物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

錦州日記2

2018-04-21 12:50:27 | 日記

先日から、妻が知人の祖父の遺した旧満州での敗戦後の様子を記した日記というか手記をパソコンに起こしている。そしてそのために、私はその表現について原文から外れるが、表現を現代風に書き換えることの助言をしている。

なにせ、現代の私たちがわからない表現があるので、やはり現代風に表現を書き改めたほうがいいと思う。それと本当なら思考とか言い方の整理をしないと読む人にこのところは何を言っているのだろうと思わせることになるから。この点がちょっと難しい。

あまりにも書き換えるとその人らしさが失われてもいけない。それから現代風の漢字に慣れた私たちにはわからない漢字も出てくる。私が小学校に入る前のころはまだいわゆる国語辞典がないころで、字を調べるとすれば、漢和辞典を引くのが普通だった。これは漢字の画数で引くとてつもなく、面倒な辞典であった。

最近では国語辞典(私は「国語辞典」ではなく、「日本語辞典」というべきだという意見だが)もあるし、その点では言葉を調べやすくなっている。それに妻などはすぐにスマホで何でも調べる。いつも冗談で私は、妻がスマホと私の知識と競走させていると言っている。実際、そんな感じがする今日このごろである。

とにかくも最後まで錦州日記を入力したものを読んでくれと頼まれたので、昨夜1時までかかって読んだ。最終的には日本に帰れるとの記述で終わっている。

なぜ妻がこの仕事に没頭したかと言えば、10年以上前に我が家でもとてもつらい時期があったが、そのころの記録を書いておくことができなかったという悔やみからだという。私はそういうつらいときになんらかの記録を残すことのできる人は飛び抜けて優れた人だと思う。そんなつらいときのことを記録に留める心の余裕などないのが普通である。これは私自身の体験からも言うことができる。


Ne quittez pas

2018-04-20 12:42:59 | 日記

とはフランス語の電話で電話に出た人がたとえば、誰かを電話口に呼ぶので電話をかけた人に「電話から離れないでください」というときに言う決まり文句である。

先日、車を運転しながらラジオを聞いていたら、たまたまシャンソンか何かで「ヌ キテー パ」というフレーズが繰り返されているシャンソンか何かわからないが、歌に出会った。それでne quittez pasを思い出した。

これは英語ではどういうか知らないが、ドイツ語ならどういうのだろう。決まり文句があったはずだが、いま思い出さないので、ちょっと考えてみると、Bleiben Sie am Apparat !(ブライベン ジー アム アパラート)であろうか。本当はどういったのだろう。

いま『ドイツ語会話』という小冊子をみたら、Einen Augenblick, bitte ! とあった。和訳すれば「ちょっとお待ちください」となろうか。もっともここには正しくはWarten Sie einen Augenblick !(ヴァルテン ジー アイネン アウゲンブリック)であろうか。だが、 Warten Sieは必要ではなかろう。

quitterを使う、ちょっと私のお気に入りのことわざに A quitter, c'est un peu mourir !(ア キテー、 セ  タアン プ ムリ―ル)(別れ、それはちょっとした死である)というのがある。死の場合にはそれこそ永遠の別れであるのだが。


だんだん飲む薬が多く

2018-04-20 12:16:05 | 日記

なってきている。これは血圧が薬を飲んでもあまり下がらなくなってきているということで、他の薬を処方されるようになっているからである。

それに高脂血症とかで一日に一錠だが、薬を飲んでいる。こういうことでは長生きができないかと思うが、そういう予防策を講じているから、逆に長生きになってしまうのかもしれない。人生死んでしまってはどうにもならないので、しかたがないであろう。

AI時代だとかで、モノが売れない時代だという。それにモノを買う収入もなくなってしまった。これは私個人の感懐でもあるが、一般の家庭の感覚でもあろう。それに若い人はあまりモノにはこだわらなくなっていると今日の新聞で読んだ。

収入も夫婦共働きでようやく支えられるという具合である。それだから女性が働くのが普通になってはいるが、それでも男性が権力中枢にいることが多いので、セクシャルハラスメントが跡を絶たない。


夏の講演の準備

2018-04-19 18:44:50 | 日記

そろそろ8月にある、徳島科学史研究会の講演の準備をしなくてはいけない時期となった。

例年は3月ごろから徐々に準備しているのだが、今年は出発が少し遅れたと思う。現在でも取りかかる気に十分にはなっていない。今年は「技術論論争」をとりあげてみるつもりである。

技術論論争とはなにか。これは技術は「労働手段の体系」かそれとも「客観的法則性の意識的適用」かという論争である。私はこの論争の経過にはあまり詳しくはないのだが、インターネットなどには現在は「労働手段の体系」説が優位を占めていると読んだことがある。

それがどのくらい当っているのかどうかを読み取って判断していかなくてはならない。

 


トイレ革命

2018-04-19 11:19:29 | 日記

もう何週間か前にテレビで見た話だが、いま世界でトイレ革命が起きているという。特に著しいのが中国で、これは習近平氏の唱道によると見た。

やはり中国が世界一の国となるにはまず近代的で清潔なトイレからということらしい。また、インドでも安価で清潔なトイレが日本人の努力で普及し始めているという。トイレが清潔できれいなことはいままで努力されてこなかったことかもしれいないが、ようやく世界中できれいで安全で清潔なトイレが普及することは喜びである。

中国では隣との仕切りもないし単に穴が開いているだけのニーハオトイレだと言われて久しいが、それがようやく解消することになる。中国よりももっとトイレ事情が悪いと思われるインドでもこれが解消するということであるなら、ようやくではあるにしても喜ばしいことであろう。

日本のシャワートイレは水が大切で貴重なヨーロッパでは普及しにくいとしても、ドイツ人の若い女性が松山にやってきて喜んだことの一つがこのシャワートイレであったと聞いたことがある。そして、デパートの三越のトイレを使いにわざわざ三越に行ったとかいう話を誰かから聞いたことがある。

ドイツ語ではDuschetoiletとか呼ばれているらしい。


『四元数の発見』の改訂

2018-04-18 12:26:58 | 数学

『四元数の発見』はあまり他人から誉められはしないが、自画自賛の自信作である。だが、それでもいくつかの章で書き換えたいと思っている個所もある(注)。一つには第 8 章の「ベクトルの空間回転」である。ここは空間回転の向きが時計まわりにとっており、普通の正の回転の向きは反時計まわりである。

したがって、ここは普通の回転の向きを反時計回りに直しておきたい。それで数日前からそのことを考えていたのだが、昨夜その草案をやっとつくった。私もはじめ反時計回りの回転の向きにするつもりであった。

だが、下敷きにするつもりであった、Altman の本の説明があまり詳しくなかったので、ゴールドスタインの『古典力学』(吉岡書店)の説明の方が詳しかったから、こちらにしたがったためである。

しかし、やはり空間回転の回転の向きを普通の反時計回りにした方がいい。草案はできたが、実際に書き換える作業はしばらく時間がかかるであろう。

もう一ヶ所だけ書き換えた方がいいかと思っているところがある。それは第6章の「四元数と空間回転3」の「直交補空間」の 6.3 節である。それを昨夜、就寝前に読み返したのだが、確かに章の冒頭の箇所はどうも唐突の感じがしている。

だが、後ろの方を読んでみると結局はこの節の記述がよくないというふうには私には思えなかった。だが、やはりなんの予告なしに「直交補空間」という名の節が現れることにはちょっと違和感がある。それでもほぼ1頁を我慢して読んでくれたら、だんだんこの直交補空間の意義が分かって来るとは思う。だが、やはりなんとかしなければいけないのかもしれない。だが、どうしたらいいかの判断がつかない。

閲読者の役をしてくれた K さんもこの箇所には何も言われなかった。もっともこの 6.3 節以外にもっと重要な問題だと思われる箇所があったから、そういうある種の唐突感などは後回しにされたのであろう。

私の計画では『四元数の発見』は英訳をして、世界の読者に供給したいと考えている。それで、出版社の海鳴社と同種の本は書かないとの約束を出版契約を結んだときにしたが、英訳を出すことは除外をしてもらった。これはそういう意図をはじめから私がもっていたから。

(注)改訂箇所として、ミスプリントとかちょっとした、書きまちがいのミスを除いている。こういうミスの正誤表はインターネットに載せることができてはまだいないが、数カ所ある。

そういうところはすでに出版社には連絡をしてあるが、残念ながら私の本の第 2 版が出版されるチャンスはないかと思うので、ミスの箇所を「数学・物理通信」に発表しておくべきかなと考えている。

アマゾンコムの書評で私のミスを指摘したものがあるが、この箇所は私のまちがいではなく、指摘は正しくはない。だが、アマゾンコムに著者の私が書評者のミスの指摘は正しくないなどということは、はしたなく、はばかられるので、その指摘には反論をしてはいない。

この指摘が正しいかどうかの判定については、私は自分で大まちがいをする可能性もあるので、念のために閲読者の K さんにも確かめてもらったので間違いがない。

(2020.9.14付記)
上に書いた第 8 章の「ベクトルの空間回転(改訂)」は「数学・物理通信」9巻9号に掲載してあるので、反時計回りのベクトルの回転の方を好む方はインターネットで検索して見てください。
 
それ以外に『四元数の発見』の補遺としての原稿も4つほどそれ以前の「数学・物理通信」の号に掲載してある。合わせてご覧ください。
 
(2022.1.13付記)
今年こそは『四元数の発見』の英訳本を出そうと思い始めた。腰の重い私にしてはかなり重大な決意である。
 
それで6章をどう書き換えるかについての勉強をはじめた。これは計量ベクトル空間(ユークリッド・ベクトル空間)の簡単な要約が必要なのではないかと考えている。計量ベクトル空間の説明の前に一般的なベクトル空間の概念の説明がいる。できるだけこれらを簡潔にまとめたいというのが現在の気持である。
 
計量ベクトル空間にはスカラー積の定義が出てくるので、それで四元数の直交性が定義できる。これはすでに『四元数の発見』では、定義してはあるのだが、補注という形で救急処置みたいな取り扱いであるのがいけないと考えている。

(2022.3.2付記)
アマゾンコムでの『四元数の発見』の悪評を書いた方は、私個人に悪意を持っている方ではなかったかと推測している。
 
これはあることで私がある一群の人たちから悪く思われているらしいことを知っているからである。これは基本的にはある事柄に対する意見の相違から来ているのかと思うが、他人の気持ちはわからない。

そして私に密かに悪意を持っている人が誰であるかも私にはわからないという現状である。まあ、どういう感じをもつかはそれぞれの人の自由であるので、どうしようもない。
 
(2023.3.7付記)『四元数の発見』の英訳は依然としてできていない。また6章の書き換えもまったく進んでいない。ただ、昨年の11月初めだったかに、第2刷が出て、ミスプリントはだいぶん解消された。

金谷(かなや)の方式の球面線形補間の導出も書き加えた原稿をつけるつもりだったが、そこは出版社の都合でカットされたので、それに言及したところがちょっと間違った記述となってしまった。
 
これは金谷の方法での球面線形補間の導出も修正部分に付け加えておいたのだが、その部分は実はカットされた。それへの言及をした部分だけが残ってしまったのである。

(2024.5.26付記)上の付記を書いてから、一年以上が経ったが、『四元数の発見』の改訂も英訳もまったくできてはいない。課題点が始めは1つだったのが、いまでは3つに増えている。

それらがどこかはこのブログでは述べないことにする。これは私個人の問題であり、日本語の『四元数の発見』を読む読者の問題ではないと思うからである。『四元数の発見』の第2刷はすでに出まわっており、それを読まれた読者も居られるだろう。

いくつかの改訂の原稿をつくったが、それを出版社の都合もあって出版できるには至っていない。

シクラメン

2018-04-18 11:57:05 | 日記

シクラメンの花がバルコニーで大きく咲いている。昨年の秋だったかに100円ショップで買った肥料をやったせいか、たくさん真紅のシクラメンが咲いた。だいたいシクラメンは冬の寒いときに咲くのが普通だと思うのだが、私の家のシクラメンは春先になって暖かくなってから咲くのが普通である。

深紅でまさに花の貴婦人という感じがする。二鉢をもっているのだが、一鉢はもうそろそろ満開の時期を過ぎている。しかい、もう一鉢はいまが盛りの満開である。昨年はあまり花が大きくはなかったから、ことしは肥料が効いたのであろうか。

シクラメンという語は私がまだ幼稚園にも入らない4歳くらいのときで、このときはまだ朝鮮(今の韓国)に住んでいた。もっとも本当にシクラメンの花を見たことはなかった。ただ単にシクラメンという花があるというだけであった。

本当にシクラメンを知ることになるのは30歳を過ぎたころのことである。当時は70年の学園紛争のあとであり、学園の改革のため会議が多く行われている時期である。ある数学の先生の部屋を学内改革の議論のために訪れたとき、その部屋の中に赤く咲いた花の鉢がおいてあった。

それでこの花は何という名前ですかと聞いたら、「シクラメンです」と言われた。だからシクラメンという語を知ったのが4,5歳なら、実際にシクラメンの花をシクラメンと認識したのと間には20数年が過ぎている。

こういうことが私は多くある。クスクスというフランスでポピュラーな食物の名前を聞いたのはもう30年以上も前だが、そのクスクスを実際に食べたのはごく最近のことである。

というようなことを前にもこのブログで書いたことがあると思う。だが、そういう前のブログのことを忘れてまた書いてもいいくらい以前に書いたはずである。もちろん、シクラメンを近くのスーパーの花屋で買って来てくれたのは私の妻であり、私が買ったのではない。


coursとcourse

2018-04-17 14:47:29 | 日記

とは単にcoursとそれにeがついた、courseとであるが、発音がちがうし、意味もちがう。coursは一番最後のsは発音しないで、クールと発音する。一方、courseはクルスと発音する。大学に勤めていたころ、フランス人の講師の先生とときどき昼食の時に一緒になったことがあったが、今日は授業があったとかいうのをまちがえてクルスとcoursのことを発音したら、クールといつも直された(2024.10.3付記)。

これは私がクルスと言っても買い物に行ったわけではないということでクールと直されたのである。ところが買い物の方はeが最後についているだけでクルスとsが発音される。faire la courseで買い物をするという意味である。

faire le  menageだと掃除をするとか、これらは慣用句である。

(2024.10.3付記)coursは講義のことである。私は大学の教師であったから、講義をするのは当たり前だった。

またこのフランス人の先生は夫人が日本人であり、一日おきに日本語とフランス語を話されているとのことだった。お名前は失念してしまった。マセ―さんだったかな。

donner (faire) un coursで講義をするという意味が仏和辞典に出ている。

関数の表し方

2018-04-17 14:18:41 | 日記

について、私が小著『数学散歩』に書いたのはもう何年前だったろうか。愛数協の機関誌「研究と実践」の30号(1989年6月)に掲載された。それからそれは『数学散歩』に収録されたのが2005年である。

あまり関数論のテクストを読んだことがなかったので、複素解析のテクストの中にそういう関数の表現法を書いたものがあることを知らなかった。最近ちょっと関心が弱くはなっているのだが、それでもときどき思い出したように複素解析の本を読むとそのトピックに関数の表現法を挙げている本を見つけた。それも1,2ではないので多分関数の表現法としてどのようなものがあるのかの関心は私などよりもはやくからあるのだということがわかった。

大抵の関数の表現法をとりあげたと思っていたが、無限乗積という方法は取りあげてはなかった。したがって、前の「関数の定義」という数学エッセイも改訂する必要が出てきたと思っている。


erziehen

2018-04-17 13:56:59 | 日記

erziehenというドイツ語は日本語では「教育する」という訳語になるのだが、元々「引き出す」という意味から来ている。

本来その人がもっているものを先生方は「引き出して」あげるというのが本来の意味であろう。日本語で教育という語にはあまりいいイメージがなくても、erziehenにはそんなに悪いイメージをもたないのはそういう本来の意味を想像することができるからでもある。

「教育から学びへ」というのはまちがったキャチフレーズではなかろうが、もともと日本では教育にはどうもその人のもっている素質を引き出す手助けをするという考えがあまりないからであろうか。

特に最近の教育は耐えがたいものがあるとかいう。これは政治を指導する者が自分たちの思う方向に国民を引っ張って行きたいという気持ちがあるからかもしれない。

その人そのひとの本来持っているものを引き出すのだという教育本来の立場に、先生がたが立てば、教育といえどもそんなにいやなものとはならないであろう。

もっともいま独和辞典を引いて日本語の訳を見たら、erziehenには「教育する」とか「鍛える」という訳語しかなかった。これではその本来ドイツ語の意味するerziehenの意味を読みとれるのだろうか。


ねらい撃ち法

2018-04-17 11:48:30 | 数学

と呼ばれるコンピュータでの数値計算の手法がある。これは昔Fortranの解説書で読んだことがある。

ねらい撃ちという語からわかるように軍艦と関係している。軍艦の中で遠距離に見える敵の軍艦を大砲で撃つときの方法だという。

まず、なんでも適当に決めて大砲を撃ってみる。そうすると大砲から出た砲弾が敵の軍艦の手前に落ちるかそれとも向こう側に落ちるかのどちらかである。もし、手前に落ちれば、もう少し遠くまで飛ぶように大砲の砲身の角度を上げる。そして撃ってみる。もしそうした時の砲弾の落下地点が敵の軍艦の向こう側だとすれば、砲身の角度を少し下げる。

というふうに砲身の角度を微調整して、敵の軍艦に大砲の弾をあてるようにする。これがねらい撃ち法といわれるものである(注)。

これと同じことを数値計算で行うのである。コンピュータではこういう操作は極めて短時間でできるから、こういうちょっと原始的な方法で高次方程式の根の数値を求めたりする。

もちろん、高次方程式の解を求める方法はいろいろある。その一つにはニュートン法などもある。これは数値微分を計算して解を求める方法である。

しかし、なかなか原始的なものからはじめてだんだんと真に迫っていくのが科学の方法であろう。

四元数をつかっての工作機械の数値制御だって存外に最近の特許であって、私の義弟が日本で特許をとったのも数年前のことである。

もっともロケットや人工衛星の姿勢制御では四元数は前から使われているという。これは特許としなくて企業秘密とか軍事秘密の部分が多かったからであろうか。でも詳しいことはわからない。

(注)いまではレーザーとかを用いて距離を測るくらいはお手ものであろうから、こんな原始的な方法は用いなくてすむのであろう。ちょっと私の感覚の時代錯誤を笑っておられる方がほとんどであろう。

 


岡野進

2018-04-16 11:48:48 | 日記

とはペンネームで、本名は野坂参三だという(注)。これは先日に妻が錦州日記という、ある満州にいた人が書いた日記をパソコン入力していると書いたが、その中に岡野進という人が出てくるという。

まったく他人の日記を頼まれてパソコン入力しているのだが、その話はだんだん日本の現代史とつながってくる。そのために急に身近なものとなってきた。

私の親戚にもご自身は満州帰還者ではないが、両親とか兄弟が満州で亡くなってしまった人がいた。いたと過去形で書いたのは昨年だったかにこの人が亡くなってしまったからである。

生きている間に彼の弟が生きているのではないかと中国の在留日本人の中を探したりしたが、結局は見つからなかった。そういう満州からの帰還者だった世代はもうほとんど亡くなってしまった。それでも妻の知人には高齢とはなっているが、満州からの帰還者もおられるという。

この錦州日記からそういう満州帰還者の人たちの集いを開く機会ができるかもしれないというところまで話にでるようになった。過去は現在にまで生き残っている。

漢字の難しいのが出てきたりするし、また歴史的事実として満州について、スマホで妻はにわか調査をしたりしている。それによると満州と言われた、今の中国東北部には日本人が170万人入植していたという。そして日本に無事帰還できた人数は105万にだという。そうすると約65万人の日本人が敗戦時に満州で亡くなったと推定されるという。

パーロと言われる八路軍だとかソ連軍だとかはたまた国民党の正規軍だとか入り乱れているらしい。まるで映画のシーンを見るかのごとくである。

100頁ほどの手書きの原稿の入力も最終段階らしい。助詞を補ったり、難しくて現在では使われていない漢字を現在の若者が読んでもわかるように少し手を入れたら、入力は終わりとなるだろう。

(注) 岡野進は野坂参三のペンネームだということもインターネットで知った知識らしい。野坂参三はかなり変わった考えの共産主義者であった。天皇を共産党の頭に担いだ共産主義を考えていたという。これは日本では実現はしないであろうが、それでも日本では天皇中心でことを進めないと上手くいかないだろうという、その洞察はなかなかおもしろい。また、野坂は経済学者の野呂栄太郎と交流があったらしい。

こういうことをインターネットで瞬時に知ることができる現在はすごく、いい時代である。


Excusez-moi

2018-04-16 11:15:45 | 日記

エクスキュゼ・モアという語をフランス映画ではじめて聞いたときの新鮮さをいまも覚えている。これはBBの映画だったと思うが、ベットの下に何かを探すしぐさをしたときに、発した言葉であった。

この語はその後NHKのラジオのフランス語の講座で何回もくり返し聞いており、今では垢にまみれた感じの言葉となってしまった。

だが、初心に還ると19歳か20歳のときに聞いた、生まれてはじめて聞いたエクスキュゼ・モアを思い出す。ここから私のすべてのフランス語が始まった。

その後、大学の3年生のときに半年だけ、大学でフランス語の授業に出た。これは文学部仏文科の1年生に対する講義であり、その担当だった長崎教授は授業のはじめの授業でフランス語の詩を朗読して学生に聞かせるということで有名な方だった。

その後、このヴェルレーヌの詩をフランス語で直に読むような機会ももつことが何回かあった。これは岩波文庫のフランス詩の中にあった。


一日に一つか二つは

2018-04-14 11:29:06 | 日記

このブログに書くネタを毎日見つけているつもりだが、それをいざパソコンの前に座ると忘れていることに気づく。頭の中で考えているだけなのでそれを声に出して確認したるすることもないのだからしかたがない。そのうちの一つは先に書いた略記号に関するトピックであった。

朝食のときにほかにもう二つくらい頭に浮かんでいたはずだが、いま現在では何も思い浮かばない。新聞を読むときに字をよむので、それで見た字から何かを連想して考えているらしい。


abbreviation

2018-04-14 11:09:31 | 日記

という語の発音をはじめてテレビで聞いた。この語は私には書かれた言葉として身についた。

「SNSで英語を」とかいう番組がNHKのEテレではじまった。SNSは文字数が制限されているから、略語abbreviationがよく使われる。ASAPとはas soon as possibleだとかははじめて知った。昔からRSVPとかNRSVPとかは聞いたり、見たりしたことはあったが。OMGだとOh, my Godだという。

RIPだとRest in peaceだという。日本語に訳せば、「安らかに眠れ」という死者を悼む語になろう。#はhash tagと読むそうで、#・・・とあると#・・・とある項目を検索したりするという。

上に書いたRSVPとかNRSVPとかは手紙とかお知らせとによく使われるらしい。これらはもともとフランス語でRespondez,s'il vous plaitとNon respodez, s'il vous plaitであったと思う。前の方は「ご返事ください」であり、後ろのほうは「ご返答はいりません」という意味だと思う。

この件に関しては私にはちょっとした失敗があり、元の同僚でえらい先生がこのことをタネにちょっとした話をしようとしたところをその話の先を意図せずさえぎってしまい、このえらい元同僚からその後に長い期間にわたって嫌われた理由になったのではないかと思っているからである。

もっともそのことをこの元同僚が覚えておられるかどうかはわからない。多分そんなことがあったこともお忘れになっていることだろう。