4月28日はちょっと嫌な日になった。「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が行われたからである。一方、沖縄では一万人以上の人が集う「屈辱の日」ということになった。
その前日の4月27日の朝日新聞では「主権と回復」と題して政治思想史が専門の片山杜秀教授のインタビューを載せていた。
片山さんは「主権回復の日」をお手軽な国民統合の仕掛けだという。政府が主権や国防軍、日の丸、君が代といったシンボルを強調するのは「もう国は国民の面倒はみない。それぞれ勝手に生きてくれ」という政権の新自由主義的なスタンスと関係があるという。
戦後ほぼ60年にわたって政治を握ってきた自民党の政策ともまったく違ってきているのだという。憲法の改憲草案で「家族は互いに助け合わなくてはならない」とうたうのは家族が互いに助け合えば、国にとって安上がりだからという。
国民の面倒はもうみない。しかし、文句を言わせないために安上りの仕掛けをたくさんつくっておこうというのが安倍政権の改憲路線だという。それが本当かどうかはもう一つわからないが、その論に納得できるところもある。
現在、たしかに国民皆兵にして海外で戦争をしようなどと時代錯誤のことを考えても、そういうことなどできないのは事実である。だって、昔の植民地をなどという時代ではないし、そんなことを世界が許すはずもない。
だって、ちょっとでも勝手なことをするとすぐに世界的な政治的・経済的な制裁が入って、国民の生活が立ち行かなくなることは確かである。
それだから、政府の改憲路線が許されるなどとは全く思ったことがない。第一に国防軍などと自衛隊を改称するだけでも中国、韓国等の反発は今よりの強くなることは必定である。
だが、そういうことはもう政府には織り込み済みらしいし、史上最大の国会議員の靖国参拝などをみると外国とのつきあいなどどうでもいいらしい。それがたとえ経済的に少しくらい引きあわなくなっても。
アメリカの方から、むしろ現政権の見解に対してそれは困るのではないかとの懸念が暗々裏に出ているようだが、まだそれがあからさまに外交的に言われるまでにはなっていない。あのアメリカの顔色を窺うことに長けた日本政府としてもそういうことをあからさまに言われるまでは突っ走るのであろうか。
「アベノミクスはお祭り囃子しかすぎない」と片山さんは言っているが、それの真偽はいずれわかるときが来るだろう。
たしかに「美しい国」とか言われても国民が生活に困るようなら、日本は「美しい国」ではありえない。