詰めた、科学の成果としての戦闘機、と。
戦闘機マフィアという呼び名は揶揄された事を気に入っての自称ですが、ボイド大佐自身は、その軍歴を1945年の陸軍入隊から始めており、日本終戦後は進駐軍として日本にきました経験もあります。そして戦後復員し、元軍人援護法でアイオワ大学に進学しました。
ROTC戦略将校予備課程、大学では学費を気にせず履修できるROTCにすすみ、意外にも経営学を専攻、卒業とともにアメリカ空軍少尉に任官、最初の赴任地はジェット機空戦激しい朝鮮戦争の第一線で、当時の最新鋭戦闘機F-86の操縦士として、従軍しています。
F-100戦闘機、ボイド氏は戦後F-100の教官をつとめています。スーパーセイバーとして航空自衛隊でも検討されつつ、戦闘爆撃機としての運用は不要として採用されていませんが、教官として40秒間での不利な姿勢からの優位への転換にかんする操縦理論を構築する。
航空攻撃研究。この理論は1958年に機動と対機動を包括し体系化されていまして、この理論の評価を経てF-100教官に続いて命じられたジョージア工科大学への研究単位取得が、F-15へとつながってゆきます。大学での熱力学理論の視点、戦闘機の操縦へ応用されます。
トーマスクリスティ国防総省コンピューター技師は、この理論のコンピュータでの再現へ強い熱意を示し、ここで二人は意気投合、この二人組が戦闘機マフィア誕生の瞬間でした。熱力学と空気抵抗で戦闘機の航空戦における優位性が決まる、これはE-M理論というもの。
東京五輪が開かれた1964年にE-M理論が完成、この理論が広まるとともにアメリカはヴェトナム戦争へ突入することとなり、戦闘爆撃を念頭に重量が肥大化した高性能な戦闘機が、近接戦闘では軽快な格下のMiG-19やMiG-21に敗北する状況が広がる最中、転機が。
F-X開発、アメリカでは現在のF-15戦闘機につながる主力戦闘機開発が介しされました。1966年にF-X開発チーム参加を命じられたボイド大佐は当時、27tまで肥大化する計画であった戦闘機計画を推力をそのままに空戦以外の部分を切り離して18tまで軽量化します。
F-15は、機動力を持って優位を獲得するという認識と、27tの戦闘機に搭載される最高性能のレーダーや27tの構造を支える強靱なチタン構造をそのまま、つまりGに強い、戦闘機を軽量化したものであり、この結果、空中戦に無敵という機動力を有するに至りました。
空中戦では2020年に至るも無敵であり、万一主翼を片方全部失っても飛行して帰還できる、F-15はこうした戦闘機として今日も君臨しています。長くなりましたがいいたいことは何か、といわれますと、F-15の機動飛行でピンボケになるのは仕方ない事なのだよ、と。
航空自衛隊の航空祭では安全第一で安全規則にがんじがらめの飛行展示枠内でも、ものすごい機動飛行を展示しています。だからこそ、ピンボケを量産するのは致し方ないのですね、戦闘機マフィアのものゆえ。そんな認識で写真などを見ていただけると、幸いです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
F-15イーグル、航空自衛隊の主力戦闘機による航空祭機動飛行の迫力と情景をお伝えしましょう。
F-15戦闘機の機動飛行、EOS-7Dの独壇場という印象でしょうか。F-15戦闘機は戦闘機マフィアと呼ばれたジョンボイド空軍大佐らアメリカ空軍と戦闘機メーカーの一派が構築した独自理論にもとづいて設計された機動性の権化というべき戦闘機の体系を構成する。
E-M理論、エネルギー機動性理論という概念をジョンボイド大佐はバージニア工科大学での学位取得とともに構築してゆくこととなります。要するに機動性を最大限発揮するためのエンジン出力と機体形状というものを突き詰めた、科学の成果としての戦闘機、と。
戦闘機マフィアという呼び名は揶揄された事を気に入っての自称ですが、ボイド大佐自身は、その軍歴を1945年の陸軍入隊から始めており、日本終戦後は進駐軍として日本にきました経験もあります。そして戦後復員し、元軍人援護法でアイオワ大学に進学しました。
ROTC戦略将校予備課程、大学では学費を気にせず履修できるROTCにすすみ、意外にも経営学を専攻、卒業とともにアメリカ空軍少尉に任官、最初の赴任地はジェット機空戦激しい朝鮮戦争の第一線で、当時の最新鋭戦闘機F-86の操縦士として、従軍しています。
F-100戦闘機、ボイド氏は戦後F-100の教官をつとめています。スーパーセイバーとして航空自衛隊でも検討されつつ、戦闘爆撃機としての運用は不要として採用されていませんが、教官として40秒間での不利な姿勢からの優位への転換にかんする操縦理論を構築する。
航空攻撃研究。この理論は1958年に機動と対機動を包括し体系化されていまして、この理論の評価を経てF-100教官に続いて命じられたジョージア工科大学への研究単位取得が、F-15へとつながってゆきます。大学での熱力学理論の視点、戦闘機の操縦へ応用されます。
トーマスクリスティ国防総省コンピューター技師は、この理論のコンピュータでの再現へ強い熱意を示し、ここで二人は意気投合、この二人組が戦闘機マフィア誕生の瞬間でした。熱力学と空気抵抗で戦闘機の航空戦における優位性が決まる、これはE-M理論というもの。
東京五輪が開かれた1964年にE-M理論が完成、この理論が広まるとともにアメリカはヴェトナム戦争へ突入することとなり、戦闘爆撃を念頭に重量が肥大化した高性能な戦闘機が、近接戦闘では軽快な格下のMiG-19やMiG-21に敗北する状況が広がる最中、転機が。
F-X開発、アメリカでは現在のF-15戦闘機につながる主力戦闘機開発が介しされました。1966年にF-X開発チーム参加を命じられたボイド大佐は当時、27tまで肥大化する計画であった戦闘機計画を推力をそのままに空戦以外の部分を切り離して18tまで軽量化します。
F-15は、機動力を持って優位を獲得するという認識と、27tの戦闘機に搭載される最高性能のレーダーや27tの構造を支える強靱なチタン構造をそのまま、つまりGに強い、戦闘機を軽量化したものであり、この結果、空中戦に無敵という機動力を有するに至りました。
空中戦では2020年に至るも無敵であり、万一主翼を片方全部失っても飛行して帰還できる、F-15はこうした戦闘機として今日も君臨しています。長くなりましたがいいたいことは何か、といわれますと、F-15の機動飛行でピンボケになるのは仕方ない事なのだよ、と。
航空自衛隊の航空祭では安全第一で安全規則にがんじがらめの飛行展示枠内でも、ものすごい機動飛行を展示しています。だからこそ、ピンボケを量産するのは致し方ないのですね、戦闘機マフィアのものゆえ。そんな認識で写真などを見ていただけると、幸いです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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