先日の総裁選で敗退したA氏が、内閣人事で「哲学が違うから」ということで入閣を固辞したという。その真偽はとにかく、A氏の言葉は私にとってハッとすることがあった。
若い頃は、無我夢中で仕事をし、組織の理念や哲学などは半分どうでもよかった。
中年になり、より責任の重い仕事をするようになると、表面的な部分より、理念や哲学が気になってくる。本音と理念、哲学の関わりが重要だなと思い始める。
某NXX放送の今日終了した連続ドラマは老舗旅館の話で、楽しんで見たが企業理念についても考えさせられた。
今、私はサラリーマンをやめて、あるNPO法人の仕事に関わっている。そこで良いのは、一緒に仕事をする仲間と哲学を共有していることである。
哲学を共有できない組織に深入りすることは、人生の折り返し点を過ぎた私にはできそうにない。逆に言えば、哲学を共有できる仕事仲間がいることの幸せということかもしれない。
先日訪れた比叡山。最澄は12年籠山の後、遣唐使の一員として出航し、当初は失敗して九州に訪れ宇佐神社などを訪問し見聞を広めたという。
さらに再出発して、中国天台山にめでたく到着した。麓の国清寺は比叡山に似た聖地だったようである。その時の感激と同志の交わりを想像すると胸が熱くなる。
最澄と桓武天皇、この関係も哲学・宗教の共有が大きかったかもしれない。
哲学・宗教の共有を想いながら今日も、秋の夜半を楽しみたい。
(「最澄を辿る」 永井路子、清原恵光著 講談社を参考にしました。)
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