物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

またまた英語?

2015-06-25 12:38:17 | 日記
偏見とは私はprejudiceだと思っていたら、昨夜のNHKのTEDでJyoi Itoさんがbigotoryという語を紹介された。

聞いたことのなかった語だったので朝食後に妻と話をしたが、あまりくわしいことはわからなかった。

辞書を引いてみたがその綴りがわからない。岩波の英和辞典を引いてみたが、載っていない。それでもっと新しい英和辞典の小学館のprogressiveを引いてみたが、綴りはわからない。しかたがなく、Websterを引いたら、やっと綴りがわかった。

それで、もういちどprogressiveに帰ってみたら、さすがにこれには載っていた。もっとも訳語は単なる偏見ではなく、「(人権的・宗教的な)偏見に根ざした憎悪、頑迷」とある。この語を偏見と訳したJyoiさんはやはり穏やかな人柄だと思われる。

bigotという語があるので、bigotryはその派生語になる。

ところで似たような語に先入観という語がある。これは英語ではpreoccupationとでもいうのだろうが、意味はどう違うのだろか。先入観にはそれほど意地の悪いイメージはないが、本当のところはどうなんだろうか。

いま辞書を引いたら、preoccupationは「没頭、熱中」という訳が先頭にあった。

今までの話とは全く関係がないが、culinaryという語を最近知った。料理に関係した語であることは分かっていたが、「台所の、料理の」という訳が辞書に出ている。こちらの方は妻がスマホで調べてくれたが、発音を聞くとカワリナリーとワの音が入っているように聞こえる。キュリナリ―という発音もあるようだが、多分アメリカではカワリナリーという発音で通っているのだろう。ワという音が入るはずはないのだが、私たち日本人にはそのように聞こえてしまう。本当の発音はカーリナリィーであろうか。

もっともこのculinaryという語はドイツ語のkulinarischという語から料理関係の語だろうと推察したのがこの語を知ったいきさつであった。

このkulinarischという語の下にある辞書の言葉はdie Kulisseという語である。辞書には「書割り、舞台装置」とか訳語が出ている。hinten den Kulissenという句で比喩的な意味で使われて「舞台裏で」という意味である(注)。

この語はいままでなんどか出会った語だが、すぐには頭に浮かばない類のドイツ語である。

それはともかく、後がおよろしいようで。

(注)hinten den Kulissenのden Kulissenは複数名詞の三格である。「複数3格 n 終わり」と覚えなさいとNHKラジオの以前のドイツ語講座で慶応大学の境一三先生がいつも言われていたが、複数3格 n 終わりは私にはなかなか定着しな
い。

(2015.6.25付記)
昨夜のEテレの「ニュ―スで英会話」でculinaryが出てきたが、鳥飼久美子さんはカーリナリィーと発音されていたようである。

(2024.6.19付記)
culinaryと同じ意味のフランス語も知っていたような気がしたが、思い出せなかったので仏和辞書を引いてみたら、culnaireキュルネェルと発音するようだ。付加しておく。


観光は平和に役立つ?

2015-06-25 12:16:25 | 日記
昨晩TEDの放送を見た。これは前に見たものの再放送だったが、観光がこれからの世界の平和に貢献するのにもっと必要だということであった。

この講演をした人はパレスティナ人であるが、イスラエル人とパレスティナ人の二人のガイドをつけた
イスラエルとパレスティナの観光訪問を企画する旅行会社をやっている人で過去にイスラエル人に兄を死に追いやるような虐待を受けた人である。

そして、二人の異なった見解やバックグランドをもったガイドがイスラエルとパレスティナの歴史と現状を語るガイドをして、かつそれぞれの国のある家庭を訪問したりすれば、相互理解を増すことになる。

それがまどろこしいようだが、結局は近道になるという信念を持つに至った。これは彼があるとき、ヘブライ語を学ぼうと思ってあるヘブライ語の教室に通ううちに兵隊ではない普通のイスラエル人と知り合いになり、それもカントリーミュージックがお互いに好きであったことが彼の眼を開かせたという。

こういう話はたとえば、韓国と日本の間でも中国と日本の間でも同じようなことが大規模ではないが起こっていることである。

こういう話を聞けば、最近の世界情勢のあまりの惨状に心が暗くなっていたが、一縷の望みが出て来た。

北アフリカや中東からのヨーロッパへの難民や移民が地中海を超満員の船で渡って来る。その途中で船が転覆して命を落とした人たちも多い。また、イタリアの国に無事保護されたもののどこにも行けないという実情もある。

また根本的には北アフリカや中東諸国の政治情勢の不安とか生活ができないという実情がある。独裁政治に反対するというその縛りを取り除いたのはいいが、それは単に混乱と不安定と生活できないということをもたらしただけであれば、それはなんであったのだろうか。

それに対する答えはまだ見つかっていない。別に独裁政治がいいといっているわけではない。だが、イラクにしてもリビアにしても独裁政治はなくなったが、つぎの安定した政治をまだ見つけてはいない。

若い君たちはそれに対してどう答えるのであろうか。このようなことはまた南スーダンで現に起こっていることでもある。