イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

霧の中で何かを知覚する・・・

2007-09-21 | 第八章「魂と聖霊」

先日、比叡山延暦寺に訪れた。朝から琵琶湖方面の坂本地区から登り、延暦寺の東塔地区、西塔地区を観光させていただいた。

琵琶湖の影響だろうか、延暦寺は霧に包まれていることが多いようである。私の訪問した時も朝早かったこともあり、乳白色の霧に包まれていた。

霧というのは不思議である。視界が霧で遮られるばかりでなく、ちょっとした時に、怖れる感情と、何か暖かい感情が沸いてくるようでようである。

私が3歳のころ、両親や祖父母につれられて日光の東照宮に行ったことを微かに記憶している。その中で、仁王様の怖い像を見て怖くて泣いた。後で何回か日光に行った経験があるが、いつも霧に覆われていた為か、その3歳の時の怖さも霧と関係しているようにも思える。

7歳のころ、父の運転するトラックでアラスカの海岸沿いの道を夜移動したことを思い出す。その時も、断崖の道でヘッドライトで見える前方が霧で覆われ怖かった。そして、怖い記憶とともに、父と共にいる暖かい安心感も抱くかもしれない。

霧の向こうに、怖い何かを感じる。そして、何処かほっとするような気分も混じる。そんなとき、私は神秘的ななにかを知覚しているようだ。

眼に見えないものを信じるときの体感。それは霧とどこかで繋がっているように思う。そして、人間が太古の昔から、眼に見えない何かを知覚・体感することができることをありがたく思う。

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