北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

10式戦車初公開! 富士学校祭2010に最新鋭国産新戦車登場!!

2010-07-11 23:46:48 | 先端軍事テクノロジー

◆次世代を想わせる加速力と機動力を展示!

 本日実施されました富士学校祭、一時は霧が流れ込むように迫る中で行事中は雨滴は飛んだものの降雨とはならず、式典、観閲行進、訓練展示が行われました。

Img_5960  富士学校祭で最も注目されたのは制式化成った新戦車である10式の機動展示です。本車は90式戦車に続く国産第四世代戦車として開発が進められ、各国が第三世代戦車への防御力付与による戦車の超重量化に対して一石を投じるべく自動化による車内容積の縮減により軽量と高防御力を同時に達成、強力な国産砲による世界最高の機甲打撃力、アクティヴ式懸架装置の採用による火力機動力の向上とデータリンクによる高度な協同交戦能力を40㌧という重量に収めることが実現した戦車です。

Img_5816  富士学校祭では、観閲行進に続き訓練展示模擬戦の実施直前に二両の富士学校機甲科部所属の10式戦車が登場して、会場において機動力を展示しました。10式戦車の印象は、とにかく、こんな高速性能を発揮できる戦車があっただろうか、という新鮮な驚きです。90式戦車の機動力にも驚かされますが、しかし10式戦車の機動力はそれ以上で、しかも懸架装置の技術によるものか速度に対して振動や動揺が見えません。水上を高速艇が進むような滑走と共に鋭利な刃物のような切り返しの旋回動作、急停止と瞬時の加速。この走行性能を垣間見ただけでも、手荒い新型戦車を完成させたものだ、という新鮮な驚きです。

Img_5971  90式戦車に続く念願の国産新戦車は戦後日本が61式戦車以来培われてきた戦車技術と、日本に必要な戦車とは何か、という事を富士学校や機甲科全ての部隊が極限にまで追求研究した結果誕生した戦車で、地形上戦車の運用に制約が加わる日本の国土を防衛するうえで、各国の重量級の戦車に対して、行動が制約される状況を見越して軽量な車体を活かして翻弄し、一方的に打撃を加えて制圧する能力を付与することが最も必要と考えられ、その上で既存の第三世代戦車を打撃力機動力で上回り同等以上の防御力を付与させるという目標を達成するべく開発されました。

Img_5906  現行の74式戦車は平成20年代に全てが用途廃止される見通しです。この74式戦車を置き換えるのが10式戦車ですが、印象こそ流線形の砲塔や懸架装置への注力など74式戦車が求めた日本の国土において最高の能力発揮を望む設計を継承しつつ、目標とされた打撃力や防御力も世界的に見て高いものがあるとともに、今回展示された機動力は、74式戦車は勿論、現代の各国戦車と比べても世代差というものを感じさせるものでした。この新戦車である10式戦車が早い時期に全国の戦車大隊に配備され、次世代の陸上防衛を担う地位を固めることを期待したいです。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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富士駐屯地創設記念行事詳報!! 富士学校祭2008の俯瞰風景

2010-07-10 16:44:02 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士教導団

 ボーイングHPによればサイレントイーグルが初飛行したようですが、富士学校に関する話題です。明日に迫った富士学校祭、あまりお役には立てないでしょうが、2008年の行事の様子などを紹介してゆきます。御笑覧いただければ幸い。

Img_9_376  富士学校祭ですが、2008年、幾度か足を運ばれた方のお話を聞き、なるほど東千歳駐屯地祭程ではないにしろいろいろとみれそうだ、と足を運ぶことに。同年既に下志津に行っていましたので高射学校の最新の装備を見学でき、それならば次は同じく多くの装備が並ぶ富士学校でしょう、と。

Img_5_707  いつもお世話になっている方々一行と車両にて展開、という運びに。今日では期間限定で運行されている夜行快速ムーンライトながら東京行きの利用も考えたのですが、沼津で御殿場線始発までの待ち時間が尋常ではないほど長い、と聞き、車両展開の方に便乗させてもらいました。

Img_9361  夜行バスで早い時間帯に東京に進出して小田急の始発特急あさぎり号で、というのも考えたのですが、こちらも時間的にあわないので断念。深夜にどんどん進み増して、夜明け前の東名高速道路をどんどん首都圏に向けて進む中、警戒した渋滞などもなく、なるほど、これが一番早かったのか、と。

Img_9364  御殿場で高速道路を降りますが、この先、どうやったらいけるのか、カーナビに従うべきか、いやいやあの裏道が云々と本能に従うか少々議論を重ねた後、といっても当方は全く道がわからないので蚊帳の外にて運転は万事お任せします、と言う状況なのですが、道を進んでいきます。

Img_9369  なにしろ見覚えがあったのは富士総合火力演習の際によくお世話になる御殿場ステーションホテル界隈だけ、どんどん市街地を離れ大丈夫なのか、と一瞬思うのですが富士学校のある須走という場所は標高が1000m近く、富士の裾のというよりは富士山の斜面、という場所だというので市街地を離れていても道は間違いない、安心(?)です。

Img_9374  このあたりから、道というよりも写真とキャプションがどんどんずれてゆくのですが、そこら辺はお構いなく。さて、道がどんどん山中には行ってゆくのですが、空挺や33連隊、13連隊と自衛隊車両が続々やってくるので、なるほどこの道ならば間違いはないだろう、と安心しました。

Img_5697  しかし普通に考えると自衛隊車両に沿って移動すれば富士駐屯地よりも東富士演習場にいってしまいそうで、行ったら行ったで諸君志願ご苦労!、とは成らないでしょうが行事は見ることできないのは必至、気をつけて道路を進んでいきますとさてさて、富士学校祭こちら、と標識を発見して安心です。

Img_5633  戦場の霧、と言う言葉があります。状況が分からず地図上で五里霧中の状況を示して、指揮官が限られた情報だけでは見えない先の状況をこう表現するそうですが、富士では違う霧に悩まされる事があると言われます。聞くところですとこのあたり、日によっては霧が凄いとの事。

Img_5625  東富士演習場も霧で使用制限、これは熱戦暗視装置では標的は見えるのですけれども、弾着観測が出来なくて安全上、という意味なのですが使用制限になる事もあるのだとか、この日はその点霧も無く安心でした。なにしろ凄くて、装備品展示で見上げた99式自走榴弾砲の砲口が真下から見えないほどといいますので、霧は警戒していました。

Img_5626  富士学校ですが、面白い事があると聞いていました、なんでも駐車場まで時間帯が時間帯だと過去には73式装甲車の一群に割り込んでしまった、とか、戦車が来たらどうするんだ戦車が!、とはなしていたらその通りになったとか、いろいろと聞きますが、そういうことはありませんので、少々残念。

Img_5610  富士学校指定の駐車場へ到着した時間帯が早かったので駐車場は空いていました。とはいえ、駐車場の面積は、富士総合火力演習ほどではないにしても結構広かったです。写真と本文のずれが凄いですが、写真の方は別に駐車場ではありません。その広い駐車場ももう少しすれば満車になるのでしょうか。

Img_9379   そういえば読売旅行なんかも行事を行う防衛省が断れないことをしってか団体旅行を募集していて、時間がたてば続々と観光バスが到着するのだ、と少々気になったのですけれども駐車場には観光バスよりも早く到着できました。・・・、観光バスは別の駐車場に駐車するっぽいのですが当時は知りませんでした。

Img_9392  そうとは知らず安心して駐車場で撮影機材を準備したのですが、雨具はどうするか、バッテリーの予備は持ったか、髭は剃ったか、と悠長に構えつつ待て待てここは駐車場、駐屯地ではありません。さて、と。駐屯地と駐車場を結ぶシャトルバスがあるとのことで、シャトルバス乗り場へと向かい始めました。

Img_9399  しかし既に我こそは一番乗り、を目指した方々、そこそこ並んでいたのですけれども、これを待つのか、待たずとも歩けばよいとして、徒歩でいくか話し合った結果、まあ、健康のためにも歩きましょうか、と。歩きだしてちょっとしたのちに、遥か遠くに目を凝らしても駐屯地らしいものが見えません。

Img_5610_2  そういえば、ここは本州最大級の大演習場、東富士演習場に隣接、迷いこめば多分大変です。不安になったのけ警戒の隊員さんに、ちなみに歩いたらいかほどでしょうか、と聞くとバスに並んだ方が圧倒的に早い、と聞いたので、誰だよ歩こうとか言った奴は、と自分の事は全員棚上げで責任の擦り付けあい。

Img_5609  正直にシャトルバス乗り場に到着です、最初からこうしていればよかったのか。さて、バスに乗るには手荷物検査なのですが、カメラバックからポケットまで慎重に検査です。やけに慎重です。隠しポケットまで慎重です。そんなに変かな?と思ったんですが、一見作業服にみえる当方の、しかしPMC(今風に言えばPSC?)御用達の装備。

Img_9419  迷彩服なんか着こんでいませんよ、普通の作業服風。しかし、PMC御用達のポケット多数、こういう装備ですから、ビクトリノックスの一本でも、と勘ぐられたんでしょうか。聞いてみると、ふふふ、それ私も持ってますよ、と隊員さん。なるほど、511やWOOLRICHは中の人にも結構な人気のようです。

Img_9424  Canon純正のカメラバックを開き、一眼レフ二台とPC,書籍、携行口糧、等々みせますが特に問題はなし。ところで富士学校ですが練馬や守山よりも手荷物検査は厳しかった印象で、X線検査を除けば岩国よりも厳しく、厚木と同じくらい、という印象でした。最近は学校の警備が厳重なのですね。

Img_5676  当方以外にも一般人的な方々、当方も一般人ですが結構厳し目に確認されていました。手荷物検査を終えるとそのままバス乗車です。バスはそのまま駐屯地へ。駐屯地に行く途中新戦車TK-Xが試験走行をしていたり、NBC偵察車に追い越されたり、小型無人機が上空を乱舞したり、海兵隊のAAAV-8試作車がチラリと見えたり、そういう事は期待したのですが皆無でした。

Img_9442  富士学校の正門をくぐりましたが保存展示車両や厚生会館、それに模擬店などが並んでおり一般公開ならではの情景が並んでいます。イージーエイトやパックハウザーも並んでいる展示車両もゆっくり見たいところですけれども、本日のお題は富士教導団。富士教導団がメインなのですから式典会場の方に急ぎます。

Img_9528  式典会場は上り坂を少し上ったところにあるのですけれども、一見して、ああ、ここが映画ガメラ2の第1師団出動のシーンで使われた場所か、と気づきました。土手の雰囲気ですぐにわかったのですが、さてさてどこから撮ったものでしょうか。撮影位置を決定することでその日の写真は全部決まるので慎重に慎重に。

Img_9583  富士学校祭の撮影場所はどうするのか、ちょっと駐屯地の式典会場を見渡してみましたが思い浮かぶ場所は何箇所か。写真撮影の時に考えるのは鉄道写真を撮影する時に自分なら何処で撮影するか、という事です。そうやってみてみると、この会場の配置も桂駅や金山駅に、・・・、見えてこないか。

Img_9613  富士。土手のあたりから観閲行進正面を撮影するという方法、観閲台後方の高台から撮る方法、他には車両通路の出口付近から車両が一直線になるところを遠巻きに望遠の圧縮効果で撮影する方法等考えられたのですが、まあ、一通り考えてみた結果、ここは正直に土手のところから撮影です。

Img_9653  ここはいい写真が撮れる!というのは実はそこまで関係なく、木陰で涼しそうだったから、という理由で決めました。撮影位置ですべてきますのでは、と思われるかもしれませんが、その通り何も矛盾していません、暑い場所→発汗→疲れる→集中できないよ。こうならないように日蔭の選定です。多分。

Img_9667  座席は多く設置されているのですが、基本的に招待席、一般席のところは満席です、まだ満席となっていたい一般席らしき座席もあったのですが地元の方専用とのことで、なるほど地元との親睦を図る、という駐屯地一般開放のあり方をみた感じでしたね。しかし、木陰なし。・・、まあ、そんなもんか。

Img_9689  富士学校祭、聞くところでは数年前まで土手の正面にもテントが設置されてほとんど見えない、ということもあったのだとか。観閲行進の写真の被写体になっている車両と撮影位置の間にテントが、ということですが、土手の下のところにテントを立てられると、確かになにも見えないでしょうね・・・。

Img_9750  しかし並ぶ戦車戦車洗車。なんか最後に一つ違う文字が混ざりましたが磨きあげられています。向こうには特科火砲、装軌装輪各種装甲車、施設車両が並び、横一列から眺めは情景は圧巻の一言、東千歳駐屯地とくらべてしまうのですが、車両の数では東千歳があっといしていることは確かです。

Img_9797  しかし東千歳駐屯地は駐屯地に整備されている旧軍滑走路に沿って並ぶ戦車などの車両を横から見ることはできないので、これはつまり車列まで距離があるという意味なのですが、そういう関係で一枚に広角で写し込むとどうしても迫力ある写真には残念ながらどう頑張っても成りません。

Img_10008  その点、富士は高台で真横と正面から見ることができるのですね。そして木陰。行事開始に備えて施設車両が整地を行っています。これだけの車両、予行だけで会場の路面は大変なことになってしまうのでしょうね。観閲行進直前には散水車が水を撒きます、土煙がすこい事にならないように水を撒くのです。

Img_10021  さて、斜面に腰掛けて増える他の見学者の方々と一緒に式典の開始を待ちます。待ち遠しいというか、戦車の方がどんどん近づいてくるような雰囲気です。そんなに迫力が!?、と思われるかもしれませんが、どんどん近づいてくると言うのは印象ではなく、実際に斜面をずるずると滑って行っていたのですね。

Img_10087  土手の角度は大したこと無いのですけれども土が剥き出し、土手の地盤は微妙でして、雑草でも茂っていてくれれば滑らないのですけれども、ね。皆さん下の方に、こちらも同じ。もう一回上ります。ずるずる、もう一回上ります。以下略。傍から見ると楽しそうなのでしょうか、まあ、慣れれば滑らないのですけれどもね。

Img_10113  多人数で展開した強み、荷物番をお願いして交代で式典会場を散策することとしたのですけれども、どの角度から見ても迫力はすごいですね。そして富士総合火力演習の準備なんかも行われていて、季節を感じました。式典が始まりそうな気配があったので慌てて撮影位置に戻ります。

Img_10123  こののちは先日紹介したとおり観閲行進が行われて、訓練展示模擬戦です。観閲行進は前回の写真の通りなのですが、訓練展示は戦車部隊と特科部隊が協同で普通科部隊を支援するという内容。前述の濃霧が出ていると乳褐色の向こうに発砲焔だけが見えるという状況になるのだとか聞きました。

Img_10147  訓練展示の各種特科火砲、とくに203ミリの空包射撃はなかなか見ることができないものですし、99式とFH70と203ミリの協同は、この富士学校でなければみれないものでしょう。そして74式戦車改、なんかも富士学校祭か富士総合火力演習でなければ見る事の出来ない装備です。

Img_10163  富士学校は、訓練展示を撮影する場合には今回撮影した場所よりも観閲台付近の高台あたりで撮影した方がいいように思いました、当方が撮影した位置からは観閲行進では迫力ある写真が撮れたのですが、訓練展示では後方から見ているというかたちでした。涼しかったのですけれども、ね。

Img_10210  富士総合火力演習も後方から見るので、条件としては似ているという形なのですが、なるほど、続々と車両が展開して貴重なものを見ることが出来ました。状況終了の後にヘリコプターが地上展示の為に式典会場に続々と到着して、式典会場では車両展示と戦車試乗の準備が開始されました。

Img_10239  富士学校には資料館があり、展示内容はかなり充実しています。そして厚生会館も土産物なんかが並んでいて、保存展示車両も多くが並んでいます。明日に迫った富士学校祭2010ですが、新型の10式戦車が登場するようです、天候は気になるのですが、足を運ばれる方、雨具の準備をお忘れなく。

HARUNA

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平成二十二年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報2

2010-07-09 13:03:44 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 一日遅れの行事予定、南西諸島がキナ臭いですが今週末に行われる予定の自衛隊関連行事は、真駒内駐屯地祭、富士駐屯地祭、長沼分屯基地祭の三つです。もうひとつ、東京港にフランス艦が入港中、鹿児島港では港まつりが実施予定。

Img_8991_1  真駒内駐屯地は札幌市にある第11旅団司令部が置かれる駐屯地です。第11旅団の行事に行ったことが無いので、第10師団の行事写真を掲載します。真駒内駐屯地は札幌市内の駐屯地なのですけれども、思いの外広く陸上自衛隊有数の面積を誇るとのことです。しかし、地下鉄で行くこともでき、営門は地下鉄自衛隊前駅からすぐとのこと。

Img_2408  旅団は第18普通科連隊、第10普通科連隊、第25普通科連隊、第28普通科連隊と第11戦車大隊、第11特科隊、第11高射特科中隊、第11施設中隊、第11後方支援隊、第11飛行隊を基幹編成としています。隷下には真駒内駐屯地、丘珠駐屯地、滝川駐屯地、函館駐屯地があります。

Img_19033  旅団行事ですから、全ての駐屯地から部隊が参加することでしょう。その昔は倶知安駐屯地に対戦車隊と普通科連隊が駐屯していたのですが旅団化とともに廃止され、倶知安駐屯地はそれ以降、北部方面隊直轄部隊である北部方面対舟艇対戦車隊の駐屯地となりました、96式多目的誘導弾の部隊ですね。

Img_3734  師団時代は北海道の中枢、札幌の防衛を担う師団であり、青函地区を含む道南地域を防衛警備管区とすることもあり、四個普通科連隊を基幹とする甲師団編成をとっていましたが、師団を旅団とする関係から現在では定員は半数以下に縮減、多くの部隊が規模を縮小されています。

Img_13739   普通科連隊も本部管理中隊、中隊本部機能を重視した五個普通科中隊と重迫撃砲中隊から成る編成を師団時代にはとっていたのですが現在は編成を簡略化した三個普通科中隊と本部管理中隊を基幹とする編成に縮小されています。しかし、その分、装甲車の配備密度を向上させた、とのことで打撃力は一定のものを維持しているようですね。

Img_9056_1  戦車大隊は二個中隊削減されましたが大隊編成を維持、90式戦車を装備しています。真駒内駐屯地だけで普通科連隊、戦車大隊、特科隊、高射特科中隊、施設中隊、偵察隊、後方支援隊が駐屯していて、札幌市内の駐屯地という事ですが広いと言われる駐屯地の規模の大きさが垣間見得るようです。

Img_6951  富士駐屯地の富士学校は先日特集記事を掲載しましたが、普通科学校、特科学校、特車学校としていた職種教育機関を統合して誕生した学校で、普通科部、特科部、機甲科部と実動部隊としての富士教導団を隷下に有しています。さらに、部隊訓練評価隊も隷下にあり、富士学校で錬成した最新の戦術と部隊運用で全国の部隊を評価するFTCを運用しています。

Img_6630  この中で最大の部隊、富士教導団を見てみましょう。普通科教導連隊、戦車教導隊、特科教導隊、偵察教導隊、教育支援施設隊、教育隊から編成されていて、普通科教導連隊は各種装甲車等を装備する四個普通科中隊、対戦車中隊、重迫撃砲中隊を基幹とした編成となっています。

Img_6552  戦車教導隊は五個戦車中隊を基幹としていてその打撃力は大変なもので、第一中隊、第三中隊、第四中隊が74式戦車を運用、第二中隊、第五中隊が90式戦車を運用しています。特科教導隊は、特科中隊六個を基幹編成としていて、FH70,99式自走榴弾砲、203mm自走榴弾砲、MLRS,88式地対艦誘導弾を中隊ごとに装備しています。これら装備が登場する観閲行進はまさに迫力の一言でして、東千歳駐屯地祭か富士駐屯地祭か、陸上自衛隊機械化部隊の迫力はこのどちらかが最大規模のものといえるでしょう。・・・、規模では東千歳の方が大きいのですが、まあ、富士は近いですし、ね。

Img_9401_1  長沼分屯基地。航空自衛隊千歳基地の分屯基地で夕張にあります。ペトリオットミサイルの高射隊が展開している分屯基地で、千歳基地の第3高射群隷下にある第11高射隊、第24高射隊が長沼分屯基地に置かれているのですが、長沼は言った事が無いので第12高射隊の車両を貼ってみます。

Img_9394_1  長沼はかつて固定発射式のナイキミサイルを設置しようとした際に保安林設定解除に反発した住民が自衛隊を提訴、長沼ナイキ事件として憲法裁判となったことが有名で、日本憲政史上唯一、自衛隊の違憲判決が札幌地裁で出された事で有名ですが、まあそれは別の話です。長沼の行事は土曜日、お間違えの無いように。

Img_0832  鹿児島港自衛隊みなと祭り、基地祭ではありませんが、かなり規模が大きいので紹介します。鹿児島港谷山一区8号岸壁において10日と11日、護衛艦ちょうかい、護衛艦あさゆき、護衛艦せんだい、が入港します。この行事、口蹄疫や天候によって注視か行事内容が変更される可能性がある、と書かれているのですけれども、本日1930時の時点では注視するというような発表はありません。

Img_0779  護衛艦あぶくま、から見た、まつゆき。こんな感じの体験航海でしょうか。鹿児島みなと祭りですが、10日の1330~1530に護衛艦あさゆき体験航海、11日の1330~1530に護衛艦あさゆき、せんだい体験航海が予定されているほか、10日に青少年体験航海として1330~1530に護衛艦せんだい、が参加します。土曜日日曜日と0900~1630で陸上自衛隊車両の一般公開、艦艇一般公開は10日と11日に0900~1100と1330~1630に行われ、乗艦は終了30分前までですが、護衛艦を見学することが出来ます。

Img_1455  冒頭に南西諸島がキナ臭い、と掲載したのですが、中国メディアの引用として共同通信が東シナ海で艦艇数十隻と航空機数十機が参加する実弾演習が実施されていて、電子戦訓練も行われているとのこと、米韓合同演習をけん制する目的では、と言われているのですが、先日の日米豪演習に対抗しているようにも。こういう時だからこそ、鹿児島港で9500㌧もあるイージス艦ちょうかい、の威容を見上げて抑止力を確認したいところです。

Img_0025_1  フランス海軍のフリゲイト、ヴァンデミエール(Vendémiaire)が木曜日に東京港へ入港しました。月曜日まで停泊している予定です。日本にはよく入港する艦で、確かPSI訓練の際にも着たように記憶しますが、写真が無いので大きさが違いすぎますが、強襲揚陸艦ミストラル東京入港の写真で代用。

Img_0004  ヴァンデミエールは通報艦として海外植民地警備用に6隻が建造されたフロレアル級の一隻で、1993年に就役しました。満載排水量2900㌧と、あぶくま型程度の排水量なのですが15ノットで10000浬という長大な航続距離を誇ります。エクゾセ艦対艦ミサイル、100㍉単装砲とヘリコプターを搭載していて、海上自衛隊の護衛艦には見られない装備を揃えているほか、在外自国民救出任務に備え海兵隊一個小隊の居住区画を有しています。ちなみにディーゼル推進。

Img_0051_1  現在はフランス海軍太平洋海軍管区に所属しています。艦長はPierre-Yves Grente海軍中佐。フランス艦の東京港入港は強襲揚陸艦ミストラル入港以来で、海上自衛隊からは護衛艦たかなみ、をホストシップとして派遣します。艦長は澤口和彦2佐。出航は12日月曜日1000時の予定。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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EMOBILE 通信量規制強化と違約金問題、そして旧産業活力再生特別措置法適用

2010-07-08 23:24:03 | 北大路機関 広報

◆平成二十二年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報2を掲載予定でしたが

 さすがはイーモバイル、契約者の激増に対して通信基地局を増やさないという利潤第一を通したお陰さまで本日もデータが飛び、二日連続で記事を書けば掲載できず一から書き直し、という状況です。我慢できないのでとりあえず、使用予定の写真のみ利用して、別の記事としました。

Img_6145  イーモバイルは可搬式のPCを主として利用する際に回線を確保するために当方利用しているのですが、最近、回線切れがやたら多くなっています。通信状況が非常に悪く、せっかく掲載したデータがいざ保存を押した瞬間に途絶するというイーモバイル。使い放題プランで契約なのですが24時間の通信量に厳しい制約が掛かるというイーモバイル、ううむ、もう少しの我慢、二年縛りが無くなれば即解約、二度と利用しないと心に決めつつ、間もなく終了の二年縛りまで、せめてまともに飛ばないWeb環境が欲しいと考える今日この頃です。

Img_1628  いままでは一ヶ月間に300GB以上のデータ通信を行った場合に一ヶ月間のデータ通信規制という縛りがあったのですが、来月から24時間ごとに366MB以上のデータ通信を行うと翌日はデータ通信量が大幅に規制されるというサービスに移行するので、EOS50DでRAWデータを十数枚送っただけで制限される、という状況に。一ヶ月間に300GBをこえるデータのやり取り、一日で10GB前後ですから、これはさすがに他の利用者への負担を考えると仕方ないかな、と納得はしていました。しかし、一日10GBから366MBに制限となると話は別です。

Img_8336  これでサービスは維持できるのか、利用者離れが加速すれば現在のサービスも維持できなくなり企業に撮って運営を維持できなくなるような事は無いのか、大丈夫なのか、と問い合わせたところ、大丈夫、経営は上向きです、との回答でした。まあ、仮に駄目でも、無理ですお終いです、とは言えないのでしょうが。しかし数日後の6月30日にイーモバイルとイーアクセスが産業活力再生及び産業活動革新に関する特別措置法での経営再建を行う事が総務省に認可され、こういう状況でも大丈夫、という事なのか、と驚きました。

Img_1326  まあ、回線切断、最近急に増加しているのだけれども、そのおかげでデータが全部飛んでしまい、結局一から書き直す前に少々、イーモバイルへの印象を書いたのですが違約金付きの二年間契約が前提で使い放題を売り文句にキャンペーンを展開して、その直後に通信量超過の帯域制限を大幅強化する、なんてことをしていますと、ちょっと、・・・、では、と。

HARUNA

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陸上自衛隊富士学校 普通科・機甲科・特科教育戦術研究の中枢

2010-07-08 00:51:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士学校祭2008の写真から
 日曜日に行われる富士学校祭の紹介を本日から掲載してゆこうと思います。富士学校は、陸上自衛隊の装備する戦車、各種装甲車や火砲を一度に見ることのできる注目の行事です。
Img_9476    富士学校、といえば自衛隊の普通科部隊や機甲科部隊、特科部隊の戦術研究や運用研究、幹部の養成や専門教育を行う自衛隊の学校です。学校ですから開校祭をやるのですが、全国津々浦々の学祭どれと比べても火力と機動打撃力では富士駐屯地の富士学校よりも上に出る学校はありません。
Img_9791    富士学校は普通科、機甲科、特科を統合した学校です。諸外国では歩兵学校、戦車学校、砲兵学校と分かれているのですが、日本ではなぜ一つにまとめたのか、そもそも普通科、機甲科、特科というのは自衛隊の中でどういう位置づけか、ということをみてゆくと富士学校の意義がよくわかってきます。
Img_94803    普通科、というのは旧軍の歩兵にあたるのですけれども、戦争というものは基本的に土地の収奪が根底にあるのですから小銃や機関銃を手に敵部隊と交戦して日本の国土から引き吊りだして、我が国土に迫る脅威には地面にかじりついて頑強に抵抗して対戦車火器や迫撃砲で押し留めるのが普通科です。
Img_9493    一方で、機甲科は戦車を中心として機動力と防御力と火力を併せ持ち敵戦車を撃破し、立て直す間も与えずに後続する随伴部隊に直接火力をぶつけて、機動力と防御力を駆使して火力下での戦闘を継続します。また情報を収集する偵察部隊も機甲科職種に属する部隊となっています。
Img_9481    特科は、綿密な地域観測を瞬時に行い敵が占領する拠点や移動する補給車両、場合によっては敵戦車にたいしても攻撃を加え行動を阻むとともに、我が方の部隊に対して同様の敵対行動をとろうとする敵砲兵にたいし位置を把握し即時にその先頭力の無力化を図る対砲兵戦を展開します。
Img_9503    これらの戦闘は協力下で行われてこそ有機的に機能するものであり、普通科だけでは打撃力が不足で戦闘の最後の決着をつけるのは普通科ですが能力には限界があります、機甲科だけでは強力な打撃力と装甲突破能力を発揮するのですが陣地占領が出来ず、特科だけでは火力戦闘以外の戦闘が出来ません。
Img_9532    つまり、現代の戦闘は普通科、機甲科、特科が協同して展開されるものなのですから、専門教育や戦術研究は一つの研究機関において行うことが望ましい、ということで陸上自衛隊の戦闘部隊の機関として挙げられる三つの職種学校が富士駐屯地の富士学校に統合されたわけとのことです。
Img_9565     こうして、上記目的を達成するために富士学校には様々な装備がそろえられています。富士学校は研究した戦術を実際に運用して、もしくは入校した幹部自衛官が実際に指揮運用を行うために実動部隊をもっていて、最新装備が少なくとも中隊規模で一定の数配備されているのです。
Img_9587    実動部隊としては、普通科教導連隊、戦車教導隊、偵察教導隊、特科教導隊が主な部隊としてあげられるのですけれども、主要装備として、軽快な機動力と少数部隊の集合分散を迅速化させた陸自自慢の軽装甲機動車、高い加速力と大きな収容力に小回りを併せ持たせた高機動車等広く配備されている装備。
Img_9627    一個小銃班に装甲防御力と高い路上速度による戦略移動能力を兼ね備えた96式装輪装甲車、強力な35㍉機関砲と射程4kmの対戦車ミサイルにより乗車する一個小銃班を強力に援護して装軌式による突破能力と戦車に準じる高い防御力と高度な夜戦能力を普通科に付与した89式装甲戦闘車というような普通科部隊装備として北海道以外では中々見る事の出来ない車両。
Img_96763    世界初の光ファイバー誘導方式を実現させた上陸阻止精密誘導火力の新鋭96式多目的誘導弾システム、上陸用舟艇から戦車まで大型弾頭で破壊する79式対舟艇対戦車誘導弾、射程が13kmにまで達する前線直接掩護火力の主柱120mm重迫撃砲RT等が普通科教導連隊に配備されています。
Img_9704    機甲科装備では、避弾経始を重視した装甲に守られ油圧サスペンションによる姿勢制御と弾道コンピュータや測距装置により精密な射撃を行う事が出来る第二世代の74式戦車、この戦車を元に現代戦闘のカギというべき夜間戦闘能力を飛躍的に向上させたものの試作に終わった74式戦車改。
Img_9780    複合装甲と120㍉滑腔砲と1500馬力エンジンを50㌧の車両に上手くまとめ自動装填装置と自動追尾装置により高度な火力と戦闘能力を盛り込んだ90式戦車が戦車教導隊に配備されています。また偵察教導隊には87式偵察警戒車や斥候車両、地上レーダー装置等も配備されています。
Img_97953    52口径の長砲身155㍉砲を最大限機能させる自動装填装置と特科情報システム端末を搭載した99式自走榴弾砲、半自動装填装置や自走能力など今なお高い戦闘能力を維持するFH70榴弾砲、上陸部隊を遠距離から同時に面制圧して無力化するMLRS,内陸から超低空で遥か沖合の洋上目標を日本上陸前に撃滅する88式地対艦誘導弾。
Img_9822    50kmをプログラミングして飛行し目標情報を得る遠隔観測ヘリコプター、同時多数の砲弾を空中で捕捉して敵砲兵部隊の位置を瞬時に通知する対砲レーダー装置、加えて砲弾の飛翔を左右する気象データを特科部隊に通知し精密射撃を担う気象観測装置が特科教導隊に配備されています。
Img_9843    このほか教育支援施設隊が施設作業車や92式地雷源処理車、91式戦車橋等を装備していて、陸上自衛隊のかなりの装備を一度にみることができるわけです。普通科や特科の装備で富士学校に配備されていないのは、96式自走迫撃砲、73式装甲車、75式自走榴弾砲くらいでしょうか。
Img_9920    68式ロケットや75式自走多連装ロケット等の退役装備は展示保存地区に並べられています。 ここまで多くの装備がみられるとなりますと最新鋭の07式機動施設橋や03式中距離地対空誘導弾、AH-64D戦闘ヘリコプターも見たくなるのですが、こちらは勝田駐屯地の施設学校、下志津駐屯地の高射学校、明野駐屯地の航空学校に装備されていますので、こちらの行事の方へどうぞ。
Img_9929    それならば航空機は0ですか!?、と思われるかもしれないのですが滝ヶ原駐屯地に航空学校が教育支援のための富士飛行班を派遣してくれていますので、富士学校祭ではヘリコプターも参加します。まあ、現代戦にはヘリコプターも重要な位置を占めていますから、当然と言えば当然なのでしょうが、ね。
Img_9944  このように各種装備を見る事の出来る富士学校祭ですが、最も注目されている今年の目玉は、10式戦車が展示されるのか、という事でしょうか。これは何とも言えないのですが、富士学校祭のポスターをみてみますと、写真ではありませんが期待させるようなシルエットが描かれています。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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回線状況が非常に悪く本日の記事更新は遅延する見込みです

2010-07-07 23:54:30 | 北大路機関 広報

現在、メイン回線が非常に不安定な状況で、本日の記事掲載は遅延することとなりそうです

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パシフィックパートナーシップ2010終了 海上自衛隊輸送艦くにさき帰国へ

2010-07-06 21:36:27 | 防衛・安全保障

◆日本のMOOTW:友愛ボート

 米軍主導で実施されたパシフィックパートナーシップ2010が終了しました。友愛ボートとして参加した輸送艦くにさき、と陸海空自衛隊合同部隊、NPOは帰国の途に就いたとのことです。

Img_3402  朝雲新聞より引用 7/1日付 ニュース トップ :米太平洋軍主催医療・文化活動 「PP10」終わる 3自混成チーム帰国へ・・・ 陸海空3自衛隊の混成医療支援チーム約40人と民間NGO団体約20人など日本から総勢約220人が参加して5月31日からベトナムを皮切りに行われていた米太平洋軍主催の医療・文化活動「パシフィック・パートナーシップ2010(PP10)」は6月28日、最後の開催地カンボジアのシアヌークビルでの活動を終え、全ての日程を終了した。

Img_3383   海自輸送艦「くにさき」(乗員等約160人)は7月1日、帰路の中継地シンガポールで補給を行い、5日に同地を出発、15日に呉に帰国する予定。  シアヌークビルでは6月16日から21日まで、シアヌーク州立病院、23日から27日までアンドゥン・トゥーモ学校で自衛隊と米軍、日本の民間NGOの各医療チームが共同で現地住民を診察、治療などに当たった。

Img_4293   ベトナムでの活動と同様、部屋ごとに内科、小児科、眼科、歯科などに分かれ、医師や看護師らが現地の通訳を介して地元住民を診察した。無料で診療を受けられるとあって人々は大使館などを通じて事前に配布された招待券を持って朝早くから学校に詰め掛けたほか、口コミで評判を聞きつけた周辺地域の人々も終日押し寄せた。自衛隊手術車両を使っての診察、治療も行われた。

Img_4301   文化交流では「くにさき」の乗員が子供たちに剣道や折り紙を教えて日本の文化を紹介した。  PP10は米軍主催で平成19年から始まり、海自は毎年、医官、歯科医官各1人を派遣してきたが、今年は鳩山前首相が災害医療救援に海自艦を活用する「友愛ボート」構想を掲げたことから、初めて3自衛隊混成の医療チームを編成、輸送艦とともに派遣された

Img_4321  友愛ボートとして海上自衛隊の輸送艦をこの種の任務に充てるという発想は、名称そのものが提唱した鳩山総理大臣の安直な発想から名づけられた、という印象もあり、加えてみんなの党渡辺党首との会談において急きょ浮上した日の丸サンダーバード隊構想とともに、いったい何を考えているのか、と識者や国民の間に不満が噴出しました。

Img_4330  これらは当時の報道姿勢やWeb上でもそのあり方について議論が交わされていた傾向で、機会が無く聞くこともままなりませんでしたが、海上自衛隊部内においても、また新しい任務が人員も装備も増強されないままに加えられるのか、という事も含めて疑問符を加えた受け止め方もあったのではないでしょうか。

Img_4331  しかし、個人的に今回の友愛ボート構想に基づく海上自衛隊の輸送艦派遣は自衛隊による戦争以外の軍事任務:MOOTWとして見た場合、一定以上の評価があってしかるべきなのかな、と考えています。この事は以前にも繰り返し掲載したのですが、ヴェトナムやカンボジアという地域を選び、カンボジアは日本が国家再建への国連平和維持活動へ自衛隊を派遣した地域である訳ですし、第二次大戦とその後のインドシナ紛争までの期間のヴェトナムと日本の交流も小さくありません。ヴェトナム戦争に日本が参加しなかったという事もあるのでしょうが現在も関係は良好です。

Img_4342  F機関も含め、独立に関与した事例もあるのですから、友好関係の東西冷戦期という断絶を挟んだ持続を目指し、そういった地域と現代の日本との軍事面以外にも文化面を含め交流を強化する、という事は外交上の意義がありますし、何よりも日本の自衛隊が東南アジア地域において評価は度外視しても認知され、少なくとも敵対するものではない、という事を示すだけでも信頼醸成の観点からは大きな意義があります。特に安全保障問題は些細な誤解が異なった重大な結果に帰結することがありますから、信頼を醸成し誤解に基づく不幸な結果を回避するための努力というものは重要です。

Img_4343  もうひとつ、中国が東南アジア地域への影響力を増大させている中で、日本の満載排水量14000㌧の大型輸送艦が南シナ海を通りトンキン湾やタイランド湾を航行する、という事は軍事的示威を含めることなく、影響力を与えることが出来ます。この地域、特に南シナ海は周辺国が海底資源に関する利害を軍事力とともに提示しあっている南沙諸島問題という領土紛争を抱えています。この中で急激に軍事力を増強させている中国海軍を目の当たりにする東南アジア諸国に対して、海上自衛隊の輸送艦は多極化という意味合いで影響を受けることになります。

Img_4350  そもそも友愛、という名称も旧ソ連軍がワルシャワ条約機構軍の連携を目指し、NATOに圧力を加えた演習が“友愛演習”でしたし、日本語では自衛隊に用いる用語として馴染みがないだけで、決して変な名称では無い訳です。また、上記のとおり意義も大きい訳ですから、輸送艦、補給艦、掃海母艦、ヘリコプター搭載護衛艦等、なんとか一隻を捻出して今後も米軍とともに継続的な参加を行えないかな、と思います。(写真は小松島港まつり2009のものです)

HARUNA

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対領空侵犯措置! ロシア軍機が三日間で三回の領空接近、航空自衛隊が緊急発進

2010-07-05 23:32:29 | 防衛・安全保障

◆南西諸島には中国艦部隊が出現

 統合幕僚監部によれば7月3日にIl-38が2機日本海側から、4日にTu-95が2機太平洋側を東北沖へ進出、本日5日にはTu-95が2機、東海、四国、九州沖へ往復しました。そして3日、南西諸島には中国艦2隻が出現しています。

Img_9502  それぞれ航空自衛隊が緊急発進して対応したのですが、三日間で三回の緊急発進、というのは最近では非常に稀有な状況ですし、本日の対領空侵犯措置では沿海州を拠点として展開した爆撃機が九州沖まで進出してくる、というのもこれは非常に珍しい状況です。もっともTu-95は航続距離が大きいので沖縄方面に進出した事も多いので、技術的には可能な事なのですけれども、三日目の編隊が最も南下、ロシア軍の行動は活発ですね。

Img_1813  7月3日、ロシア海軍のIl-38哨戒機2機が沿海州から能登半島方面に接近、恐らく近傍の小松基地からF-15が2機緊急発進したと考えられるのですが、能登半島沖90kmの地点で日本海沿岸に沿って北東に転進、男鹿半島沖110km、奥尻島沖80km、留萌沖100kmで転進を行い、稚内沖での転進を最後に沿海州へ飛び去りました。三沢基地のF-2,千歳基地のF-15にそれぞれ移管して航空自衛隊は対処したと考えられます。

Img_5233  7月4日、今度はTu-95爆撃機二機が沿海州から北海道の礼文島に直進する方向で接近、転換して宗谷海峡上空を通過、この状況で千歳基地のF-15が緊急発進したと考えられます。択捉島と国後島間を飛行したのち、根室沖で転進、帯広沖を飛行して襟裳岬沖から太平洋を南東へ飛行。

Img_3256  三沢基地のF-2が対応したと考えられるのですが、続いて南下したことから百里基地のF-15かF-4の緊急発進を受けた可能性があり、金華山沖200kmを大きく転回して再度今度は襟裳岬へ接近する航路を採りました、三沢沖で二回にわたり360度旋回を行った後襟裳岬沖で東へ転進、続いて太平洋上で北へ転進して北方領土上空を飛行し、サハリン上空を経由して沿海州へ飛び去りました。

Img_8208  5日の飛行は最も長距離で実施されていて、サハリンに沿って南下、国後島沖で一度太平洋に方向を変え、三沢基地沖200kmで東京に向かう進路をとります。千歳基地と三沢基地の緊急発進を受けたのでしょうね、恐らく百里基地の戦闘機からスクランブルを受けつつそのまま伊豆諸島の三宅島南部の公海上を飛行。

Img_7422  Tu-95は御前崎沖で更に東海地方へ向かう進路をとりそのまま紀伊半島沖を飛行、このあたりで小松基地から緊急発進を受けたのだと思われます。四国沖を太平洋へ距離を放しつつ今度は九州沖へ転進、新田原基地のF-4から緊急発進を受けつつ種子島に接近、公海上で転進し同じ航路を戻りつつ続いて土佐湾へ接近。

Img_6930  Tu-95、再度進路を変え百里基地より緊急発進を受けたのでしょうか、福島沖まで往路を同じ復路を経て沿海州に戻るかと思われたのですが、福島沖で突如転進、銚子へ急接近しつつ再度北上するべく大きく向きを変え、三陸沖を襟裳岬へ最短ルートで飛行、襟裳岬、根室沖で転進を繰り返し、北方領土上空を経てサハリン方面へ飛び去ったことが確認されています。

Img_5048  防衛省はどの機体が緊急発進したのか、という事は報道発表していないので、緊急発進した部隊、というのは予想です。一方、ここまで長距離での運用や連続しての飛来となりますと、もしかしたらば浜松基地のE-767や三沢基地に配備されているE-2Cのような空中警戒機の出動もあったかもしれません。

Img_1859_1  それにしても三日間連続、緊急発進へ待機するアラートハンガーの隊員の方は緊張の連続だったでしょう。なにしろ、ソファーでリラックスして待機しているのですが、前触れ無しにじゃーん、とベルが鳴り響いて分かっていてもどきどきするわけです。耳に優しいチャイムにしてほしい、という要望もあったようなのですが、却下されています。

Img_7213  一方で三日間連続、となったのですが統合幕僚監部HPで報じされたのは本日5日に三件掲載されていた訳で、明日続かない、という保証は無い訳ですから、緊張は今も続いているでしょう。他方で、3日には沖縄近海に中国海軍の水上戦闘艦2隻が出現、海上自衛隊が警戒に護衛艦きりさめ、を派遣しています。

Img_6260  3日土曜日、2030時に佐世保基地を母港とする第7護衛隊所属の護衛艦きりさめ、が沖縄本島西南西170kmの海域を東シナ海から太平洋に向かい航行しているのを発見したとのことです。発見されたのは旅州型ミサイル駆逐艦の石家荘と江衛Ⅱ型の洛陽の二隻。洛陽は満載排水量2250㌧の小型汎用フリゲイトですが、石家荘はロシア製SA-N20艦対空ミサイルを搭載していまして、注意を要する新型艦です。

Img_7450  旅州型は中華型イージスと騒がれた旅洋Ⅱ型の蘭州と海口に続いて建造されたもので、旅洋Ⅱ型のようなアクティヴフューズドアレイレーダーの四面配置は行っていませんが、一応、継続して建造されたミサイル駆逐艦ですから、どういうレーダーの能力があるのか、注意を払う必要がありそうです、海外での任務が増えている海上自衛隊ですが日本周辺海域でも忙しい。このように日本周辺は北方からの脅威が再度高まっているとともに、多極化している、という状況の象徴のような数日間でした。

HARUNA

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とわだ型補給艦とわだ就役から今年で23年 後継艦はどうなるか!?

2010-07-04 23:45:34 | 海上自衛隊 催事

◆とわだ型3隻・ましゅう型2隻

 海上自衛隊は第一海上補給隊に、とわだ型3隻、ましゅう型2隻の計5隻の補給艦を配備して、護衛艦や外国艦船への給油や補給に当てています。その中の、とわだ型が就役から今年で23年を迎えます。本日はこの話題。

Img_8573  現在数の上では主力の、とわだ型ですが、一番艦が就役したのは1987年、従来この種の艦船は24年で近代化改修を行って艦齢を延長させるか、新しい艦を建造して交代して除籍するか、という選択肢を提示されますので、とわだ型もそろそろ後継艦を建造するのか、近代化改修を施すのか、考えなくてはならない時期となってきました。海上自衛隊の護衛艦は、アメリカ海軍のイージス駆逐艦が8000トンですから小ぶりと勘違いされるのですが、それは相手が世界最大の海軍だからでして、諸外国の水上戦闘艦が3000~4000トンくらいの満載排水量なのに対して、はつゆき型で4200トン、あさぎり型で4800トン、最近の、むらさめ型で6200トン、たかなみ型で6300トン、かなり大型です。イギリスが1982年のフォークランド紛争で遠くイギリス本土から展開する際にフリゲイトが小型だったので何度も洋上補給を行わなくてはいかなかったりして苦労した、という記録があります。

Img_0720  この点、海上自衛隊の護衛艦は大型なので搭載している燃料も多く、航続距離は長いことが期待されるのですが、通常、水上戦闘艦は全力航行すれば数日で燃料がなくなってしまいますし、燃料以外に生鮮食料や消耗品は補充しなくてはなりません。そのために外洋に出る海軍は補給艦を整備しなくてはなりません。海上自衛隊護衛艦も大型ではありますが水上戦闘艦である以上航続距離には限界があり、戦闘行動や行動半径を考えれば補給艦の存在は重要です。この重要な、しかし見過ごされがちな補給艦について大きな話題となったのは小泉内閣時代に行われたインド洋海上阻止行動給油支援を行っていた際に補給艦が不足していたという際のことです。インド洋給油支援、再開するのかしないのか、民主党政権部内ではいろいろと意見があるようですが、自民党政権時代に実施されていた当時は4隻しかない補給艦、非常にやりくりが苦労した、という話が当時から伝えられています。

Img_1075  海上自衛隊が補給艦を導入したのは1962年、はまな就役の際です。当時は給油艦と呼称され、満載排水量7550トン、基準排水量2900トンと小型ではありましたが、当時草創期から国産艦への転換期にあった海上自衛隊の部隊運用を支えました。1979年には満載排水量9000トン、基準排水量5000トンの、さがみ、が建造されました。燃料に加えて潤滑油から弾薬、食料、消耗品まで補給できるようになり、はるな型、しらね型、たちかぜ型といった大型護衛艦の導入期にあって、海上自衛隊の補給能力を高めることに寄与しました。

Img_1282  さて、日本の防衛政策は1970年代までは経済発展を主軸として、第一に北海道への極東ソ連軍の侵攻を米軍の到着までなにが何でも持久戦で持ちこたえる、という北方重視。第二に朝鮮半島情勢が緊迫化してソ連の支援の元での北朝鮮の軍事行動に際して、九州や日本海側への圧力に対処する、という、いわば日本列島に立てこもって持ちこたえるというものが防衛政策の基本でしたが、1970年代後半から、シーレーン防衛というものの重要性が認識されるようになってきました。いや、重要性は第二次大戦中に船舶を潜水艦に次々と沈められている頃から認識されていたのですが、太平洋戦争敗戦の頃から復興に至るまで、本土防衛で手一杯だった、というのが実状でしょうか。

Img_8341  1980年代になると、シーレーン防衛を充実させるために、はつゆき型護衛艦12隻の大量建造やP-3C哨戒機100機体制の確立へ歩んでいきました。護衛艦は満載排水量2800トンの、みねぐも型、2750トンの、やまぐも型、3950トンの、たかつき型から4000~4200トンの、はつゆき型へと大型化しましたので、必要な燃料や物資も増大することとなったわけです。シーレーン防衛を担うべく、それまではヘリコプターを運用する護衛艦は、はるな型2隻、しらね型2隻の4隻のみで、第一護衛隊群の第51護衛隊と第二護衛隊群の第52護衛隊にそれぞれ2隻が配備されていたのですが、護衛艦隊の護衛隊群を同一編成にしよう、という流れとなり、新しく護衛艦8隻、ヘリコプター8機を一個護衛隊群とする体制に移行することとなりました。ヘリコプター搭載護衛艦を旗艦として、航空機に備えるミサイル護衛艦を2隻、ヘリコプター1機と各種ミサイルを搭載した護衛艦を5隻配備する編成へ転換することとしたわけです。

Img_6337  この為、とわだ型補給艦の建造が始まりました。1987年に1隻、1990年に2隻が就役したこの補給艦は、満載排水量12100トン、一隻でいっこ護衛隊群の8隻にたいして補給を行うことを目的として搭載する燃料や弾薬などの総量が決定されました。護衛隊群は四個ですので、引退した、はまな、を差し引いても、さがみ、そして、とわだ型3隻、で四個護衛隊群をバックアップ、という体制になったわけです。しかし、日本が専守防衛から世界の安定こそが日本の平和の礎として国際貢献に積極的に参加するとは、1990年の時点では考えられなかったのです。9.11以降、海上自衛隊がインド洋給油支援を行い、8隻の護衛艦に支援を行う、ということを第一に考えて決して大きくない海上自衛隊の補給艦を長期間、インド洋やアラビア海で運用させるという想定外の任務に、能力の限界が露呈します。

Img_0218  インド洋給油支援が始まる前、9.11前なのですが、ちょうど2000年度予算で基準排水量13500トン、満載排水量25000トンの、ましゅう型の建造が決定して、2003年と2004年に2隻が建造されました。補給に加え災害派遣や国際貢献への支援を念頭に置き、みねぐも型の二倍以上となった、むらさめ型や、たかなみ型に応えるべく大型化したのが幸いして、インド洋給油支援では活躍しました。さて、とわだ型の満載排水量は9000トンなのですが、1993年から9500トンの、こんごう型イージス艦が4隻建造され、続いて10000トンの、あたご型が就役、更に昨年から19000トンの、ひゅうが型の就役が始まり、22DDHとして2015年には満載排水量24000トンの護衛艦が就役します。

Img_8495  新しいヘリコプター搭載護衛艦には、ほかの護衛艦への給油機能が盛り込まれるとのことですが、ほかの護衛艦も大型化しますので総合的には補給艦への需要は低くはなりません。そして、国際貢献の任務も、これからは増加することはあっても減少することはなさそうです。とわだ型の後継艦は、どうなるのでしょうか。アメリカ海軍が空母部隊の支援用に建造したのが49000トンのサプライ級、かなり大型です。アメリカの艦は大型、と先ほど書いたのですが、イギリスのフォートビクトリア級は36580トン、スペインとオランダが共同開発したパティーニョ/アムステルダム級が17040トン、ドイツ海軍のベルリン級が20243トン。イタリアとギリシャ海軍が共同設計を採用したエトナ/プロメテウス級が20000トンですから、ましゅう型はこれらのなかでは中間に位置する大きさです。海上自衛隊の活動範囲の広域化を考えれば満載で30000トンクラスのものも必要といえるでしょう。

Img_0188  一方でカナダ海軍やオランダ海軍では、補給艦と揚陸艦の中間のような多目的艦の建造を計画しています。補給艦なのですけれども、後部の上部構造物はヘリコプターの運用能力を重視していて、陸上部隊の輸送も念頭に置いた設計の艦となるようで、こうした艦船の整備も日本にはあり得るのかもしれませんが、海外派遣の中枢艦として整備するのではなく単に補給艦として考えるのならば非効率になってしまうのですが。ともあれ、補給艦の重要性はインド洋給油支援を差し引いても護衛艦の大型化と任務範囲の広域化により重要性も高まっており、補給艦はどのように予算上扱われるのか、今後の動静に注目してゆきたいです。

HARUNA

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航空自衛隊次期救難ヘリコプター選定 可能ならば機種の共通化が望ましい

2010-07-03 23:28:49 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆約40機が調達される見込み

 航空自衛隊の次期救難ヘリコプター選定がいよいよ開始されるようです。EH-101かNH-90か、S-92の可能性もありますしEC-225やCH-47JA、いやCV-22という可能性も0ではありません。

Img_7938  航空自衛隊は、航空機事故等を想定した救難ヘリコプターとして1991年からシコルスキー社の機体を三菱重工がライセンス生産する形で約40機のUH-60Jを装備しています。万一の航空機事故はもちろん、有事の際の損耗により脱出した航空機搭乗員が危険にさらされた際、必ず救助する、という航空救難体制がある、ということは航空機搭乗員や航空機に関わる全ての要員にとり、心の支えとなります。文字通り命綱ですからね。

Img_4712  この機体の後継機ですが、20年くらいを掛けて40機程度を調達してゆく事となります。基本的にライセンス生産を求めることになるでしょう。一気に外国から購入すると多少安く買えるかもしれませんが予備部品と整備で苦労しますし、20年ほど後に一気に耐用年数を迎えてまたまた少ない予算から一機に買わなくてはなりません。ちまちまと20年かけて輸入していると仕様変更で部品が調達できなくなったり、機体そのものの生産が終了してしまう事も考えられます。長く安定して調達して運用するには気心知れた日本のメーカーによりライセンス生産が基本でしょう。

Img_8310  事故が起きるような状況というのは、快晴無風の日中という状況は中々考えられず、視界が極端に悪い悪天候の夜間、ということも想定されるので1660馬力という強力なエンジン二基を搭載して航続距離1300kmにも達するUH-60に前方赤外線監視装置、航法用気象レーダー、慣性航法装置にGPSを組み合わせたものをUH-60J救難ヘリコプターとして採用しています。

Img_4998  これならば、夜間でも悪天候で視界が悪くとも周辺状況は確認できますし、エンジン出力が大きいですから気流が少々悪くとも力技で操縦することが出来ますし救難に必須のホバーリングで空中に停止する事も悪天候下で可能、航続距離が長いですから遠い海上での事故にもある程度対応できます。最近は空中給油受油装置の搭載が始まり、航続距離が大きく延伸する事となりました、これは救難能力の向上となる訳ですね。

Img_0310  UH-60Jは海上自衛隊で救難ヘリコプターとして約20機が調達されていて、陸上自衛隊でも30機以上が調達され、多用途ヘリコプターとして運用されています。陸海空で同じ機種のヘリコプターを運用しているのですが、加えて海上自衛隊ではUH-60Jの胴体を基本としたSH-60J哨戒ヘリコプターを100機近く調達していましたので、整備補給を効率化することが出来ました。

Img_0268  そこで、救難ヘリコプターですが、航空自衛隊の独自の仕様を盛り込むことは任務遂行上不可欠なのですが、同時に共通の機体を陸海空自衛隊で導入して教育から部品調達まで、そしてライセンス生産における部品調達の費用の低減も含めた考慮があれば非常に理想的です。過去に自衛隊ではV-107を陸上自衛隊は輸送用に、海上自衛隊は掃海用に、航空自衛隊は救難用に採用して川崎重工にてライセンス生産を実施していましたが、高い稼働率とアメリカのバートル社での生産終了後にも調達できた、という安定供給が実現しています。

Img_6821_1  自衛隊のヘリコプターといいますと、観測ヘリコプター、対戦車/戦闘ヘリコプター、輸送ヘリコプター、要人輸送用ヘリコプター、哨戒ヘリコプター、掃海輸送ヘリコプター、練習ヘリコプター、救難ヘリコプターとかなりの機種がありまして、それぞれ任務に適した機体が選定されています。それぞれ個々にこれが最適、という機体はあるのですけれども、出来ればエンジンや整備部品などを共通化できれば取得にも整備にも維持にも稼働率向上にも寄与することでしょう。

Img_1055  全部一機種で、対応できるのならば理想なのですがこれは特性上無理ですので、冒頭に挙げたEH-101やNH-90,S-92にEC-225やCH-47JA,CV-22ですが、選定を行う一方で航空自衛隊だけの機種選定では無く、陸上自衛隊の多用途ヘリコプターや海上自衛隊の救難ヘリコプターに転用できないか、SH-60Kの生産終了後に導入する新しい哨戒ヘリコプターの原型に対応させる、という事を念頭に置くべきなのでは、と思います。

Img_3048  この点、EH-101は海上自衛隊がMCH-101やCH-101として採用していますので当方が最も適していると考えるのですが、機体が大型で大型機の墜落というような状況以外には大きすぎるようにも、またエンジンが三基ついていますから信頼性は高いのですが整備を考えると三基というのは難点となるかもしれません。

Img_4683  もちろん、共通化を金科玉条の如く掲げることがすべてではありません。無理に共通化するという事は、大は小を兼ねるの論理で必ずしも必要でない大型機や高性能機が充当される事にもなり得ますから、このあたりの分水嶺の判断は慎重に行う必要があります。こうした点を踏まえ、もう少し広く航空自衛隊以外の意見も反映が望ましい、と思いつつどういう機体が選定されるのか、興味は尽きませんね。

HARUNA

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