このたびの東北関東大震災で、専門家の言として「想定外」という語がテレビで語られた。
これは仕方がないというべきだとは思わない。想定外ということは専門家としては自分は専門家の名に値しないということを自分で言っているようなものではないか。
確かに自然科学や工学は経験科学ではある。だが、普通の人が予想しないようなことをも予想してその警告をすることが専門家の仕事ではなかったのだろうか。
東北関東大地震が想定を上回ったことは事実だろう。だが、今回の地震が世界最大の地震であったわけではない。ということはもっとマグニチュードが大きかった地震があったということである。
だから経験科学としてもおかしいのではないか。自然界で起こったことはどこで起こっても不思議ではない。そう考えるべきでは。また、現に世界のどこかで起こったことは自分の身の近くでも起こるのである。そういう自然の営みを忘れるべきではなかろう。
だから、私としては私の住んでいるところにもいつかは起こるのではないかと思っている。もっともそれに対する備えをしているかといえば、心許ないのだが。
それにしても今回の地震に伴う、津波の備えでうまく機能したものはないようだ。確かに財政的な問題ですべの備えをハード的にすることはできないかもしれない。少なくとも一箇所でもハード的な備えでなくともそのソフト的な備えがうまく機能したという事実を知りたいものである。
むしろハードな備えが不十分だったというのなら、それに代わる避難のシステムを構築すべきであったし、その警告のためのラジオやテレビやその他の公共の地域内放送とかを整備すべきであろう。そのときに警告の放送が入ったときにラジオの受信機やテレビの受像機が自然にスイッチが入るかとかは今の技術ではできないことではなかろう。
それにしても山のふもとに住めば、台風のときの豪雨で山崩れがして住居が押しつぶされたり、また海岸に近くに住めば、大津波に襲われたりする。いったい日本に安全なところはあるのだろうか。
福島原発のお粗末はいうまでもない。想定外とのことで許される話ではない。ECCS(緊急炉心冷却装置)がうまく機能しなかったためらしい。それも水を炉内に注入するモーターの電源が作動しなかったと聞くと電力会社の脇の甘さを指摘されてもしかたがないだろう。想定外の津波で燃料タンクが流されてしまったとも聞く。
想定外なら人命をないがしろにしてもいいということはない。もちろん、人生には意外な予想外のことが起こるのが常であるとしても、それが電力企業のいい訳であってはならないだろう。