物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

不思議に思っていること

2013-04-10 14:24:24 | 日記・エッセイ・コラム

私のブログの一番の読者は私である。だが、それも他の読者の方がブログを読んでくださっていることから触発されてである。

というのは、どういうブログが読まれたかを私は知ることができるが(ちなみに何方が読まれたのかは知ることができないので、ご安心ください)、それによってその読まれたブログを私がもう一度読んで言い足りなかったところを書き換えたり、論点の整理とかをいつもしている。だから私が自分のブログの一番の読者であると思っている。

それは別に不思議なことではないのだが、12時を過ぎて真夜中にも読んでくださる方が居られるのが不思議である。

いつだったか、アメリカの大学で物理学を学んでおられる大学院生の方から数学・物理通信を送ってほしいという要望を頂いたことがあるので、ひょっとしたら外国で生活をしている方で私のブログを読まれている方が居られるのかもしれない。

だが、それにしても意外にも真夜中に日本語で書かれたブログを読まれる方はどういう方なのであろう。それも夜中の1時ころならば、私の感覚ではまだわかるが、3時とか4時に読まれる方が居られるのが理解できない。

いや別に何時に読んで頂いても私はかまわないのだが、そういう時間に「まだ」か「もう」かはわからないが起きていて、ブログを読まれる方の生活はどうなっているのであろう。

だが、それは私の不思議に思うことであって、読者の方がブログを読んで私の疑問に答えてくださる必要はまったくない。


生きていくことの意味

2013-04-10 11:00:54 | 日記・エッセイ・コラム

「生きていくことの意味問いかけるその度に」という言葉ではじまる「命の歌」という歌がある。

歌はコーラスでよく歌われるので、少しづつ私の耳にもなじんできている。歌の曲自身には文句をいうつもりはないが、「生きていくことの意味」など問いかけるという言葉が嫌いである。人生何年生きてもその意味などわかるものではない。

私自身はそういう問いかけをすることが嫌いであるというか、間違っていると思っている。人生そんな問いかけをする暇があったら、もっとまっとうなことをした方がいいとまで考えている。

これは新々宗教にはまった人たちに往々にして見られる問いかけだからである。そういういくら考えても答えがわからないことを問いかけるべきではない。これが私の考えである。

そういうことを言うと哲学者は反対するかもしれないが、大体そういうことしか問題にしない哲学者ならそういう哲学者はいらない。私はそう思っている。また現に尊敬できる哲学者はそういう議論しても回答のないことのみ議論しているわけではないと思っている。

命の歌に戻れば、「大事なことは目に見えない」とか何とかいう節がある。そのことには異論がないが、これなどサンテクジュペリの「星の王子様」に出てくる言葉を思い出させてしまう。

もちろん、出典がどこであろうと歌にしてかまわないのだが、2番煎じだと思う。