物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

第4のエッセイ

2015-06-26 17:36:32 | 日記
『数学・物理通信』に投稿があった、自然数のべき乗の和について私も今回かなり考えたので第4のエッセイ原稿を書き始めた。第4のエッセイなどというと、映画の「第3の男」をタイトルをまねたようで申し訳がないが、そんなスリリングな話ではまったくない。

それはともかく、ちょっと入力していたら、突然入力した原稿が消えてしまった。泣く泣くもう一回入れ直したが、油断がならない。

ファイルに上書き保存をしていないとまったくなくなってしまうことがあるのは、要注意である。

式の計算はきちんとしなくてはならないが、エッセイにまとめるときにはその計算を逐一書くことはないだろう。それでもこのシリーズの第3のエッセイのほうが計算も簡単であった。私はいくつかの異なった方式の比較をするつもりなので面倒でもしかたがない。

これとは話がまったく違うが、やはり世界的な政治というか難民とかギリシャの経済の問題のことを聞くと心が痛む。また、日本でも政治の情勢はまったく思わしくない。

私なども新しい教育のあり方を目指して懸命に努力をしているのだが、日本の国立大学のどこでもどうやってどこから費用を削るかというみみっちい話らしい。そんなことでは日本の科学技術は早晩滅びるだろう。だが、そんな心配をする人は政治家にはいない。防衛予算を増やして、千閣諸島を中国から守ると豪語する人はいたとしても。

教育において「仮説実験授業」を提唱して、かつ実践もしている、板倉聖宣さんは会誌の発行はガリ版刷りでサークル活動をするというくらいのこじんまりとした活動だとかえって強いのだとどこかに書いておられた。会費をとって会をすると盛んなときにいいのだが、縮小傾向のときに維持ができないのだという。

現在ではガリ版刷りでもないだろうが、メール配信のサーキュラー『数学・物理通信』などはこの板倉さんの書かれていた考えに近いのではないかと思っている。なぜなら、投稿さえあれば、費用はほとんどかからないからである。もっとも私の編集者としての労力には報酬はもらわないという前提である。



並列回路と直列回路

2015-06-26 10:38:10 | 日記
別に物理学とまで言わなくても、小学校で理科の時間に並列つなぎとか直列つなぎとかいうことを学ぶ。

ところがこれを英語でどういうのかとなるととんとわからないということに今朝気がついた。妻が自分の自慢のタブレットで調べてくれたが、並列回路はa parallel circuitで直列回路はa series circuitとかいうらしい。

並列つなぎはa parallel connectionといい、直列つなぎはa series connectionというらしい。いくつかの英語で書かれた電磁気学のテクストはもっているのだが、並列つなぎだとか直列つなぎだとかは索引には載っていない。

有名なSears and Zemmanskyの"University Physics" (Addison & Wesley)10th ed.の索引からようやく見つけ出した。タブレットでも同じ語が出ていたようだ。

アメリカとかイギリスの大学で物理学を学べば、こういう用語も避けては通れないのだろうが、少なくとも私には英語ではどういうのだろうと思わせることであった。

ちなみに、数列はsequenceといい、その数列を和の記号でつないだもの、級数はseriesという。こちらの方は大学で微積分学を教わったときに覚えた。

もっともこのブログでいつだったかも述べたが、対数の指標とか仮数とかはごく最近まで何というか知らなかった。ちなみに指標はchracteristicで、仮数はmantissaである。

もう何十年も昔になるが、イギリスのSouthamptonの大学の施設に数日会議のために滞在したことがある。朝ごはんに食堂に行くと一団の人たちが一緒に食事をしている。よくわからないものだから、その中に混じって食事をしていて、あなたたちはと聞いたら、marine lawの研究者たちのグループだと言われた。

まったく理解できなかったので、トンチンカンのことをいったら、こりゃだめだと思ったのだろう。
Law of the See海の法律だよと言われてようやくわかった。この応対は相手がさすがに偉いと思った。

海洋法の研究者とか言われて日本語の初心者が海に関係した法律だということがわかるとすれば、結構日本語の初心者の域をすでに出ていると思うのだが、どうだろうか。

これに似たとんちんかんな反応は別の機会にもあった。パリのエトワル広場の凱旋門のところで退役した軍人たちかと思われる人たちが整列してある儀式が行われていた。

近くにいたフランス人に聞いたら、なんとか私の知らない言葉を返してきた。わからなかったので再度聞いたら、vielles hommesと返事してきた。単なる「老人」ではないのだが、もう正確に言っても理解できないと思ったのだろう。