物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学・物理通信第6号の発行

2011-03-07 13:35:55 | 数学

数学・物理通信第6号をようやく今日発行することができた。2月はじめくらいに著者に草稿を送リ返して、再度の検討をお願いしてそれをもとに最終の手入れをした。

最後に共同編集人のNさんのところに印刷されたサンプルを見せて意見を聞き、4日ほど経ったので今日発行となった。一つ問題なのは一巻を何号で終えるのかをまだ決めていないことである。10号で1巻とするのか、12号で1巻とするのか。

2号か3号で終わるかとも危惧したが、原稿を投稿してくださる方がいるので、何とか6号までは発行できた。共同編集者のNさんに1部印刷するのと私自身の保存のために1部印刷するだけで後は印刷をしていない。

だから、パソコンの画面上でチラッとみて終わりにされる人も居られるに違いないが、こういうサーキュラーは任意でやっているものだから、それがどのように取り扱われるにしても文句をいう筋合いはない。

役に立つとも思われればそれに越したことはないが、ちらっと何か奇妙なことをやっている人がいるだけと思われても別にいいのである。


人生の進み方

2011-03-07 10:51:01 | 日記・エッセイ・コラム

先日の知人の死で感じたことを一つ。この知人は3人の子息と5人の孫をお持ちであった。

それで考えたのだが、人生がとんとんと早く進んでいく人と私のようにゆっくりとしか進まないと思える人々がいる。私の子どもがパートナーを見つけたのも遅かったし、ましてや孫などは期待できそうにない。

私は歳をとったという意味ではおじいさんだが、孫を持っていないので文字通りの「おじいさん」ではない。そういう意味では人生がゆっくりとしか進んでいないというべきだろうか。

子どもがいて、孫が居るという風ではないので、昔風の考えでは私の人生はまだ半端であるともいえるかもしれない。しかし、これは私が不満足だということではないので、昔風に考えればというだけである。

人生がゆっくり進むと上に書いたが、本当はちょっと出だしが遅いので、時間の進み方が遅れているといったほうが本当だろうか。だが、他の普通の人の時間を並進移動したようなものではない。

これは家族のあり方が違っているからである。私自身は不幸せだと思っているわけではない。今までの人生の経過としてはいろいろあったが、それでも幸せの方だと思っている。

知人の死をきっかけとして、しかし時間の並進移動みたいなことのある人もいるのだろうと考えたし、私の主観的な時間が人と比べて遅く進んでいるとも思えることに気がついた。

これは土曜日にテレビで「時間とは何か」という対談を見たからでもあった。渡辺慧さんという物理学者が居られたが、彼の関心事の一つが時間であった。いつだったか、このブログでも書いたアンパニウスというペンネームで論陣をはった方である。

アンパニウスはギリシア風の名前だが、これは渡辺さんがアンパンが好きだったということから友人がつけたか、自分でつけたあだ名であったらしい。