物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ゼリドーウィチ「数学入門」

2014-12-06 15:37:43 | 日記
ゼリドーウィチ(今野、鎮目訳)「数学入門」(岩波書店)は私が学生のころに出た微積分や微分方程式の応用を中心に説明した書籍である。

私が大学の教養部で微積分を教わったS先生が強く推奨された書であるが、あまり詳しく読んだことがない。S先生はもうずいぶん以前に亡くなられたが、先生は愛媛県西条市の出身だと伺っていたので、近くの I 市の出身であった私は先生の存在を近しく感じていたのに。

S先生によれば、この書は微積分学を知っていれば、こんなに多くのことを学べるのかと驚くほどの良書だとのことであった。いま私はこの書を2冊持っている。

実はこの書が出されたときに購入をしたのだが、その後長兄がこの書を欲しがったので、ペーパーバンドの書を買って彼に贈り、元の書を私に戻してもらった。

ところが兄が60歳で退職直前に交通事故で亡くなったのだが、その書は依然として彼の書棚に残っていた。ところが昨年だったか彼の家には誰ももう住んでいないし、老朽化したということでその家を取り壊すからというので彼の蔵書の一部をまた引き取った。それでまたその書が私の手元にあるという訳だ。

誰かこの書を一生懸命に読まれた方もあるのだろうが、今日まであまり読む機会がなかった。まったく覗いたこともないということはもちろんないが、ときどき覗いてみるくらいである。

妻などはそういう書はまったく必要がないなどというが、私の経験だとそうでもない。本当に積読だった書が急に役立つことなどやはりある。全面的に必要だったというわけではないが、エリー・カルタンの``Theory of Spinors"(Dover)は小著『四元数の発見』(海鳴社)の原稿を書いたときに、四元数のi, j, kとPauli行列の対応を見るときに役立った。


LED

2014-12-06 12:14:17 | 日記
LED(Light eimtting diode)が世間でこれだけ有名になったのだから、LEDのことを量子力学のテクストにとりあげるべきではないかと思うが、その原理を書いたものがあるのかどうか。

超伝導を初等的な量子力学のテキストのテーマとするのはなかなか難しそうだということがわかったが、LEDの方はどうなのであろうか。

いまgoogleで検索したら、LEDの動作機構の説明はあるようだが、量子力学との関連まではわからない。もっとも光が出るからかなり高級なレベルの話になるのかもしれない。

さてそのようなことを量子力学的に説明したテキストは手に入るものがあるのだろうか。そして手に入るとすれば、つぎは初等的な量子力学のレベルの話で説明ができるかである。

情報工学的な観点からの量子力学の書籍は日本で出版されているかどうかは知らないが、世界的には探せばあるだろう。だが、私がトンネルダイオードの動作機構の説明を量子力学のテキストに取入れたが、それはあまり式が使われてない。

これは江崎さんの論文を読めばいいのだが、どうもよくわからなかったといういきさつがあったためである。でもその論文のコピーはファイルキャビネットを探せば出てくるだろうから、もう一度理解できるかどうか挑戦する価値はある。

un peu francais (少しフランス語)

2014-12-05 11:26:52 | 日記
久しぶりにフランス語のNHKのラジオの放送を聞いた。manquer(欠けている)という語の例文では

O`u vas-tu passer les vacances ? (休暇をどこで過ごすの?)
J'aimerais aller `a Aix-en-Provence !   (エクス=アン=プロヴァンス行きたいな)
Pourquoi n'irais-tu pas ?        (行ったらいいのに)
Parce qu'il me manque l'argent.     (でもお金がないんだ)

というのがあった。これは例文だが、なかなか身につまされるお話である。

加比の理2

2014-12-04 12:32:40 | 日記
先日、私のもっている数学の書に「加比の理」について書いたものがあまりなかったという経験を書いた。

いつだったかもN先生から「そういうときはインターネットで検索するのがいいですよ」と教えて頂いた。それで一昨日インターネットで検索したら、その説明したサイトは結構あった。

もっとも私が望むような説明はあまりないと感じたが、加比の理それ自身を述べたサイトは結構多い。なぜインターネットと数学のテキストとの差が出ているのであろうか。

遠山啓の『教師のための数学入門』(国土社)の第7章は比例を取り扱っているが、a:b=c:dみたいな比例式を扱うことに遠山は批判的である。このことからかの影響かどうかはわからないが、a:b=c:dみたいな比例式とかを扱うことが時代遅れという感じになったのではないだろうか。

比例式は私もあまり好きではない。だが、それをa/b=c/dとすることはいいのではないかと考えている。それとやはりその表現のしかたは工夫するとしても、どこかでそれを説明した書がいるのではないかと考えている。

いわゆる、あまりポピューラーでないことでも数学学習辞典等には載せておくべきだという気がしている。具体的には当面『数学・物理通信』でそういう項目の解説をしてはどうかと考えている。







政治の保守性

2014-12-04 11:52:16 | 日記
別に今に始まったことではないが、日本人の保守的な傾向にはほとほとあきれる。いくら新聞が啓蒙しても、実感として生活が苦しくても自民党の支持体制はなかなか変わらない。

別に失望して自殺するようのことでもないが、いつもながらがっかりして落胆する。新聞の世論調査による選挙予測では自民党が300議席に迫る勢いだという。

実情がこんな時世だから自民党が大勢を占めるのはしかたがないとしても、300議席はあってはならないだろう。集団自衛権の行使とか国家秘密保護法とかに対する警戒とか反対とかの声はどこに消えているのだろうか。憲法改正とかが政治日程に入ってくるであろうが、それを心配する声などあってなきがごときだ。

もう20年も前のことだったろうか。リチャード・クーさんという中国系のアメリカ人の経済人だったかが、「日本人はこれでそこそこ満足しているのでしょうね」とテレビで言っていたので、それを見て妻が「そうっだったのか」と感心してしまったことがあった。

そのころはそこそこ一億総中流の時代であったが、いまは一部の富める人とそうでない80%位の人々に分かれて来ている。それも20%くらいは日々の生活も苦しくなっている。私なども生活できないほどではないにしても余裕があるというほどではない。

若いころに大学に勤務するようになって、大学の教職員組合に属していたことがあった。その当時の組合副委員長が痛快な人であったが、このひとは「定年退職した後で世界一周できるくらいの経済的余裕ができてほしいよね」と言っていた。

だが、世界一周どころかなかなか私が小さいときに住んでいたことのある韓国にでさえなかなか出かける経済的余裕もない。

昔なら存在しなかった非正規雇用者の増加である。


多元環

2014-12-03 12:39:25 | 日記
私の著書『四元数の発見』がE大学の図書館に1冊入っている。それは著者としては有難いことだが、その書誌資料を見ると多元環という分野に分類されている。

冗談みたいだが、著者である私が多元環とは何かよく知らない。だが、図書館の方が私よりも賢くてちゃんと分類されて、いわゆる書誌情報ができている。

体とか群は知っているのだが、環については知らない。体と環との違いが分かれば,環についてわかったことになる。それであわてて数学の本を調べたら、体とは可換環で、0以外の元がすべて単元(単位元ではない)であるとき、このような集合を体というとある。

単元の定義を見るとどうも0以外の元が積の演算に対して逆元があるということらしい。

もっとも、ちょっと注意が必要である。逆元があると単純に言ったが、ax=xa=1という等式をみたすxが存在するときaを単元というと定義されている。

ところが四元数の場合には積の順序が交換可能ではないから、ax=1のxがあったとしても、xa=1のxは存在しないかもしれない。だから単元の定義を、逆元が存在するといういい方だとちょっと単純化しすぎで正しくない。

普通の数(例えば実数とか複素数)は和と積の演算が定義されており、それも和と積の演算について交換法則、結合法則、分配法則が成り立つ。

四元数では和については交換法則、結合法則は成り立つが、積の演算においては結合法則は成り立つが、交換法則は成り立たない。

数学の本を参照して環の定義を書いておくと

環とは空でない集合Rで,2種類の演算、加法と乗法が定義されている。Rの任意の2つの元a, bに対してその和a+bと積abがそれぞれRの中で一意的に決まるとする。これらの演算についてつぎの法則(1)~(6)が成り立つときRは環であるという。

(1) a+b=b+a (加法の交換法則)
(2) (a+b)+c=a+(b+c) (加法の結合法則)
(3) 0で表される1つの元があって、Rのすべての元aに対してa+0=aが成り立つ。
(4) Rの任意の元aに対してa+x=0なるようなRの元xが存在する。
(5) (ab)c=a(bc) (乗法の結合法則)
(6) a(b+c)=ab+ac, (b+c)a=ba+ca (分配法則)

が定義である。

体だと0以外のすべての元aに対してax=xa=1となる逆元xが存在するが、環ではこれは保証されていない。さらに、積について交換法則ab=baが体では成り立つが、これも環では一般に成り立たない。

少なくとも四元数環Hと表される数ではここが違っている。


加比の理1

2014-12-02 13:02:37 | 日記
昨日、加比の理とはどんな定理だったかなと思っていろいろ持っている本を探したのだが、どれにも載っていない。

持っている数学のテキストとか数学辞典の部類も探したのだが、載っていない。これはだめだと思ったが、今日になって矢野健太郎『代数入門』(岩波全書)を探したら、ようやくの索引に加比の理が載っていた。やれやれ。

こういうある意味でニッチな項目があるのである。そういうニッチな数学の項目を掲載した辞典などというものはないものか。たぶん加比の理が載っていなかったことは現在の中学校とか高校の数学の教授内容からこれが離れているということだろう。

だが、それでもそれを知りたいという要望はあるのである。ときどきこういう経験をする。私は高校数学等を扱った標準的な書籍を比較的持っているつもりだが、それでも昨日加比の理のことが気になったので、ほとんど持っている書籍の全部を探したが、書籍によっては索引がない書籍もあり、またあっても加比の理などという古色蒼然とした定理など載っている書をなかなか見つけられなかった。

これは心理的にストレスのたまる話である。最近、武藤徹先生から送ってもらった数学活用辞典にも載っていなかった。これはこの辞典が大項目主義であるからしかたがない。Blubacksの中の『現代数学百科』(講談社)に載っていることを期待したが、これにも載っていなかった。

ほぼ万策尽きたかと思われたが、矢野健太郎『代数入門』で救われた。定理自身はそれほど難しい定理ではない。

数学・物理通信4巻7号

2014-12-01 14:04:12 | 日記
共同の編集者のNさんから編集後記が届いて、「数学・物理通信」4巻7号の発行の準備が整った。が、自分の投稿分の読み直しをしたら、手直し箇所がみつかった。

それでそこは一応の手直したのだが、もう一度一日くらい時間をおいてからもう一度見直しをしたい。それができたら、発行するつもりである。今週は無理かもしれないが、遅くとも来週には発行できるだろう。

今回はNさんの編集後記が届くのを待つ間に他のことをしていたから、あまりいらいらはしなかった。でもまだまだ人間としての修養がたらないのだが、生身の人間だからしかたがない。

編集後記の到着を待つ間を私の先生の一人のOさんの量子力学講義ノートをlatexで入力していたのである。これはまだ入力をしていないが、ちょうどデルタ関数の定義とその性質のところにさしかかっている。

この講義録はできたら、『素粒子論研究』電子版に載せたいと思っている。講義ノートは前半Iと後半IIとに分かれている。全体ができるのは大分先の話になるだろうから、前半Iでもできれば、それを公表したい。もっともこの講義ノートは実際の講義のノートではあるが、それ以上には公表されることを意図されてはいないから、粗削りである。

Oさんの多くの残した書類の一部を預かったMさんにこの仕事をしているとメールしたら、そのことをMさんはご存じではなかった。Mさんからは講義録の整理に助力をするとの返事をもらった。





退屈な日曜日

2014-12-01 13:03:17 | 日記
昨日の日曜日は退屈だった。午前中の新聞を読んでいるときは太陽の日差しが居間に入って来て、ちょっとうるさく感じられたが、午後は雨模様で暗く陰鬱だった。

コタツに入って午前中は朝日新聞の書評欄を中心にして読んだが、これといった収穫はなかった。私は書評欄を読み物として読んでいる。というのは書籍をたくさん購入するなどという余裕が私にはないからである。

妻は他人に向かっては夫が本をたくさん買うのでといっているらしい。まったく買わないなどとは言わないが、それでもそれほど買う方ではないと思っている。

もっとも最近は数学や物理の書籍も高くなっているので、妻が私が本をたくさん買うということはむしろ本代がバカにならないという意味かもしれない。いやたぶんそうであろうが、知的活動には最低でもそれ相応の費用はかかるのである。

だが、それも家計が赤字では本を買うことなどほんとうは御法度であろう。だから、私は昨今の不景気は身をもって知っているのである。

それに現在は妻が家にいないので、自分で食事の準備をしている。もちろん、食器も洗っている。しかし、家の中は妻いるときと比べれば、雑然としている。食品等の買物も近所のスーパーで2,3日に一回している。

白菜とかキャベツとかキュウリとか豆腐や卵にときどきハムやソーセージを買って自分で油いためしたり、すき焼きをしたりしている。昨夜は手製のすき焼きであった。これは豆腐が残っていたこととこんにゃくが一つ残っていたこともあり、冷凍の牛肉を解凍してすき焼きをつくった。

自分一人ですき焼きをしたことなかったが、砂糖を先ず少し入れてから醤油を入れて味をつけた。まああまりうまくなくとも食べらればよい。

昨日の大部分は退屈しのぎに正弦法則から余弦法則を導くこととか逆に余弦法則から正弦法則を導くというエッセイの原稿の草稿を少しつくった。