月曜の朝方に夢を見た。これは兄の家が津波に襲われた夢である。この兄はすでに15,6年前に亡くなっているのだが、もちろん家は残っている。そこにはいつもは誰も住んではいないのだが、ときどき甥の一家が帰って来ては泊まっている。
その家が大きな津波でさらわれて跡形もなくなっているという夢である。もっとも夢ではその跡を見るとどうも家ではなくて船がそこにあったようでもあった。これは実際にテレビの画面で大きな船が津波で押し流されていくのを何度も見たせいでもあろうか。
その津波で家が押し流された結果として誰か身内が亡くなったというのは夢では出てこなかったような気がする。これは多分、テレビで津波の映像をなんどか見たが、まだ自分にそれほど身に迫っていないからであろうか。
今日の朝日新聞の天声人語のコラムでは原発が科学の産物であるよう書き方をされていたが、科学は何かをするという目的をもっていない。だから、原発は技術の産物ではあっても科学の産物ではない。もちろん、現代の技術は科学の成果に基づいていることは確かだけれども。
科学が目的を持たないのとは違って、技術には必ず目的がある。これが科学と技術の大きな違いである。上述の天声人語氏の批判の内容は当たっていると思われるが、ただ科学と技術を混同しているのは頂けない。
しかし、賢明なジャーナリストであると思われる天声人語氏にしてもそうであるのならば、一般の人には原発は科学の産物であると思われているのだろう。天声人語氏のみならず、心ある人々には星野芳郎の技術論を学んで欲しいものである。
数十年前に岩波書店から出版された岩波講座「基礎工学」の中にある、星野芳郎の「技術の体系」のはじめの部分に科学と技術との違いが明確に述べられている。私は何度かこの科学と技術の違いを工学部の新入生のオリエンテーション講義で話したことがあった。
しかし、他のところで科学と技術の違いを、ここに書いてあったように、明確に書いてあるのは読んだことがない。