で共通性よりは差異の方が目につきやすいと思う。これは身内に起こったことだが、息子が先日理髪店から帰ってきたときに孫が知らない人が来たと思ったらしく、お母さんにしがみついて泣いたということがあった。
これは息子がそれまではやしていた髭を理髪店で剃ってもらったために孫が自分の父親だとは認識できなかったためである。こういう話は他にもあるのであろうから、結局はなにかの特徴を捉まえて人を判断しているのであろう。
話はまったく違うが、そういえば、私の先生の一人の O さんが陽子、中性子、ラムダ粒子の共通性に目をつけて後でIOO理論とかU(3)理論とかかよばれるようになった理論の端緒となる、短いletter論文を書いたという話を数回聞いたことがある。これらの3つの粒子は(1)強い相互作用をする、(2)質量が同じくらいだとかいうような共通性に目をつけたという。もっとも陽子と中性子の質量はとても近いが、ラムダ粒子はちょっと離れているので、(2) の質量が同じくらいということを認めるという物理学者はあまり多くはなかったらしい。
それほど共通性を大づかみにつかむということは難かしい。もっともそれらの粒子が同じ土台の上に扱われるということが学会のいわば常識となるのにそれほど時間はかからなかった。それが素粒子物理学における群論的扱いの流行となった。これは一つにはその当時の素粒子物理学の先端を走っていたGell-Manのセンスと権威によるものでもあった。