今朝の朝日新聞の天声人語に中国のある漢詩の翻訳ととして「有名な」井伏鱒二氏の名訳と言われる、「花に嵐のたとえもあるぞ、別れだけが人生だ」というのが紹介されていた。
ところがこの「たとえ」がわからなかった。辞書を引いてみると「たとえ」の項の説明ではなんだかわからなかったが、「たとえる」を見てようやく分かった。
「たとえる」は「ある事柄・物をわかりやすく説明するため、また、事物を生き生きと形容するために、それに似かよった物事を引き合いにだす」とある。
そう言われてみれば、そういう使い方をすると思うが、ちょっと「たとえ」という語が私には分からなかったのは事実である。
「花に嵐のたとえもあるぞ、別れだけが人生だ」はあまりに人口に膾炙されていて、それが井伏鱒二の漢詩の名訳だということも知らなかった。
そういうことが話題になるのも現在が桜がそろそろ散る時期であるからだろう。松山では昨日の天気はそれほど風が強いということもなかったので、石手川の桜もまだそれほどは散ってはいない。
昨年もそうだったように、いくらか早く桜が咲いたが、温度がそれほどは上がって来てはいないために、桜が例年よりは長持ちしている。
そういえば、いつの間にか街路樹に黄緑の芽とか葉が出ていることに気がついた。冬の間はまるで枯れたかのように沈黙と忍耐を重ねていた木々はようやくその忍耐の衣を破った。