佐伯泰英さんの「惜櫟荘だより十一」(岩波書店「図書」3月号)を読んだ。
ワイダがこの惜櫟荘に泊まったことがあり、そのときにこの窓からの景色を浮世絵風に描いた絵を惜櫟荘の当時の持ち主だった岩波雄二郎に贈ったが、この修復再建する惜櫟荘の上棟式に当たって、岩波家からこの絵を佐伯さんに寄贈されたということが書かれていた。
ワイダの「灰とダイアモンド」という映画は学生のときに見た覚えがあるが、どうも内容がよく理解できなかった。廃墟を主人公が歩くというシーンしか思い出せない。それさえも本当のこの映画のシーンだったかも疑わしい。
ところで、この文を読んでいて急に想起したのが、鶴見俊輔さんのことである。私は彼の学生ではないので、敬称ではなく「さん」で許してもらおう。
彼との交流ができたのは武谷三男を巡ってである。私は武谷の著作目録とか業績リストをつくっており、それらの別刷を彼に送ったことから交流を細々とするようになった。
どうして急に彼のことを思ったのかはワイダの生まれた年、1926年が鶴見さんの生年と同じかとても近かったからである。
昨年には「広重徹の三段階論批判を考えるI」(徳島科学史雑誌所載)の別刷を送ったら、返事のはがきをもらった。今年はその続編の「広重徹の三段階論批判を考える II」 の別刷を送ったが、はがきは今までのところ来ていない。
これは彼が病気か何かで自分ではがきを書けないからだと思われる。便りも情報を与えるが、便りがないのもある意味では情報を与える。年齢が年齢だから病気がちでも仕方がないのだが、もし病気なら回復されることを祈っている。