物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

偶然の一致3

2013-07-19 12:44:26 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、ドイツ語のクラスに出たら、お前も先週は病気だったのかと問われた。

もちろんそうではなくて、長男夫婦が帰郷していたので、先週は失礼をしたと理由を述べた。

なぜそう聞かれたのかはクラスのリーダーのOさんが体調不良ということで私と同様に先週たまたま同じく休んだから、ということを知った。

理由は別々であるが、同じ日に休むところがおもしろい。別に相談したわけでもないのに。

こういう偶然の一致というのは結構しばしばある。

真偽は私にはわからないが、航空事故が続いたりしたときに、それが同じ原因の事故であることもありうるが、普通は関連がなく、たまたまその偶然が重なったのだと統計的には考えるという。

ところが普通の人は何らかの関連があるという考え方をするであろう。だから、気候が暑くなって、私もOさんも老齢であるから、同じように体調不良を起こしたのであろうと考えてもおかしくはない。

そうでなければ、たとえばの話だが、講師のR氏に不満があって、二人が申し合せてクラスを休んだということも論理的にはありうる。

ところが、Oさんはこのドイツ語のクラスをとても大事に思っておられて、生きがいになっておられるといわれているし、私もOさんほどではないにしても、私も1週に一度の楽しみであることは確かである。

ここまで書いてちょっと最近よく使われるようになった、serendipityという語を思い出した。

それで辞書を引いてみたら、「ものをうまく発見する能力、幸運な発見、運よく見つけたもの」というような訳語がついている。

これは偶然の一致とは関係がないかもしれないが、全く関係がないとも言い切れない。


饗宴

2013-07-18 13:22:30 | テレビ番組

NHKの「100分de名著」でプラトンの「饗宴」をとりあげている。

ところが私にはこの「饗宴」についてのいい思い出がない。大学時代に教養部の英語で、ある英語の先生がこの饗宴の英訳をテキストに採用したが、まったく退屈でなにがなんだかわからなかった。

3回に1回くらいしか出席していなかったのだろうと思う。とんでもない不心得な学生であった。単位は何とかもらったが。

その証拠にという訳ではないが、担当された先生の名前(湯浅先生?)もテクストの題も全く覚えていない。

ただ、試験のために岩波文庫にあった訳の「饗宴」を買い求めたことだけは覚えているが、それを試験のときを除いて読んだことはまったくない。

ところが今回の放送では初回はまったく見なかったが、2回以降を2回昨夜までに見たが、結構見ることができた。これは多分に放送では多くの工夫がなされているからであろう。

ということでまったくわからなくて、関心も起きなった「饗宴」だが、全く忌避すべきものでもなかったのかなと思い直している。だが、岩波文庫の「饗宴」を読んで見ることなどまだ問題外である。


IT産業は人手不足

2013-07-18 13:00:02 | 社会・経済

2年振りに次男と会って話をしたら、彼の勤めているあるITの会社も人手不足だという。

今年も大学生を4人の人に会社の内定を出したのだが、だれも来てくれなかったと言っていた。

だが、誰でも雇うことができるわけではないという。ある程度の知識と素養が必要であるという。それがどの程度のものであるかは聞かなかったが、なかなか深刻である。

一方で、非正規社員が多くなって、働いている人が1000万人を切ったと言われている。むかしなら、標準家庭とは父母に子ども二人の4人家族であったが、いまではそういう家庭がとても少なくなった。

多い時には1500万人もいたそうだから、500万人が職がないのであろうか。もちろんまだ日本はEUのスペインとかギリシアほどの失業率ではないが、定職がない人がかなりいるのは間違いがない。

パートタイムや非正規雇用で働いている人が多いということであり、それはこれからも改善される要素は少ない。だが、政治の情勢を見るとそれらの問題点について働きかけて改善しようとするという具体的なプログラムをもった政党はない。

これはもちろんなかなか難しいことではあるだろうが、しかしどうでもいいことではないはずである。

だから、IT産業でもほしい人材の育成が大切なこととなるのだが、いまでは企業は自分の力で人材を養成するだけの経済的な余裕がない。したがって、公的な機関でそういう人材の養成をすることが求められるのだと思う。


小川修三の講義ノート2

2013-07-18 12:41:21 | 物理学

物理数学の講義ノートの方も小川さんの直観的な数学の理解を知りたいと思ってコピーを敏子夫人にお願いをした。

まだよく見ていないのでなんともいえないが、量子力学講義ノートほどの特色はなさそうである。

ただ、これは1974年に広島大学でされたものであるが、数少ない小川さんの数学的内容の講義ノートなので、これからじっくりとみてみたいと思っている。

はじめに参考書としてはクーラン・ヒルバートの「数理物理学の方法」、山内恭彦の「代数学と幾何学」、寺澤寛一「自然科学者のための数学概論」が挙げられている。

しかし、これもいずれはどこかに公表をしたいと考えている。


既得権

2013-07-17 15:30:20 | テレビ番組

昨夜、「知恵泉」というNHKの番組を見ていたら、既得権という語が英語ではチョッキを意味するvestと関係があると言われていた。

vetsted rightというのかなと思って辞書を引いてみたのだが、rightの項にはなくてそれでvestedを見たら、vested interestに既得権という訳語があった。

もともとvestedには「(権利などが)確定している」という意味が岩波の英和辞典には始めに出ている。

だが、既得権という語は英語ではどういうか知らなかった。というか考えたこともなかった。一つ偉くなった。

ちなみに著作権は英語ではcopyrightであり、優先権はpriorityである。

ドイツ語で先祖のことをVorfahrenというとは最近知ったことだが、この語には車などが優先的に走行するという意味の通行優先権を意味している。


小川修三の講義ノート

2013-07-17 13:04:06 | 物理学

小川修三氏は私の先生の一人であるが、彼が広島大学と名古屋大学で行った、量子力学と物理数学の講義ノートのコピーを敏子夫人から1か月ほど前に送ってもらった。

彼の追悼集に私が、「好評だった小川さんの量子力学の講義ノートが残っているなら、読んでみたい」と書いていたことに、最近その追悼集を読み返して気がついた敏子さんが手紙を下さったことから、そのコピーが私の手元に届いた。

そういうことで私にその公表等についての義務が生じたことになる。

しかし、私も全く仕事がないのならば、すぐにでも仕事に取りかかれるのだが、私もいくつかの仕事をかかえている。

それで、1年くらいをかけて全体の発表をするようにしたいとのご了解を小川夫人には得てある。

この講義ノートはそれにしたがって講義がされたということでは未発表ではないが、それでも一般に印刷物となって不特定多数の方々の眼に触れることを小川さん自身は予期をしていなかったろう。

書籍になるのなら、されるべき吟味が十分にはされていないということもあろうか。だが、それでも講義のノートを物理の研究者も含めた多くの方々に読んでいただく意味があると考えている。

ゆっくりとではあるが、いくつかの章ごとに素粒子論研究電子版に発表していきたい。

(2019.3.30付記)  最近、このブログについて検索がされたので、すこし現在の時点での状況を述べておきたい。第2部の式の入力は終わり、図の入力のところで今頓挫している。11か12の図の入力が必要なのだが、図を一つだけ入力しただけである。

これは私が「数学・物理通信」の編集人と発行人とを兼ねているために3の倍数の月はそちらに気をとられ、かつ時間をとられるからである。つぎの数学・物理通信の発行は6月なので、それまでに小川修三「量子力学講義ノート2」は片を付けておきたいと考えている。

発表場所ははもちろん「素粒子論研究電子版」である。なお、第1部はすでにこれに掲載されている。インターネットで検索すれば、見ることができる。残りは第3部がまるまる作業がされずに、残っている。これは式の入力は大変だが、あまり図の入力はない。

 


一番暑いところは?

2013-07-16 12:00:29 | 日記・エッセイ・コラム

南極への到達の一番乗りをノルウェイ人のアムンゼンと争ったイギリス人のスコット大佐が南極の到達にアムンゼンに数日遅れて南極に到達し、その帰途に遭難して亡くなる。

そのスコット大佐が生前に「あなたの行ったところで一番寒かったところはどこですか」との新聞記者の問いに答えて、「English bed(英国のベッド)」と答えたというのは有名な話である。

私の仕事場で一番暑いところはと聞かれると私は躊躇せずにパソコンの前と答えるであろう。特にこの夏の時期にはとても暑い。

少し離れたところなら、夏の今でも西から東へと風が通り、それほど体感的には暑いわけではない。

そうではあるが、大抵パソコンを使って仕事をしているのでなかなかパソコンの前から離れられない。

午後になると吹いてくる風も暑くなるので、エアコンが欠かせないが、それまでは自然の風の流れに身を任せている。


不変部分群

2013-07-16 11:31:48 | 数学

群論に不変部分群とか正規部分群と言われるものがある。

これがあまりよくわからなくて、その例を知りたいと思っていたが、ごく最近山内恭彦「回転群とその表現」(岩波書店)を久しぶりに取り出して読んでみたら、回転群が広義直交群の不変部分群であると書いてあった。

確かに回転群から一つ要素sをとりだして、その要素からsrs^{-1}をつくっても元の回転群に属するし、また転義回転群からsをとりだしてもsrs^{-1}はやはり回転群に属するから回転群は広義直交群の不変部分群になっている。

40年以上昔にかなりこの書を読んだつもりだったが、なんのことはない、上面を読んでいたにすぎないことがわかった。

大学の2年生のときの力学演習の時間に、ちょうどそのころ素粒子の質量公式をつくっていた、Yさんから量子力学の理解には角運動量の理解が欠かせないという話を聞いたのを覚えている。

そしてそのときに読むことを勧められたのが、Roseの"Elementary Theory of Angular Momentum"(Wiley)(注)と山内さんのこの回転群の本であった。Yさんによれば、山内さんの回転群の本は少し数学的なのでより物理的なRoseの本を特に勧めるということであった。

それだのにRoseの本はあまり読んだことはなく、このごろになってようやく本棚からひっぱり出してきてところどころを見ている。

山内さんの回転群の本はE大学に勤めるようになって、間がないころに読み始めたが、とても終わりまでも行かない間に沈没してしまった。一人で読んでいたからしかたがない。

(注) このRoseの本はいまではDoverからreprintで出ている。これは昔のoriginal本のミスプリも修正してあると聞いているが、このDover版はもっていない。


肥満体質とひざ

2013-07-15 14:29:22 | 健康・病気

私の兄弟姉妹はみんな肥満体質である(ところが子どもたちは今のところ肥満ではない)。

そのせいか次兄も妹もひざを痛めている。妹は松葉杖が最近いるようになった。次兄も左ひざを痛めて病院通いをしている。

私もなんどもひざを痛めており、いまでもときどきテニスで走れないほどにひざを痛めたりする。これは原因はいつも食べ過ぎによる肥満が原因である。

昔は冷蔵庫に愛媛特産のpomジュースが入っており、夏の暑い時にがぶがぶ飲んだら、それで体重が増えてひざを痛めたことがあり、歩行にも支障を来したことがあった。

いまも夏は禁物であるが、それでも妻が気を付けてジュースを買い置きしないようになった。ビールは普通にはあまり飲まないので、これで太ることもないわけではないが、そういうリスクは現在は少ない。

それにしても兄弟姉妹が肥満体質でひざをほとんど同時に痛めるということはいままではほとんどなかったが、それぞれなりの老齢になってきて、みんなひざに障害をもったということであろう。

私もひざを痛めそうであるが、ぎりぎりのところでまだなんとか歩いたり、走ったりはできる。もちろん、それぞれゆっくりとしかできないが。


シンデレラ

2013-07-14 22:17:47 | 日記・エッセイ・コラム

シンデレラというとおとぎ噺かと思われるかもしれないが、そうではない。

あまりの夏の暑さなので、昼間はエアコンをかけて夫婦で昼寝している。これを「死んでれら(しんでれら)」とふざけて言っている。

よくいろいろ思い切ったことをする女性をトンデレラ(飛んでれら)とかよくいうが、それに似た言い方である。

だから、シンデレラという音だけを聞くといかにもおとぎ話のことのようではあるが、そうではない。

そういう面白い掛け言葉の言い方とかにご自慢のものがいくつかある。ツィゴイナーシュ二ツェルというのも私の口癖である。これはZigeuner-Schnitzelにちなんだものであるが、いま独和辞典を引いてみたが、Zigeuner-Schnitzelというのは載っていないものもある。

何かに感心して「すごい」というときに、このツィゴイナーシュ二ツェル(Zigeuner-Schnitzel)を連発するのである。Zigeunerとはジプシーのことで、いまはジプシーは差別用語だというのでロマとかノマドとか言われるらしい。

シュ二ツェルとは料理の名前であり、普通はカツレツのことである。詳しくは独和辞典を引いてみてほしい。


いつもの朝寝で

2013-07-12 13:22:27 | 日記・エッセイ・コラム

夏の朝は早くから暑さで目が覚めることが多い。

ただ、私は大体が朝寝坊なので、それでもなかなか目が覚めない。半覚半醒の状態で何か当面の課題をなんとか解決したいと頭が勝手に働いていたらしい。

立派なことができるわけでは決してないが、それでもとにかく頭は働いている。一昨日もここ数ヶ月の間中、私の頭を悩ましていた、小さな課題がようやく解けた。

とはいっても、それを問題にした人など聞いたことがない、つまらないことである。一昨日だったかAltmannの本を読んでいたら、私のわからなったことが問題として出ており、それの略解が巻末についていた。解答は私が前に考えた方法の一番簡単なやり方であった。

その解答を見て、ようやく以前に考えた、Altmannの解答にはなかった、私の求めていた、いくつかのこともようやくわかってきた。頭の働きの鋭い、優秀な方が見たら、なんだそんなことがわからなったのかといわれるであろうが。

メモを昨夜つくったが、それをエッセイとしてどこかに書きとどめておきたいと思っている。


ビールの夏

2013-07-11 20:49:15 | 日記・エッセイ・コラム

あまりビールを好きではないのだが、それでもこの暑さである。少しはビールを飲む機会がある。

それでも昔はもっとビールを飲んでいたように思うが、今では本当にビールを飲むことが少なくなっている。

もっとも炭酸を含む飲み物は体にいいというので、最近はよく飲まれるようになったとかいう。わが家でもサイダーが冷蔵庫にあるようになったのは、多分テレビの放送で炭酸飲料が体にいいからというのを放映されたからでもある。

本当に体にいいかどうかはわからないが、テレビの影響は大きい。


民主党の不評

2013-07-10 14:00:04 | 国際・政治

どうしてだかはわからないが、民主党は人々にとても不評だという。

子どもが東京で見たところでは、民主党の都議候補が街頭で演説していても立ち止まる人などいなかったという。

いま参議院議員選挙の最中である。今回もそうなのであろう。子どもは民主党は近いうちに消えてしまうのではないかと悲観的である。厳しい時代を経ないと民主党は生き返れないだろう。

だが、どの党もそんなに政策としていいことを言っているわけではない。それほどどこも変わっていない。憲法、原発などで少しちがっているが。

現在、学者も政治家もましてや一般の私たちも経済とか政治についてどうもいい見通しをもっていない。

特に政治家はその場をなんとかしのげばいいと考えているらしい。そこがはがゆい。根本的にこれからの日本をどうするかを考えなくてはならない。

先日、民主党の元衆議院議員だった人の話をごく小さなグループで聞いたが、その人も展望を持ち合わせているわけではない。

これは民主党の議員の誰もがそうなのであろう。だが、私は自民党の支持者ではないし、もし支持者であったとしても、有力な反対勢力があることはいいことだと思っている。

自民党に対する反対勢力ということでは都議選でかなりの復活があった、共産党であるが、この党の存在意義は認めているが、それにしても政治を担うことのできる主力の政党とは考えられない。

もし、野党勢力が与党に対して対抗するのに力を合わせることが必要ならば、場合によっては自党の候補者を立てることを止める決断をする必要があろうが、そういう様子は全くない。これではどう考えてもその反対勢力としての意義は限られてしまう。

大所高所に立てるようになってはじめて、主たる政治勢力としての認知が一般の人にされるようになるのであろう。だから、まだまだ共産党は柔軟性に欠けており、その存在意義はとても限定されている。


三角形の総数の式

2013-07-09 11:56:12 | 数学

もう旧聞に属するが、自著『数学散歩』(国土社)の冒頭のエッセイで述べた、三角形の総数を表す代数式を故矢野寛(ゆたか)先生からご教示頂いたが、それがどのように導かれるのかは最近までわからなかった。

それが最近インターネットを調べていたら、それについて書いていたサイトがあった。もっとも三角形の総数を数える方法は私の著書で完璧に解明をしている。

ということで、矢野先生の導出してくださった代数式の立ち入った導出を述べた、短いエッセイを書いておきたいと思うようになった。旧著から図を取り込めれば、立ち入った説明ができる。

これはあまり難しい話ではない。また小学校の算数の授業でも取り扱われた話題であるので、愛媛県数学教育協議会の機関誌『研究と実践』に投稿したら、関係した授業をした先生にも関心をもってもらえるのではないかと考えている。


アンディ・マレー

2013-07-08 15:00:20 | スポーツ

ウィンブルドンのテニス大会が昨夜で終わった。男子は英国出身のアンディ・マレーの初優勝であった。

これはイギリス人にとっては77年ぶりの快挙だとかで、イギリス人の喜びようといったら、ひとしおであったようだ。

それぐらいイギリス出身のテニスプレヤーがウィンブルドンで優勝するということから遠ざかっていたということだろう。

昨年はアンディがフェデラーに決勝で敗れたのだった。昨年も決勝戦の放映を見たはずだが、一年も経つうちに忘れてしまっていた。

ナダルもフェデラーも番狂わせで敗れてしまったので、波乱に富んだ大会であったが、それでもシードNo. 1のジョコビッチとNo. 2のマレーが決勝で戦ったのは見ごたえがあった。

もう少しジョコビッチがマレーを追い詰めることができるかと期待したが、昨日のゲームに関してはマレーの素晴らしさが目立ったゲームであった。

女子の方はバルトリが優勝したがこちらも、危なげがないものであった。

ウィンブルドンの決勝戦ともなるとセンターコートのべースラインあたりの芝も剥げて来ていて、しばしばジョコビッチが足を滑らせるのを見かけた。

センターコートは来年のこのシーズンまで眠りにつくのだろう。