物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ブロック塀

2012-07-19 11:03:24 | 日記・エッセイ・コラム

ブロック塀はの日本では普通にありふれたものである。だが、これは外国では奇異に写るものである。

よく、ドイツ語のクラスの講師のR氏がいうが、ブロック塀の町角を曲がったときに車と接触したり、または轢かれたりしたら、警察がやって来て、そのブロック塀を設置した責任を問われるだろうという。

絶対日本では考えられないような話だが、ブロック塀が見通しを妨げ、交通事故を引き起こしたと考えるのだ。

道路もどちらの道路が優先通行権があるかで、お互いの衝突の責任も決まってしまうという。日本なら、止まっている車に衝突した車の保険会社が止まっている車にもいくらか保険金を払ってくれと要求したりする。

お互いのつき合いというかお互いが協調しあうことが普通なのだ。権利と義務がはっきりしている外国ではこれほどのことはあまり起こらない。


ガンの温熱療法

2012-07-18 14:01:10 | 健康・病気

ガンの治療法といえば、いままで

(1)外科的な手術療法

(2)化学的な抗がん剤治療

(3)放射線治療

が知られている。

ところがそれに加えて最近

(4)温熱療法

が加わった。そして、この温熱療法には副作用がない。

だが、この療法でガンが完治するというわけではない。しかし、QOL(quality of life)が生存期間中に上がることは確かのようだ。

がん細胞が熱に弱いということで、がん細胞の部分を局部的に温めてがん細胞をやっつけるという。体全体を熱くするわけではないらしい。

ただ、標準療法として前に3つの治療法はある程度確立しているのに対して、温熱療法はまだ標準療法として認知されたとまではいえない。

だが、ある期間以上の続けての健康保健医療がまだ難しいが、一応健康保険での治療も認められており、標準医療としての認められる一歩を進めている。

松山市だと松山西病院が温熱療法をする装置をもっており、温熱療法をおこなっている。どこの病院でもこの装置をもっているとまではなっていないが、全国では100箇所(300箇所以上?)を超える病院で温熱療法を行えるようになっている。

私たちの間でもガンを患う人は結構いる。日本人の3人に1人はガンが原因で亡くなるとも言われているらしいが、それらの人々のQOLの改善をすることになれば、嬉しい。

少し以前ならば、温熱療法は代替療法の一つとして眉唾ものだったかもしれないが、いまではそういうものではなくなっている。それだけの実績を重ねて来ている。

ガン患者とその家族を少しでも助けることになればいいのだが。

ガンの代替療法として、ビタミンCを多量に摂取するとかいう、療法もあるらしいが、こちらの方は療法として確立しているのかどうかは知らない。


脱原発

2012-07-18 12:03:12 | 社会・経済

脱原発とか反原発とかいう。一般の日本人が反原発とか脱原発の立場に立つのは当然であろう。

一番気になるのは当の電力会社がいつまでも脱原発とか反原発後の電力を供給する企業としての今後のあり方を考えていないのではないかと思えるところである。

電力会社はやはり一個の企業体であるから、原発廃棄後にどうやって電力を社会に供給をし、かつ収益をあげていくかをもう密かに模索はしているに違いない。

だが、それを表に出すと現在のおいしい収益構造を壊すことになるので、知らないフリをして現状をつづけるような風をしているのではないだろうか。

いままでの収益構造を変えることは企業としては決死の覚悟がいる。だが、現在の状況ではもう致し方がない。覚悟を決めるときであろう。これは国家の原子力政策も同様である。

一方で、一般の市民に望みたいこともある。もう原発に頼って生きてはいけないということは骨の髄まで沁みてわかった。だから即原発廃止という運動をすることはいい。だが、少しの時間の猶予を電力会社に認めないといけないということである。もっともそれを表に出して運動をせよというつもりはない。

電力企業も実はもう心の底ではこのまま原発を続けられるとは思っていないが、それでもそんな心配をしていないかのごとく振舞っている。だから、反原発とか脱原発の運動をしている方々も心の底ではすぐに原発停止にはできないだろうなと思っていても運動としては即原発停止を掲げるのだ。

これはどっちもどっちだが、それはしかたがない。一方は自分たちの生命の危険を身に感じているし、一方は企業の収益が大きく崩れてしまって、企業として成り立たないのではないかと感じている。

だが、ここは企業家が度量を見せてほしいところである。別に企業家がノブリース・オブリージュ的な概念を有すべきだと説教するつもりはないが、世間の動向や社会の大切さを知っている企業家であってほしいと考えている。

それにしても企業の幹部はやはり脱原発の覚悟をして、今後の方策を考えねばならないときだろう。後ろ向きでは企業家としても尊敬できない。


梅雨明け近し

2012-07-17 12:02:02 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の日曜日に家で一人で座椅子に座って居眠りをしていた。昼下がりで結構暑かったらしい。テレビのニュースでは松山と京都が34.8度日本で最高に暑かったところであった。

まだ、梅雨のじめじめした空気はまだなくなっていないが、そろそろ梅雨明けが近そうだ。これは一日の最低気温が25度を下回らなくなってくると、本格的な夏の到来である。

夜なども気温が25度以下に下がらないと暑くて寝苦しい夜となる。そしてその気候が10月はじめまで続く。10月には朝晩が涼しくなるので、しのぎやすくはなるが、最高気温はやはり30度近いことがしばしばある。

7月半ばから9月半ばの2ヶ月はやはり日本の一番暮らし難い季節であろう。それにも耐える健康な体をもちたいものだ。

(2012.7.18付記) 昨日この記事を書いて、17時少し前に自宅に帰ろうとエレベーターに乗ったら、たまたまレベーターに乗り合わせた女性からテレビが梅雨明けを宣言していたという知らせを聞いた。雲の形が夏雲らしくなってきたので、梅雨明け近しと書いたのだが、気象台の宣言と偶然一致した。


認知症で失うもの

2012-07-17 11:32:15 | 健康・病気

人によっては老齢になると認知症になる。このときにその人のもっている記憶がだんだんと失っていく。特に直前のことを覚えていない。

そういうときに、若いときのことはなかなか忘れないと聞く。もっとも最後には自分の子どもにでも、「どなた様ですか」とたずねるようになるとか聞いている。

ある老齢の女性の話だが、この方は書道を若いときからされていたが、いま字の書き順がわからなくなっていると聞いた。それで思ったのはたとえば自転車に乗るというような、体で覚えていることも忘れてしまうのだろうか。

多分最終的には忘れてしまうとしても、そのようなある種の体で覚えているようなことは、最後まで残るにちがいない。そういうことでいえば、水の中に何かの拍子に振り落とされたところとしたら、泳げた人はなんとか泳ぐにちがいない。

いつだったか見たNHKのTVの「プロフェッショナルの条件」で、認知症の女性が包丁で料理をしだすという光景をみた。体で覚えているものは簡単にはなくならない。


いじめ

2012-07-16 13:18:00 | 受験・学校

中学生がいじめに屈して自殺をしたらしいというので、これは昨年のことだが、最近学校の捜索に警察が入ったりしてニュースになっている。

朝日新聞でもそれに負けないようにとでもいうのだろうか。識者の意見や考えがシリーズで掲載されている。

それらはいずれも確かに間違ったアドバイスではないだろうが、私にはそういったいじめを生む人々というか、その雰囲気をなぜ問題にする人があまりいないのかということが気になっている。

別にいじめをする人を弁護したい訳ではないが、いじめをする子どもの心理に分け入らなくてはいじめはなくならない。もちろん、いじめに負けてはいけないから、それぞれの個人が気を強くもって孤立しないようにして、相談を誰かにすることが必要ではある。

だが、どうしていじめの心理が働くのかを基本的に解明できなくてはならないのではないかと思う。いじめをする人たちもある意味ではそういうことでしか、心理的な不満のはけどころをもたないからいじめが起こるのではないだろうか。

もっともそういういじめを社会の仕組みを直すことで少なくするというのはなかなか気の遠くなるような話であって、社会をどのように変革してみても、心理的にいじいじしている人がいることは否定できない。

私も中学校時代に生意気だと思われて、通りがかりに先輩や同級生からみぞおちや腹に一発食らうというようなことがあったが、いわゆるじめじめとした「いじめ」には遭遇しなかった。

それでいじめに対する経験が少ないから、あまり的確なことを言えないのだが、それでもやはりいじめを起こす人々の心理の問題を考えたいと思う。

彼らが心理的に自由にならないといじめはなくならないのではないか。大学の勤務を退いた後で、元の同僚のご本人から、「君を見ているといじめたくなる」と告白されたことがある。

そういう感情を持つ人は大抵の場合、頭もよく優秀な人である。ただ、この人はそれをかなり後であったにしろ、その当時持った自分の感情を告白された。

それで、そういう心理がある程度よこしまな心理であるということを自覚されていたのだろう。だからそれはある程度抑制が効いているとも考えられる。

完全にその方が心理的に抑制をされていたとは思わないけれども。また、そのことで私はその方を恨んだことはないことを言っておきたい。短気な人という印象は抱いたけれども。

それはある機会に私が何の気もなしにした、あるきっかけがあったかとも考えている。それはささいなことではあったのだが。

それよりはずっと以前のことだが、やはり学生から後で「あのころの先生はふうふうだったね。体調もあまりよくないようだった」といわれたことがある。

なにがどうだったのかは詳しいことは忘れたが、それでも自分の心理や体調は、講義をしているときにでもかなり反映していたと考えられる。

いじめはいじめをする者たちの場(社会)であるから、「その場の秩序を壊さない」とそのいじめにいつまでもあう。その場の秩序をいかにして壊し、「いじめのない新しい場(社会)にするか」。これを私の乏しい経験から強調したい。


西村肇氏の講演

2012-07-14 12:35:40 | デジタル・インターネット

西村肇氏の講演と題をつけてあるが、彼の講演をきいたわけではない。インターネットに載っていた彼の講演の原稿を読んだのだ。彼のThinkmapというサイトに載っていた。

なかなか頭もいい人で、かつ努力家でもあると思われる。だから、昨夕彼のサイトにアクセスして読み始めたら、止められなくなった。それでいつもは7時から7時半くらいまでに帰宅するのだが、遅くなって8時頃になってしまった。

たまたま妻がそれほどご機嫌が悪くなかったので、助かった。8時過ぎて帰宅すると極端に不機嫌になることがある。

早い時間に西村さんのサイトにアクセスすればよかったのだが。

西村さんは東京大学工学部の教授であったから、一応成功した方と思われるのだが、それでもいろいろ紆余曲折があったらしい。大学勤務中に大きく3回も研究テーマを変えられてそのいづれでも研究は成功されて、業績をあげられた。

その点でもすばらしいが、それも社会との関わりでの研究課題を取り上げられたことがすばらしい。その説明はここでは省かせてもらうが、こういう方は少ないと思う。

ロシア語を若いときに学んで自由に使えることから、国際会議の出席のために当時のソ連、東欧を旅して、その当時の社会主義の下々の人々にまでにも浸透した官僚制による、権力の乱用とかからソ連の社会主義の破綻を予言していたという。

その点からいうと、現在の中国のありようはどう考えられのかが、関心がでてくる。これについても講演の原稿か何かを出されているのだが、それはまだ詳しくは読んでいない。

鄧小平の「社会主義でも市場経済を経済的には取り入れて、富める所から豊かになっていけばよい」という主張は社会主義思想からはハチャメチャだが、卓見だったと思えてくるから不思議である。

それで中国の将来はどうなると予想されていれば、もっとおもしろいがさてどうなのだろうか。

(2023.5.1付記)西村肇さんのことは物理学者・南部さんのことを高く評価すると書いておられたので知っただったか、星野芳郎さんが亡くなられた後で彼のことを書かれていたので知ったのだったか。また、1960年前後に出た勁草書房の『自然科学概論』の著者に一人だったことも関係している。苦労人でもあるし、尊敬すべき人の一人であろう。

大学付属図書館

2012-07-13 12:02:59 | 学問

昨日、久しぶりにE大学付属図書館に行った。これは空間回転を鏡映変換で表すということを書いた、BidenharnとLouckの本のコピーをするためであった。

Angular Momentum in Quantum Physicsという書の第4章にそのことが書れている。書庫にその本があるとOPACで調べてあったので、受付で記帳して、書庫に入る。目当ての本はすぐに見つかった。

それを書庫から持ち出して、コピー機のところでコインを入れて自分でコピーできるようになっている。20ページほどのコピーをして用は終わった。

が、久しぶりに大学の図書館に来たので、開架の書籍の中で前から見たいと思っていた本を探したが、見つからず仕方がないの数学史の本を探して四元数のことをどう書いているかを調べたが、なかなか思ったような記述はなかった。

それはともかくとして大学図書館が今回は役に立った。大学図書館といっても地方大学の図書館であるから、その蔵書数は限られているが、それでもお目当ての書が研究室ではなくて、図書館の書庫にあったのは助かった。

もっとも大学の図書館ならなんでもそろっている訳ではなく、大抵欲求不満を起こすのが普通だ。それでもやはり大学の図書館は地方自治体の図書館よりは役立つことが多い。

ある特定の書籍なら、大学の図書館よりも私の蔵書の方が役に立つ場合もある。

もちろん、普通の小説とかのポピュラーな読み物になると大学図書館よりも市立図書館とかの方が役立つであろう。だから、それぞれの用途がある。

4月半ばだったとか思うが、大学で置いておけなくなった雑誌だとか本とかを県立図書館に引き取ってもらえないかと交渉に行ったが、スペースがないことと、英語の雑誌とか書籍はあまり利用者がないから置かないといわれたのにはがっかりした。

スペースは仕方がないが、英語の書籍や雑誌は読む人が少ないからと言われたことにがっかりした。ごく最近は国会図書館等では書籍の電子化がされているようだが、この電子化は国会図書館に限られるとかで自治体の図書館ではまだ許されていないという風にそのとき聞いた。

これではいつまで経ってもスペースの問題は解決されない。それに電子化をしてもそれを何年か毎に更新しないとその保存はすぐに駄目になってしまうのだとか聞いたことがある。電子的にした保存の保存できる年数は意外と短いらしい。

それに電子化された図書も大抵有料でしかダウンロードできない。そこが問題である。その点では素粒子論研究とかProgress of Theoretical Physicsの昔の号は無料ダウンロードできるようになっているのはありがたい。

ひょっとしたら、progressはまだ無料ダウンロードとはなっていないかもしれないが。


bosonはボーゾン

2012-07-12 11:37:18 | 物理学

Higgsボーゾンと発音していたと思う。実はいつもラジオを聞きながら仕事をしている典型的なながら族である、私は。

昨日、「ニュースで英会話」のHiggs粒子の発見のニュースを取り上げていた。それを聞くともなく聞いていたら、はじめにヒッグスポーインズンと聞こえた。あれなんだろと思っていると、伊藤サムさんがヒッグス粒子と訳をつけられた。そしてHiggs particleとも言うとつけ加えられた。

ヒッグス・・・のところが理解できなかったが、この放送は時間をおいて何回か放送されるので、数時間後の放送のときに聞いたが、それをなかなか聞き取れなかったが、5,6回聞いてやっとHiggs bosonと言っているのだとわかった。

あまり英語圏で生活をしたことがないので、このbosonが日本語のカタカナでその発音を真似るとボーゾンとなる。それを了解するのに何回もこの発音を聞き返さなくてはならなかった。

はじめポーインズンと発音されているのかと思ってしまった。やれやれ。とんだことである。

わかってしまうとなんでそんなことがわからなかったのだろうと思われるが、なんでもものごとはそういうものである。


ブログ1800回

2012-07-11 13:18:28 | 日記・エッセイ・コラム

前回のブログで1799回となったので、ここに1800回目のブログを書く。

1800回とはいうが、何を書くかというとなかなか大変である。それでも書きたいことは幸いにして種切れにはならずなんとか書いてきた。ブログをはじめたころはすぐに書くネタが切れてしまうのではないかと心配をしていたが、それでもある時期を過ぎるとなかなか書くネタは種切れにはならないものだとの経験ができてきた。

これは何の裏づけもない単なる過信である。本当はいつか書くことがなくなって、苦吟をするようになるかもしれない。ただ、経験的にいままで書きたいことが種切れにはならなかった。その事実しかない。

はじめは毎日書くなどということを思ってもいなかった。好きなときに好きなことを書けばよいとの方針でやってきた。いまは別に誰かにせかされたり、強制されたことはないのだが、いつの間にか自分で自分の不文律として一日1回何かを書くということを日課としている。

そして、読者の方もある方は検索から何らかの情報を得るために来られる方であっても、100人くらいの方がアクセスをしてくださる。もちろん、アクセス数は土曜日と日曜日は60から70くらいに落ち込むが、それでも少ないとは思わない。

今後ともご愛読をお願いしたい。


『千の太陽よりも明るく』

2012-07-11 12:53:05 | 本と雑誌

ロベルト・ユンクの『千の太陽よりも明るく』(Heller als tausend Sonnen)は優れたノンフィクションである。

いまは平凡社ライブラリーに入っているが、私が学生のときに読んだときは文芸春秋社から発行されていた。

ロベルト・ユンクはスイスのジャーナリストだと思っていたが、ベルリン生まれであり、もとはドイツ人である。だから、ナチスに迫害を受けて、ドイツから亡命したジャーナリストである。

この本はいうまでもなく、原爆の製造や開発へと向った、物理学者を主とした原子科学者の運命というか歴史を回顧した優れた読み物である。

だが、それをどれくらい多くの日本人が読んでいるのかとなると心細くなる。本当は多くの人に読んでもらいたい書である。

学生のときに、これを一日か二日かけて勉強をほったらかして、息も切らせず読んだ覚えがある。ところがこの書を推奨するとかいった人を書物や雑誌の中で見かけたことがない。

現在の平凡社ライブラリーでも、1,600円の定価なので、そんなに価格が安い訳ではない。だが、それでも本当は多くの人に読んでほしいと願っている。

最近、妻が市民劇場の演劇で「東京原子核クラブ」という理研の仁科芳雄グループに集った人たちを巡るドラマを見てきた。

その内容を聞いたわけではないが、それなりに興味深い演劇であったはずだ。これは日本でも原爆をつくろうとしたグル-プがあったとか、朝永振一郎氏とその近傍の人を巡るドラマである。

そういえば、『千の太陽よりも明るく』にも記述があったと思うが、2次世界大戦中にコペンハーゲンのボーアのところへドイツのハイゼンベルクが訪ねるという話がある。

その議論の主題は原爆の製造を巡るものであり、2000年前後だったかに、史劇「コペンハーゲン」というドラマとなった。

これは「原爆の開発を世界の戦争をしている連合国と枢軸国との両方共にしないように」とのハイゼンベルクがボーアに申し出をするためにコペンハーゲンを訪れたと言われているが、そのときナチにその意図を悟られないにようにとハイゼンベルクは表現をとても曖昧にしたので、その意図はまったく通じなかったという。

ボーアはハイゼンベルクが「原爆の開発をする許可を求めに来た」と思ってしまった。

戦後も家族や親族をナチスの強制収容所のガス室で亡くした、ヨーロッパからアメリカに亡命していた科学者を含めた多くの人たちはドイツに残った、これらの科学者をナチスに協力をした咎で容易に許しはしなかった。それらのうちの幾分かは単なる誤解であったのかもしれないとしても。

日本ではドイツほど原爆の開発の可能性は高くなかったので、それほど問題にはならなかったが、それでもそういう日本の原爆開発の事情を書いた本も英語とかでは出版されているらしい。

現在ではなかなか『千の太陽よりも明るく』は手に入りにくいかもしれないが、まだ読まれてない方にはぜひ一読をお勧めしたい。私も最近書棚から取り出してきて、再読を始めたところである。


日土小学校と松村正恒

2012-07-10 16:40:57 | 科学・技術

昨日はブログを休んだが、これは私のずる休みではなくて、実はインターネットが故障していたためである。

愛媛大学のミュージアムでいま

『子どもが生きる空間ー日土小学校と松村正恒』 展

が行われている。

日曜日に夫婦でシネマルーナティックに映画「ゴーストライター」を見に行った帰りに愛媛大学によって、松村さんの作品である、日土小学校の写真とか展示を見た。

展示の期日は7月29日(日)までであり、入場料は無料なので、ぜひどしどし多くの方に見に行ってもらいたいと思う。

また、録音された松村さんの講演の声を懐かしく聞いて、生きているときの彼の話しぶりや言葉使いを思い出した。松村さんは愛媛県が生んだ、優れた建築家の一人である。たまたま私の先輩の I  さんから紹介されて、松村さんに私の自宅の設計と監理をお願いした。

いつだったかの年末には彼の建築事務所でこの先輩の I  先生と松村さんとそれにお名前を忘れたが、ある建築家の方と忘年会をしたことがある。そのころ松村建築事務所にお勤めになっていた、Nさんもまだおられたが、そのときは松村さんはご健在であった。私の家が建ってからもう何年も経っていたと思う。

そういえば、優れた歴史家であった I  先生も松村さんも、もう生きてはおられない。

あるときに彼にエッセイをお願いして書いてもらい、私の高校のときの先生である、Tさんが発行している雑誌、「燧」に松村さんのエッセイを掲載させてもらった。ところどころ私の知らない言葉遣いがあったので、その意味を聞きに建築事務所に伺ったこともあった。

松村さんが亡くなった後で、彼のエッセイを収録した本を頂いたが、その中に私がお世話したエッセイももちろん入っていた。

松村さんを有名にしたのは、もちろん日土小学校をはじめとする、八幡浜市の学校建築に腕を振るったためであるが、その当時(1950年代の終わりか60年代の初め)に雑誌「文芸春秋」に日本の建築家10人として、今治出身の丹下健三氏と二人愛媛県出身者としては選ばれたからその名声はいやがうえにも上がった。

このことはこのブログでもいつかすでに述べたことがあるが、このたびの「松村正恒展」で松村さんの建築思想が多くの方に知られるとよいと思っている。


映画「トスカ」を見る

2012-07-07 18:31:12 | 映画

今日、愛媛大学映画文化研究会の第31回例会で映画「トスカ」を見た。

たまたま私の都合のつく土曜日の午後の上映だということもあったが、それだけではなく私がNHKの「ラジオでイタリア語」の放送を漏れ聞いて、オペラ「トスカ」に興味をもったからである。

これは今年の2月か3月のことだったが、ラジオを聞くともなく聞いているとたまたま「ラジオでイタリア語」のアンコール放送かなにかであり、この放送の常連の演出家の安住淳(漢字は当て字です。すみません。この字ならいまの財務大臣の名ですか?)さんがオペラ「トスカ」の筋を話していたので、関心をもった。

それによると、トスカは恋人を救うために警視総監のスカルピーノに命乞いをするのだが、なかなか受け入れてもらえない。自分の身を任すことを条件に恋人カバラドッシを死刑から救うための口約束を警視総監からもらう。そして海外へ逃亡するための通行許可書を書いてもらう。

その後にトスカはナイフでスカルピーノを刺し殺して、自分はスカールピーノから自由になるが、前もってされていた陰謀で恋人は銃殺されてしまう。それで自分も城の城壁から身を投げて自殺をするという話である。これは絵に描いたような悲劇である。(カタカナpiがbiと勝手に変換されているので、注意)

なぜ恋人のカバラドッシが警察に捕まり、銃殺されるのかのいきさつは知らなかったが、彼は自由主義者であり、友人が牢獄から逃げ出した後の逃亡を援助したために、時の権力の警察に捕まったという設定であった。

カバラドッシは画家であり、トスカは歌手である。トスカ自身は歌姫であるから、王家の人々とも親交があったという設定になっているが、映画ではほんのそれらしいことをほのめかされるくらいであった。

これはプッチーニのオペラであり、1900年が初演だという。それを映画の中に取り込むという手法であるが、この映画自身は2001年のもので比較的新しいものである。音楽もとてもいいと感じたが、私には音楽はあまりわからないので、あてにはならない。

最後の方の部分は私はイタリア語講座の安住さんの話で最後の結末だけは知っていはいたが、なかなか緊迫をしたものであり、楽しめた。

愛媛大学映画文化研究会の例会に久しぶりに参加して上映後の安藤秀国教授の解説も楽しんだ。愛媛大学映画文化研究会のいつもながらのご尽力と今後一層のご活躍をお祈りしたい。


ヒッグス粒子の「発見」

2012-07-06 16:21:16 | 物理学

「発見」を「 」ではさんでおく。普通ならヒッグス粒子の発見といってもいいようだが、7月4日のCERNからの発表では慎重な物理学者は「発見」として、本当の発見との発表からは少し留保をしたらしい。

Higgs機構によって粒子が質量をうるというのが、この粒子の売りである。

ゲージ粒子のようなボソン(スピン整数の粒子)とクォークやレプトンのようなスピンが1/2のような半整数のフェルミ粒子に加えて、スピンが0のスカラー粒子が本当にあるのか。もちろんヒッグス機構を信じるものはヒッグス粒子の存在は強く信じていただろう。

だが、実験的に見つからなければ、その存在はあくまでも仮説である。それが自然現象を相手にする物理学の立場である。そこらへんは数学が論理的に可能であるならば、それで十分であるというのとは違っている。

新聞とかテレビではその質量がいくらというのを報道していいなかったので先ほどインターネットを検索してみると、124 GeVと出ていた。

もちろん幅があるので、ドンぴしゃりではない。それはご了解をお願いしたい。

もう何十年も前に一度勉強しただけなので、あまり覚えていないのだが、今日見たサイトの説明ではポテンシャルの形がワインボトルのような形である。

ちょっと説明をすると、ワインボトルは円形のボトルの底の中心は盛り上がっており、そのまわりの中心から離れたところに低い底がある。このような形がポテンシャルの対称性の自発的破れを引き起こすのだが、このワインの瓶の中心でないところの円周の溝のところが真空の期待値を与えている。

そして、円周のみぞに沿ってのモードがNambu-Goldstone モードを与えて、これらはWボソンやZボソンに一部吸収されて、これらに質量を与えると説明があった。

ヒッグス粒子はこの円周に沿ったモードではなく、その円周上の底から中心の方へ向かってのモードであり、そして質量をもつとあった。

これが正しい説明となっているかどうかは今の私にはわからないが、多分正しいと思う。もし私の説明が正しくないとしたら、それは私の理解がまだ十分ではないことを示しており、多分wikipediaの説明のミスではないであろう。

もっともwikipediaの説明を読んでわかる人は専門家であり、普通の人には多分チンプンカンプンであろう。それは仕方がない。(これは普通の人には理由を理解できないという意味ではない。科学というものは手順を踏んで理解していけば誰にでもわかるはずのものである)

昨夜のドイツ語のクラスへ行ったら、好奇心溢れる、元牧師のOさんから聞かれたので、ここで説明をする気になったが、果たしておおよその感覚をつかむことができたでしょうか。

なぜ、ワインボトルのような底が実際に考えられたのかはワインに関していえば、ワインの澱をそこに溜めるためと昔聞いたが、本当だろうか。

物理の話に戻ると、はるかな記憶では水あめの中を動く粒子というようなイメージはなく、各素粒子の相互作用ラグランジアンに真空の期待値から来るところの質量項に対応した項が出てくるというのであった。確かに宇宙がワインボトルのようなポテンシャルではなく、y=x^{2}で表されるようなポテンシャルであれば、すなわち中心が最低の低い場所であれば、真空の期待値は0であり、質量項は出てこない。


知り合いからの電話

2012-07-06 13:22:10 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の夜、妻に知り合いの方から、電話があり、かなり長く話し込んでいた。妻も懐かしかったらしく、なかなか電話を切ることができなかった。

お互いの家庭の状況がよく似ているために話をしやすいのだという。知り合いのご主人がちょっと健康上の問題があって、遠出ができないために海外によく出かけられていたのを、このごろは控えておられるということを後で聞いた。

健康なときにはなんでもなかったことが健康上の問題が起きると難しくなる。そのときをどうやって過ごすか。かなり難しい問題である。

では、人のことはともかくとして私は何をしているか。

(1) 火曜の夜にテニス(2時間)

(2) 木曜の夜のドイツ語のクラス(2時間)、先回のクラスのドイツ語の要約作成(約2時間)

(3) 友人・知人との月一回の土曜午後の雑談会(2時間)

(4) 土曜日午後のタダ塾の講師、もっともどうも私は講師としては失格のようだ(2時間30分)

(5) 日曜日を除く毎日のブログ(これは時間がなかなか測定できないが、3時間としよう)

(7) 数ヶ月に1回のマネキネマの映画鑑賞(2時間)

(8) 数ヶ月に1回の市民コンサートの音楽鑑賞(2時間30分)

(9) 3ヶ月に1回、ないしは2回のミニ・サーキュラー「数学・物理学通信」の編集と発行(6時間)

(10) 1ヶ月に一回の土曜日の算数学習会参加(これは欠席が多い)(2時間)

(11) 年に1度または2度の子どもに会うための上京(2,3日)

(12) 月曜から金曜までラジオのフランス語とドイツ語の初級講座を聞く(1時間)

(13) 12時と15時のラジオ体操をする(20分)

定例でやっていることはこれくらいだろうか。もちろん普通の老人が1ヶ月に一回くらいに行くであろう、病院通いが二つある。

それ以外に妻につきあっての歌のコンサートに行ったりする。これはそれほどの頻度ではないが、それでもときどきはある。私は本来が出不精なので、妻がどこかに出かけるときも一緒には行かないことが多い。

要するに生きるのは自分であるから、どうするかは自分で決めなくてはならない。しかし、それはなかなか難しいことである。