人には、変わる時というのが在る。言葉を変えれば恵みの時の到来といえる。
ある日、今まで見えにくかったことが見え、そしてもっと自然なありのままの自分が感じられる過程である。
この一週間、いろいろな要素が重なり、この10年の滓というものの存在に気づき、解決への過程に入りつつある。アイデンティティの統合の問題だと思うが、この数年受容しにくかった真実がより見えてきたようだ。
プロセススケールが、先週の後半から低下し、現実吟味力は低下し、防衛機制も高まり、アイデンティティの統合も混乱し、ストレス曲線も一時はウツまでいった。
今は徐々にではあるが、回復しつつあるように思える。幸運であったのは、いくつかの語らいや助言を頂いたこと、良い本を読んでいたことなど、本当にいくつかの要素があったお陰だと感謝している。
昨晩は、学生時代に愛読したオーストリアの詩人リルケ(ライナー マリア リルケ)の時祷詩集をぱらぱら捲っていた。その時、偶然学生時代に感動した一節にめぐり合った。
・・・
素朴にみち、あくまでもあなたの下部(しもべ)です。
何も欲しません。彼らがもし何かを欲するとすれば、
それはただ一つ―
ほんとうにありのままに貧しくあること。
なぜなら、貧しさは内部から射す偉大なかがやきだから。
・・・(筑摩書房 世界文学大系 リルケ 手塚富雄編)
この一節は魂とは、聖霊とは何かを実感させる何かがあるように思った。そして、今この変化しつつある時にとって大きな糧になるようだ。
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